逃亡王女

「副団長、後は任せる!」

「御意!」

 人形のように力を失ったランサスの身体を肩に担ぎ上げたルートは、視線を魔道士に向けたまま、じりじりと油断なく後ずさりした。

 さっき魔道士が見せた見慣れない魔法。火属性の魔法であったようだが、指先から矢のように光を飛ばして王冠に当てるなど、見た事が無い。あれは危険だ。

 一対一で相対していれば、相手の視線や指の動きを読んで躱す事が出来るかもしれない。だが、守るべき主君を担ぎ上げている状況では不可能だろう。

 ルートは副団長に目配せをすると、一気に身を翻した。

 同時に、魔道士を囲んでいた完全武装の騎兵団十名余りが襲い掛かる。

 並の技量を持つ魔道士であれば、一部隊の兵士たちを相手取る事が出来る。パテル王国では王と王妃が強すぎる為、魔道士の数はそれ程でもない。だが、この大陸での戦争は、騎士や兵士などの単純な武力だけではなく、魔道士をいかに多く揃えるかが要となるのだ。

 そして、相手が凄腕の魔道士ならば、この人数の騎兵でも倒せるかどうか分からない。

 騎兵団の忠誠を無駄にする事なく、ルートは謁見の間から速やかに逃げ出そうとした。玉座の向こうにある王族用の出入口を目指して走る。

「うおっ!」

 だが、出入口の扉に手をかけた瞬間、ルートの目の前を火炎光――ルートは仮にそう呼んだ――が迸った。火炎光の突き立った壁に目をやると、壁の石材が赤白く燃え上がっている。石が燃える。それは、どれほどの高熱なのだろうか。

 ルートは咄嗟に後ろ飛びし、玉座の背後に身を隠した。同時に、主君の身体に火炎光が当たっていないかを確認する。幸い、飛来したのは一条だけで、ランサスの身体には当たっていなかった。

 玉座から慎重に顔を出し、騎兵団と魔道士の戦いを伺い見る。

 信じられない光景であった。騎兵が魔道士を取り囲んでいるものの、魔道士は矢継ぎ早に様々な魔法を繰り出し、囲い切れていない。前後左右同時に斬りかかっても、土魔法で壁を作って防御半分、火球や風刃を繰り出して反撃半分で、騎兵団の剣は魔道士を斬り伏せられない。

 だが幸いな事に、どうやら、さっきのは流れ矢ならぬ流れ火炎光だったようだ。流石は守りに特化したパテル王国の騎兵団である。仕留め切れてはいないものの、彼らの奮闘で魔道士は釘付けにされており、こちらへ目を回す余裕は無いようだ。

 ランサスを担ぎ直し、ルートは玉座の陰から出入口へ一気に駆け抜けた。背後に火炎光が飛来した音が聞こえたが、振り返らない。

 そして、通路に出たところで、出入口の脇にある鎖を一気に引き下ろした。侵入者除けの仕掛けが作動し、上から降りてきた鉄の扉によって出入口が閉ざされる。

「お待ちください」

「む、神殿長か」

 通路の中にいた神殿長に驚く事も無く、ルートは声の方へ向き直った。騒動が始まってから、素早くこの通路に逃げ込んだのだろう。荒事に向かない神殿長として、賢明な判断であったと言える。

「貴殿も早く逃げるが良かろう。口惜しいが、あのリーフとか言う魔道士の言う通りだ。この国は滅びる。だが、滅びたままにはさせぬ」

「その為にも、姫様にはこれが必要です」

「これは?」

「戴冠式の典礼書です。本来は禁書庫にしまわれ、式の時にのみ使用されるものですが、この中には竜の加護を受ける為の契約魔術や竜そのものについて記されている。これからの姫様に必要なものでしょう」

「確かに預かった」

「それと、戦いに赴く姫様に神官の身で出来る助言など多くはありませんが、これだけはお伝えください。竜をお探し下さいと」

「竜を?」

「国王陛下と王妃殿下を失い、戴冠式も失敗してしまった今、この国を救える可能性があるのは竜だけです。建国史に語られる竜を」

「分かった。必ず伝える」

「ご武運を」

 

 神殿長と別れたルートは、抜け道の一つを使って城外へ脱出した。だが、まだ地上ではない。王都の地下に広がる下水道を進んでいる。このまま行けば、王国を南北に縦断する大河へ出られるはずだ。

 河沿いを進めば、北へ行っても南へ行っても街に出る。この河は北部の山脈に源を発し、王国を南北に貫く形で滔々と流れている。この国の内陸部における水運を担っているのだ。

