無名画家の線香花火

区隅 憲(クズミケン)

無名画家の線香花火

 とある国に、全く売れない無名の画家がいた。

その男は絵を描き続けては、町へ出て自分の絵を売り出すことを繰りかえしている。

だがそれだけでは生計が成り立たないので、美術館で警備員のアルバイトをしていた。


 さて、ここはその男が働くレイブル美術館。

世界でも有数の権威ある美術館であり、多くの有名画家の絵が展示されていた。


 とある日のこと、そこの館長は自分の部屋で取引をしていた。


「いやぁ! まさか、かの海外で有名なマルコス氏の絵画を、我がレイブル美術館で展示できるとは! まことに光栄でございます!


 マルコス氏といえば今、世界に名を轟かせている有名な天才画家であり、しかもご両親はマックスフォード大学のご出身で超大手企業に勤めているとか。


 いやぁ、大変素晴らしい限りです! やはり優秀な家庭には優秀な子が恵まれるものですなぁ!」


 取引相手に揉み手をしながらニコニコと館長は話す。取引相手――マルコス氏のパトロンも機嫌が良かった。取引はつつがなく進行していたのである。


「さて、ではマルコス氏の絵画の出展は3日後の午前11時からでよろしいでしょうかな?

 私もとても楽しみにしております。なにせ超天才画家の絵をこの目で見られるのですからなぁ」


 館長は約束事を決めると、取引相手と握手をし別れを告げた。



*******



 館長室の扉の前で、盗み聞きをしていた男がいた。

それはかの売れない画家の男である。


 男は館長室から離れると、「けっ!」と悪態をついた。

警備の仕事中だと言うのに、スマホをいじって暇つぶしさえしている。


(ふん、金持ちのボンボンは何でも持ってるんだな。才能も、金も、名声も。

クソくだらねぇ世の中だ。俺なんていくら絵を描いても一枚も売れないのに)


 男は”マルコス”の名前を検索する。見るとトップページにはそれはそれは美男子な若者の画像が出てきたのである。

 そしてスクロールすると、どれもこれもマルコス氏を称える記事ばかり。うんざりするほどマルコス氏はキラキラと輝いていた。


 男はその画像を見て、ますます嫉妬心を募らせた。


(あ~あ、世の中不公平なもんだ。俺だって同じ画家なのに、誰も俺のことなんか認めちゃくれねぇ。どうやったら、俺の絵は世間に評価されるんだ?)


 男はスマホを見つめながら思考を巡らす。

そして男はある計画を思いついた。



*********



 2日後の夜となり、レイブル美術館にはマルコス氏の絵が運ばれてくる。

厳重に包装されており、誰も中を確認することができない。

そのマルコス氏の絵画は明日出展予定となっており、それまでは美術館の倉庫に保管されることとなっていた。

作業員たちは慎重な動作で倉庫にマルコス氏の絵を置き、そのまま皆出ていった。


 だがしばらくすると、倉庫の扉がカチャリと開く。

マスターキーを持った無名画家の男が入ってきたのだ。


 そして男はマルコス氏の絵画に掛けられた布を取り払う。

ライトを点け、念入りにマルコス氏の絵を観察した。


(なんだい、天才画家っていうからどんな絵か気になったが、どこにでもあるような平凡な風景画だ。こんな絵なら、俺ならいくらでも描ける)


 男は失望を覚えた。こんな凡庸な絵が自分の絵よりも優れていると世間は評価しているのだ。

どこにでもある絵だというのに、これには莫大な金がかかっている。

一文の価値もない男の絵とは、全く評価が真逆なのだ。

男はだんだんと腹が立ってくる。やはり計画を実行してやろう。


 男はマルコス氏の絵を持ち上げる。そして予め用意してあった絵画を代わりに置いて布に包んだ。


 その絵画とは、売れない画家の男自身が描いた風景画である。


(これで明日の朝には、俺の描いた絵がマルコスが描いた絵として出展される。そうなれば、俺の絵は世間中から注目を浴びるんだ。なに、これはちょっとしたいたずらごころさ。世間の奴らが、俺の絵を見てどんな反応をするのか見てみたい)


 男はそんな思惑を抱きながら、マルコス氏の絵を盗んで部屋から出ていった。



*******



 そして明日の出展の日となり、マルコス氏の絵が美術館に飾られることになった。

そこはちょうど美術館中央の大きなガラスケースが鎮座されている所で、最も人が集まる場所である。


 だが実際に飾られたのはマルコス氏の絵を盗んだ無名画家の男の絵であった。

男は警備の仕事をする中、横目でちらりと自分の絵が展示される様子を見て取る。

目論見通り、大勢の人々がそこに集まってきた。

男は人知れずくくっと笑った。


(さて、客の奴らはどんな反応をするかな?)


