第2章 竜を追う
竜の棲む山
北部山脈。
大陸の北部に連なる峻険な山々である。山脈を越えた先にも人の住む地域がいくらかはあるようだが、人の身で山を越えるのは困難な為、交流は無い。山脈の尾根を越える事が出来るのは翼あるもの、すなわち竜だけであると言われている。
北部山脈に住まう竜には、いくつかの種類がいる。飛竜や地竜、そして火竜だ。
飛竜は翼手とも呼ばれ、腕と脇の間に膜状の翼を持ち、身体全体が翼とも言える竜である。一部の国では飛竜を飼い慣らし、飛竜騎兵という兵科を設けているらしい。だが、竜が人に慣れる事は難しいと言われ、実用化されているかは疑わしい。パテル王国の近隣には実現している国は無いのだから、遠い異国の話なのかもしれない。
地竜は翼を持たず、地上を走るだけの竜である。大まかに二脚と四脚に分かれるが、どちらも地上においては獰猛で危険な存在である。
二脚竜は後ろ足が強靭に発達しており、凄まじい速度で大地を駆け、巨大な顎で獲物を捕食する。
四脚竜は二脚竜に比べて鈍重であるが、それでも群れで駆けると、地精霊の怒りかと思われるほど大地を揺るがす。とある魔道士が戦争での攻城兵器として四脚竜の群れを操った事があるそうだが、城を落とすどころか城下町まで含めてすべて踏み均され、何も残らなかったと歴史書に記されている。戦争とは武力で敵国の財産を奪う事である。奪うものが無くなってしまうほどの結果をもたらした魔道士の行為を、歴史書は愚かなものと記録していた。『城攻めに竜を使う』という慣用句までもが生み出されたのだが、その意味は、『過ぎた力を用いては、結局何も得られない』である。
火竜は巨大な身体に強靭な四肢、そして腕とは別に巨大な翼を背中に持つ竜だ。なによりその名が示す通り、火を吹く。『竜の吐息』と呼ばれる火炎は、他の竜には見られない特徴である。一説には、強大な魔力を秘めた体内で火属性の魔法が編まれ、連続的に火炎魔法を吐き出しているのだという。その証拠に、竜の吐き出した炎は燃える物が無くとも燃え続け、浴びたものを例外なく燃やし尽くすという。魔力によって生み出された炎の特徴の一つであり、脅威である。そして何より、火を吹く竜が空を飛ぶのだ。ただ飛ぶだけの飛竜や地を駆けるだけの地竜に比べて、遥かに恐ろしい存在なのである。
このように種類もあれば個体差もある竜だが、年経た竜の中には知性を獲得する個体が稀に現れる。長く生きるという事は、それだけ強いという事でもある。その為、人との会話が可能な程の知性を得た竜は、大抵が火竜であったという。
その中でも、小大陸に封印されている黒竜。あれは、火竜の突然変異ではないかと考えられている。人語を解し、人語を操り、それでも魔獣を率いて人類と敵対した竜。
魔獣にしろ、その他の竜にしろ、人と相対した時の反応は普通の猛獣と変わらない。人や動物を見れば、ただの餌として襲い掛かってくるのだ。人にとっては厄介な存在であるが、驚異の度合いで言えば森や荒野の猛獣と変わらない。戦わずとも、近付かなければ危険を避けることができる。
だが、黒竜だけは、好んで人と戦っていたらしい。そして、愉しんで人を殺していたらしい。
封印後、百年経った頃、とある学者が黒竜の目的を考察した。曰く、人の国に侵攻したのは何かを求めての事ではなく、侵攻する事そのものが目的だったのではないかと。その考察は、当時も今も一般には受け入れられていない。そして真相は、今となっては封印の向こう側である。
最後に、建国史に語られる竜。あれは、神話にも登場する古竜であるという。ものの話によれば、創世の頃から生き続けているとか。神竜と呼ぶ者もいる。燃えるような赤い身体を持った火竜や禍々しい漆黒の身体を持つ黒竜と異なり、蒼く清廉な美しさを持った鱗を輝かせていたと、典礼書には記されている。
「典礼書に依れば、北部山脈に、その竜の巣があるそうだ」
「確かですかな?」
「さてね。さっきの村の話では、この地で竜が目撃されたのも、かれこれ三十年近く前の話らしい。それに、竜の巣と呼ばれる場所も、ここだけではないし」
落城する王都から逃げ出したパテル王国の王女ランサス・ゼフィ・パテルは、元騎兵団長のルートを伴い、王国を縦断する大河に沿って北上、竜の巣と呼ばれる場所を目指していた。