 足元を汚水に浸しながら、王女の身体を担いで、ルートはひたすら下水道を進んだ。

 騎兵として十分に鍛えていたルートであっても、さすがに疲労の色が濃くなり始めた頃、ようやく下水道の向こうに明るい出口が見えてきた。どうやら、すでに夜が明けつつある時間らしい。

 念の為、下水道から出る時も慎重に周囲を警戒したが、近くに隣国の兵士の気配は無い。だが、王都全体が戦の空気で満たされている。

 下水道の出口は王都を守る城壁の外側に繋がっていた。近くには森があり、汚水の臭いが王都の方へ向かわないようになっているようだ。その為、見つかりにくいようなっている。

 ルートはランサスを担いだまま森の中へ入り、主君の身体を茂みに横たえた。そして草や葉ぶりの良い枝を集めて被せ、王女の身体を隠す。

「しばし、御身から離れる事をお許しください」

 そして甲冑を脱ぎ、剣のみを佩いた身軽な格好で王都が見渡せる小高い丘を目指す。

「ぬ……。これが、二百年栄えた王都の末路か……」

 小高い丘から見下ろすルートの視界には、攻め滅ぼされつつある王都の光景が広がっていた。

 城門の前には無数の兵士が群がり、攻城戦を続けている。少し離れた場所からは投石機や魔道士が配置され、城壁を越えた向こう側へ引っ切り無しに石や火球が撃ち込まれている。

 どうやらエイフィッド王国軍は、夜を徹して軍を進めてきたらしい。完全な目論見違いである。だが、隣国の宮廷魔道士に裏切者サリースがいるとなれば、納得の出来る状況だ。王国の地理にも詳しいであろうし、物見の塔の警戒魔法にも干渉されていた可能性もある。

 そもそも、王国の基本戦術は防衛戦と遊撃戦である。城壁と兵士によって城を守り、国王夫妻と騎兵団によって敵を薙ぎ払う。時には王と王妃の二人だけで遊撃戦を行う事もある。

 王都の場合は王と王妃が出陣すれば、それで戦は終わったも同然であり、支国の場合は王と王妃の到着まで籠城するのが戦であった。

 だが、王国の最強戦力である王と王妃は既に亡く、援軍の望めない籠城だ。伝令を出して六支国に救援を求める事も出来るが、王と王妃のいない今、援軍を出すとは思えず、来たとしても士気は最低であろう。

 王と王妃は、竜の加護は、まさしくこの国の要であったのだ。

 要を失った国は、滅びるしかないのである。


 偵察を終えたルートがランサスを隠した場所に戻ってきた時、殺気を感じて剣に手をかけた。だが、その気配はすぐに霧散した。殺気を放っていたのは、目を覚ましたランサスであったのだ。

「……偵察か、ルート?」

「はい。周辺と王都の様子を見てまいりました」

 ルートは、姫を殴り倒してからこれまでの経緯を手短に語った。

 ランサスは、この状況で臣下を質問攻めにする事も無く、淡々と説明を聞き入り、落ち着いているように見える。

 じゃじゃ馬などと冗談交じりに姫を揶揄していていたルートであるが、主君の豪胆さに舌を巻く思いだった。

「それで、王都はどうだった?」

「は……。申し上げにくい事ながら、王都は陥落寸前でありました」

「そうか……」

 ほんの半日前には、いつもと同じ剣の稽古をしていたというのに、この激変ぶりはルート自身も心の整理が追い付かない。

 そもそも、勝敗は兵家の常と言われるが、パテル王国の兵士は二百年もの間、敗北を経験した事が無いのだ。

 それでも、ランサスは平静を保っているように見える。

 この方であれば、王国の再建も夢ではない。ルートはそう期待してしまった。

 だが……。

「分かった。……ルート、少し、目を瞑っててくれ」

「は……」

 淡々と報告を受けているように見えて、やはり涙が溢れてきたのだろうか。そのような事を考えて主君の命令に従ったルートであるが、次の瞬間、腹部に強烈な打撃を受けて悶絶した。

「げはあっ! が、がはっ!」

 無防備な腹に受けたあまりの衝撃に、涙が溢れてきたのはルートの方であった。そして、思わず開いてしまった目に飛び込んできたのは、自分の腹に少女の拳がめり込んでいる光景であった。