 男は遠巻きに中央の人だかりを観察する。


「こ、これは素晴らしい! 大胆な筆使いでありながら、繊細な色合いで街の情景が描画されている! これは間違いなく後世にまで語り継がれる名作だ!」


 一人の美術学者と思われる男が声を上げた。

他の客たちもその声に釣られ、感嘆の声を漏らす。

誰もが皆、男の絵に注目し、目も心も奪われていた。


(よし、上手くいったぞ! やっぱり俺の絵は本当は凄いんだ! 客の奴らは全員俺の絵に見惚れている! 俺は今まで正当に評価されてなかっただけなんだ!)


 男は観衆の様子を見て、ひとり満足感を覚える。

今まで誰からも無視され続けてきた男にとって、それはあまりにも愉悦であった。

だがその時、美術学者の口から言葉が紡がれる。


「さすがマルコス氏! これほど素晴らしい絵を描けるのは前にも後にも彼しかいないだろう! この絵はマルコス氏の魂の込められた傑作だ!」


 観衆たちも学者に同調し、うんうんと頷きを見せる。

それはまるで絵を通して、マルコス氏の見目麗しい姿を眺めているよう。

誰もが”マルコス”の空想に心酔していたのだった。


 その様子に気づいた時、先程まで浮かれていた男の心は、急激に萎えてしまう。

観衆たちが見ていたのは自分の絵ではない。”マルコス”という、時代の寵児の偉大な名前だったのである。


(ちっ! どいつもこいつもマルコスかよ! ふざけやがって。その絵を描いたのは俺だぞ! どうして誰も気づかないんだよ。こいつらの目は節穴か!?)


 男の心はけっきょく満たされず、観衆に怒りながらその場を離れた。



*********



 その後、男の絵が国中でニュースとなり、SNSでも拡散された。

SNSでは、誰もがマルコス氏を絶賛する声で溢れた。

館長も学者も、果ては国の大統領まで男の絵を絶賛した。


「レイブル美術館の名物にしよう!」

「この絵は我が国の歴史に名を刻むだろう!」

「我々国家はあの絵を厳重に保護すべきだ!」


 そしてついには、男の絵を国宝に認定しようという動きさえ発足されたのである。


 だが、そうした社会の動きに男は不満を募らせた。

ネットのどこを見ようが、マルコスの名ばかり。

男の名前など一度も上がったことがなかったのだ。


「マルコスは凄すぎる!」

「マルコスの絵を見て涙しない者はいない!」

「マルコスがこの国に移住してくれればいいのに」


 決して評価されない自分の絵。

何の地位も名声もない男の絵など、誰も見向きもしなかったのだ。

町へ自分の絵を売りに行っても、誰も自分の絵など買わない。

そんな境遇を思い返し、大きく劣等感を募らせた。


 男はだんだんと心が苦しくなる。

今世間どもが見ている俺の絵は、所詮はマルコスの幻影にすぎない。

俺の絵など誰も見ていない。そいつらの網膜に映っているは”マルコス”という人気者の代名詞だけだ。

圧倒的に輝いていて、圧倒的に恵まれている。

そんな誰もが憧れるスーパースターの栄光なのだ。


 俺はただの影武者にすぎない。俺の描いた絵には俺の存在などどこにもない。


 そう思い至った時、男はついに我慢できなくなる。

あの絵は本当は、自分自身が描いた絵なのだと世間に知らしめたい。

自分自身を認めてほしかった。



 そして男はレイブル美術館に行き、館長にすべてを告白する。

あの絵は、俺が描いた絵なのだと。




 それから一週間が経ち、無名画家の男は逮捕された。



*********



 マルコス氏の絵画が偽物だったというニュースは、またたく間に世界中に広がった。

 

 美術学者たちは口を揃えて男の絵を”凡庸な絵”だと評価を下し、大統領も「あんな絵を国宝にするなど馬鹿げている」と発言した。


 世間の人々は事件が発覚した直後、こぞって男の絵に注目した。だが男の絵に称賛を送る者は誰もいなかった。せいぜいSNSで”ぱっとしない絵”という感想を述べる者がいた程度である。


 そして誰もが男を嘲笑った。承認欲求が暴走した、馬鹿な盗人がいたのだと。


 やがて男の裁判が開かれたる。

傍聴席には、男を好奇の目で見る人々で溢れかえった。

中には野次を飛ばす者さえいる。

お前の絵は、見る価値もない下手くそだと。


「ゴマすり野郎が、俺の絵を好き勝手言うんじゃねぇ!」


 男は被告人席で、叫び散らした。


「お前らが見ていたのは”金”だ! お前らが見ていたのは”地位”だ! お前らが見ていたのは”名声”だ!


 お前らは”絵”のことなんざこれっぽっちも見ちゃいない!

お前らは、”世間の評判”がなきゃ何も見えないイナゴどもだ!」


 男は声の限りに絶叫する。

裁判所には警察官が乱入し、事態は混乱に陥った。


 それでも男は声の限りわめき散らす。

自分の魂を吐き出すように、力の限り主張を続ける。


 だがそんなことをしても、誰の耳にも届かなかった。

冷たい視線が降り注ぎ、男はおかしな罪人としか見られない。

やがて警察官に羽交い締めにされた男は、そのまま裁判所から連れ出される。



 男の絵はその後、誰からも永遠に注目されなかった。

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