はなさないで

エリー.ファー

はなさないで

 私は一人で歩いていた。

 何もかも失った状態である。

 嘘をついているわけではない。

 すべては事実だ。

 私には何もない。

 空虚そのものである。

 誰かが私に向かって言った。

 はなさないで。

 何を離してはならないのだろうか。

 何もかも離してしまいたくなる衝動にあらがっているというのに。

 何故に、そのようなことを言うのか。

 そう言われてしまったら、想像してしまうではないか。

 離したくなってしまう。

 そう。

 だけれども。

 私には何もない。

 つまるところ、離すこともできない。

 離れることができるほど、所有しているものもない。

 私の分身として価値が認められるくらいのオブジェクトすら存在しない。

 もしも。

 私の中に、何かが本当は存在していて。

 私がそれに気が付いていないだけだったとしたら。

 私には、本当に何もない、ということになる。

 私は、私を信じることができないまま、この年齢になってしまった。

 どうしようもないくらいに不安なのだ。

 離れている。

 そう、乖離。

 それは、自分の理想との差。

 いや。

 そもそも、私に向かって飛んでくる言葉の意味が違うのではないか。

 はなさないで。

 これは、つまり。

 話さないで。

 ということではないのか。

 私に話してほしくない。

 でも、どうして。

 私の言葉に価値があるということなのだろうか。

 というか。

 何を話して欲しくないのだろう。

 私は何を知っていて、一体、何について語ることができるのだろうか。

 知っていることと、知らないことの差すら分かっていない私である。

 話したいことなど一ミリもない私である。

 お願いだから、私に何も言わないで欲しい。

 離すこともできない。

 話すこともできない。

 きっと。

 放すことだって、できないのだ。

 どんな意味が込められていようと、私からほど遠い。

 言葉だって。

 そう、言葉でさえ、私にはもったいないのだ。

 口に出す瞬間から汚れていき、ありきたりになってしまう。

 口の中で暴れ出そうとしている瞬間だけが余りにも新鮮なのだ。

 そう、まさに。

 想像の世界。

 はなさないで。

 何を、どうすればいいのか。

 はなさないで。

 誰の、何を、どうすればいいのか。

 はさないで。

 いつ、誰の、何を、どうすればいいのか。

 

 そこにあるのは何ですか。

 ただの、花さ。でも、そこにはもうないので、花と呼ぶことはできない。

 つまり、私のことですか。

 何故、そう思う。

 花になったはずだからです。


 夢を見た。

 私は花を見ていたはずだった。

 そして。

 気が付くと誰かと話していて。

 今、目を開き起きてしまった。

 良い夢だった。

 私には、話したいことがある。

 夢の話だ。

 つまり。

 話すことができるようになった。

 私は、私のような人間たちの中にいたが、気が付くと話したいことを見つけていて、その群れから出られるようになった。

 群れが喋る。

 離さないで。

 離さないで、ずっと近くにいて。

 お願いだから、僕たちの中にいて。

 僕たちから離れないで。

 僕たちを。

 離さないで。

 私は一人になった。

 また、一人である。

 涙が出た。

 悪い気分ではなかった。

 話すこともできる。

 離すこともできる。

 きっと。

 放すことだってできる。

 夢を見るだけで、前に歩くだけで、座るだけで、呼吸をするだけで。

 何かを手に入れている。


 私は、私のすべてを、もうはなさないだろう。

 

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