「主君に手を上げた罰だ。あのような事、二度と許さぬ」

「は、はは……っ。申し訳、ございませぬ……」

 理不尽な一撃であったが、姫の心情が理解出来ないわけでもない。主君に手を上げたのも事実であったので、ルートはランサスの怒りを素直に受け止めた。

「だが……、ありがとう、ルート。お前のおかげで助かった」

「いえ……。戴冠式の最中に……御身を守り切れなかった事、我が身の不徳と致すところ……です」

 腹筋に力を込めながら背を伸ばし、ルートは再び頭を下げた。

「お前のせいではない。あのような化け物染みた魔道士が、城壁も結界も易々と突破してくるなど、常識の外だ。……サリース・サイと言ったか。かつての裏切者」

「は……」

「最初の伝令が言っていたな。父上も母上も、エイフィッドの魔道士に殺されたと」

「確かに言っておりました。何やら新しい魔法を開発したようで……」

「どういう奴なんだ、サリースというのは?」

「一言で言えば、野心家です」

「王位でも欲しがっているのか?」

「いえ、サリースが欲しているのは知識です。宮廷魔道士として魔法師団に属しておりましたが、我が国が所蔵する魔導書を全て読みつくす勢いで書庫に通っておりました」

「それが、なんで裏切者なんだ?」

「禁書庫に入ったからです」

「……それだけか?」

「それで十分でございます。禁書庫には竜の加護に関する事以外にも、我が国に張られた防御結界などの機密もございます。それゆえ禁書庫に入った人間はこの国から出る事や、他国の魔道士との接触に制限が設けられるようになります。許可があってもそれだけの禁忌があるのですから、無許可で入った人間は、それだけで裏切者として処刑されます」

「なるほど。で、そいつが我が国に兵力を従えて帰ってきた……。そのような人間ならば、裏切者扱いされた恨みなどが理由では無かろうな。魔道士が欲する知識で、我が国にしか無いもの……。竜の加護か」

「リーフと名乗った魔道士も言っておりましたな。サリースは、姫様を花嫁に迎えたいと」

「父上と母上を殺し、戴冠式を邪魔した上でそれだ。王配……私の配偶者として竜の加護を得たいという事か」

「簒奪というわけです。何とも悍ましい話ですな。しかし、王配となる事で竜の加護は得られるのです。無理に戴冠式を邪魔しなくても、後から姫様と結婚するという方法もあったのでは……?」

「戴冠式の後だと、私には竜の加護がある。父上や母上のように殺すのならともかく、どうやって私を捕らえるのだ? 殺すより容易くはないぞ」

「なるほど。だとすれば、ここまでは我々の負け続きですが、唯一、姫様が自由である事で、完敗は免れておりますな」

「確かに負けてはいないが、ここからどうやって遊戯盤の盤面をひっくり返すか……」

「それについては、神殿長より、これと共に伝言を与かっております」

 そう言って、ルートはランサスに神殿長から預かった戴冠式の典礼書を差し出した。

「竜を探せ、だそうです」

「竜? だが、建国史に語られる蒼き竜は、ここ数十年、我々の前に姿を現してはいない。というより、我々の年代では歴史書で見るだけの神話のような存在だ。それを探せなどと……」

「姫様。私が思いますに、今のこの状況は二百年前と酷似しているのではないかと。ならば竜を探し出し、新たな盟約を結ぶ事が、王国再建の道のりとして正しいのではないでしょうか」

「ふむ……なるほど、既に先達がいるわけだから、不可能ではない事は分かっている。我らのご先祖様に倣うのは、確かに正しいのかも知れん。それに……」

 ランサスはルートから受け取った典礼書の頁を、ぱらぱらと捲った。

「この典礼書……、典礼書と銘打たれてはいるが、竜の加護と、竜に関する様々な事が書かれている。これがあれば、竜を探すのに全くの当てずっぽうとなる心配はないようだ。……本当か、これ?」

 途中まで読み進めたランサスは、微妙な表情で頓狂な声を上げた。

「何が書かれているのですかな?」

「黒竜を倒し、建国の報酬に竜が求めたのは、一年分の樽酒だそうだ」

「一年分というのがどれだけの量か想像もつきませんが、どうにも剛毅な話ですな」

「二百年前の事だし、与太も混じっているのかも知れんが、この典礼書は竜を探す手掛かりにはなるだろう。神殿長からのありがたい餞別だ。素直に活用させてもらおう」

 ランサスと話をしている内に、すっかり夜が明けてしまった。

 王都の方へ耳を向ければ、戦の喧騒が聞こえてくる。

 王族として、民の上に立つ者として、ランサスにとってこの逃亡は忸怩たる思いであるはずだ。先程のルートの腹への一撃も、抑えようのない怒りの発露でもあったのだろう。

 森の中から王都の方角へ目を向けて、ランサスは少女には似つかわしくない、唸るような声で宣言した。

「私は必ず帰ってくる。民を苦難から救う為に。王都を取り戻すために。今はまだ力が足りない。だが、竜の力を得て、私は必ず帰ってくる!」

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