ランサスは既に軽甲冑を身に付けてはおらず、市井の民と変わることのない平服姿となっていた。今の彼女を見て、王女だと思うものは一人もいないだろう。なにより、身に纏っているのは女性のものではなく、男性向けの服である。
ランサスは、美しい少女である。見た目だけではなく、王族としての立ち居振る舞いは麗しい。着ているものが見すぼらしくても、彼女の持つ高貴な雰囲気は、いささかも損なわれていなかった。
彼女が男装に身をやつしているのは、従者を一人だけ連れた道行きでの危険を避けるため……ではない。
これは、完全にランサスの趣味である。
だが、理由の無いことでもない。いずれ竜の加護を継ぐ者として強くあらねばならないという思いは、常にランサスの胸中にある。それが活動的な衣服を求めた結果、勇ましい男装となったのだ。ご丁寧に髪型も、「馬の尻尾」と呼ばれる、長髪を後頭部の高い位置で結んだものとなっている。
ランサスの住むパテル王国では、身分にかかわらず成人した女性は髪を結い上げる風習がある。女性が長い髪を無造作に振り乱すのは幼さの表れとされ、公の場で髪を結い上げているのは、身支度を整えられる存在であると示しているのだ。だから、成人した女性が髪を下ろすのは、家族などの親しい人間の前に限られる。その為、女性が男性の前で髪を解くのは特別な意味があり、大抵は寝所の中での話となる。
一方「馬の尻尾」と呼ばれる髪型は男性のもので、主に馬を使った仕事に就く人間が好んでする結び方である。結び方と言っても、長い髪を襟足ではなく後頭部の高い位置で結ぶだけなのだが、それが馬の尻尾によく似ている事から、人馬一体という言葉通り、愛馬との親近感を得られるのだという。パテル王国では、主に騎兵団と大陸西部の遊牧民の男性が髪型を「馬の尻尾」にしている。
ランサスがそういった男装を好んでいるのは、普通の姫君としては褒められたものではないのであろう。だが、いずれ王位を継ぐ者として強くあろうとしているランサスの想いが周囲の人間たちにも伝わっていたのか、強く嗜める臣下も多くはなかった。
「それにしても、見事な手際だな」
「何の話でございますかな?」
「お前が用意してくれた、我々の山登りの支度だ。この服に馬、荷駄用の驢馬、食料に水。城から十分な支度で出られたわけでもないのに、近くの村をいくつか回っただけで揃えることが出来た」
「騎兵団を率いていた頃は、山賊などの討伐でこの辺りの山や森を何ヶ月も巡った事がございます。初めてではないからですよ」
元騎兵団長のルートは、武骨な外見に反して、意外と細かいところに気の付く男であった。脱出の際には金目の物を身に着け、旅の為の野営などの準備も行なっていた。
そもそも、城から王族が脱出する為の通路には、その為の備えも用意してあったらしい。ランサス自身はそれを知らなかったのだが、王族に仕える元騎兵団長は、そういった臣下としての備えも怠ってはいなかったのである。
――何しろ私は、世間知らずのじゃじゃ馬だからな。世慣れた臣下がいて幸いだ。
剣には自信のあるランサスであるが、一人で生きる為の知恵には乏しい。一方、王国軍騎兵団に身を置いていたルートは、野営の仕方や資材の調達、市井の民とのやり取りに慣れていたせいか、竜の巣探索の準備は川の水が流れるようであった。
ランサスは、頼りになる臣下に旅の委細を任せる事に決めた。
「典礼書には竜の巣までの簡単な地図がある。山の中腹までは地元民が拓いた道があるけれど、竜の巣は、さらにその上にあるらしいな。馬で行けるのかな?」
「さて、行って見なければ分かりませぬな。私も若い頃は国中を回りましたが、北部山脈に深く入った事はございません。この先は、人の住む領域ではありませんからな」
「竜の住まう場所にぴったりという事か。では、行こうか」
北部山脈は峻険な山々といっても、禿山というわけではない。冬には尾根が厚い雪に覆われるが、植生は意外に豊かである。雪の降る季節はまだ先のことなので、今ならまだ森の恵みも得られる。火を焚く為の木々にも困らないだろう。
北部山脈に一番近い村、すなわち国で最も北にある村で山に入る準備を整えたランサスとルートは、それぞれ馬に乗って山を登り始めた。かさばる荷物は綱で引いた驢馬に載せてある。
途中までは地元の住民が狩猟や採取の為の道を整えており、村から山の中腹まではそれほど苦も無く進めそうだ。
山への道は、村から一本というわけではなかった。登山道の整備は支国の領主が主導して近隣の村々で行なっており、森を迂回したり山へ向かったりする道が網の目のように通っているそうだ。
「南の海岸地帯や大河付近に比べて、山の方は住みにくい土地かと思っていたが、意外と逞しく生活しているのだな」
「この辺りは二百年前の黒竜の災厄でも、被害が少なかった地域だそうです。黒竜の現れた小大陸から最も遠い地域ですからな。逃げ延びてきた人々が、ここで多く暮らしていたのが発展の元になっているそうで」
「なるほどな。黒竜の封印を見張る為、王都は国の南側に建設されたが、北部が意外と発展しているのは、そもそもが北部から人が戻っていったからか」
このようなところで王国史を実感していることを皮肉に思いながら、ランサスは馬を進めた。
植生が豊かとはいえ、麓と中腹、山頂では生えている木々の種類も変わる。段々と寒さに強い木々に変わってきたあたりで道が途絶えた。
いや、道自体はまだまだ続いているのだが、このまま進むと山を降りてしまう事になる。途絶えているのは、山頂へ向かう道であった。そして竜の巣へは、ここから山頂へと向かう必要がある。
と、下りになる山道の向こうから、こちらへ向かってくる集団が目に入った。厳つい雰囲気の男たちが十人ほど馬に乗っている。服装はめいめいに異なるが、いずれも剣や弓を持っており、剣呑な雰囲気をまき散らしていた。
「む? ……善良な村人には見えんな」
「姫様、厄介ごとは避けるべきかと」
「分かっている。さっさと山へ入るぞ」
山道が整備されているとはいえ、治安が良いわけではない。むしろ、野盗や山賊にとっても良い狩場になっているのかもしれない。
ランサスは彼らが近付いてくる前に、馬首を巡らせて山頂へ向かった。ここから先は道らしき道もない、森というにはまばらな木々が生えているだけの岩山である。斜面の緩い場所を選びながら、ランサス達は危なげなく馬を操って岩山を登っていった。
「……どうだ?」
「姿は見えませんが、ちりちりとする気配は感じます。追ってきているかもしれません」
「面倒な……」
「エイフィッド王国の追っ手でないだけ、ましでしょう。姫様を余計な危険には晒したくありませんが、あの人数の野盗であれば、斬り捨てるのも容易かと」
「どこで仕掛けてくると思う?」
「連中の数を活かせる、開けたところでしょうな」
「参ったな。典礼書に書かれている竜の巣が、そういう場所らしいぞ」
「竜が寝起きするような場所ですからな。それなりに広いのでしょう」
「仕方ない。ついでに竜に頼むか。野盗も退治してくれって」
「助っ人としては頼もしい事この上ありませんが、本題の前に厄介事を押し付けるわけですから、竜の我らに対する心証は最悪になりますな」
「だよなあ……」
竜を見つけるどころか、探し始めたばかりでこの難事である。これからの旅路を思うと、ランサスは暗澹たる思いになるのであった。
愚痴ともつかない呟きを漏らしながら、ランサスはルートを伴って登攀を再開した。
「ここ……か?」
典礼書の記述を読み返しながら、ランサスは目の前にある岩穴の奥を見透かそうとしていた。だが、昼間の明るい陽光でも、岩穴の奥までは光が届いていない。岩穴の幅も天井も意外と広く、騎乗したまま進む事が出来るようだ。岩穴というより、隧道という方が近いかもしれない。
典礼書に依れば、この先に竜の巣があるという。
岩穴の奥を凝視しながら、ランサスは今まで登ってきた斜面を振り返った。
野盗が襲ってくる事は無かったのだが、不穏な気配は変わらずある。なのに、優秀な斥候でもいるのか、見える範囲には野盗は居ない。神経をすり減らされる状況だ。
先制しようにも、こちらには二人しかいない為、手駒が無い。襲ってこないのなら、放置するしかなかった。
「仕方ない、後ろは気にせず進むか。……いやしかし、本当にここか? 馬に乗ったまま進めるとはいえ、竜が出入りするような大きさでもないぞ?」
「どこか開けた場所に通じているのかもしれませんな」
「ああ、そういう事か」
つまりここは、裏口という事なのかもしれない。
竜の巣に人用の裏口がある事を訝しく思いながら、ランサスは慎重に岩穴の中へ馬を進めていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます