第72話 当たり前

「ハジメ、最近元気ないけど、大丈夫?」


 遊園地のベンチで休憩している時にヒメカは俺に言った。


 折角の一か月記念日で遊園地デートをしているというのに、俺の頭からはあの死女神アケミがどこかへ消えてしまったことが頭から消えなかった。


「だ……大丈夫。変な心配させてごめんな。マジで大丈夫だから」


 ヒメカに心配させない様にそう答えたが、ヒメカは少し怪しむような表情で俺の事を見ていた。


「まあ、ハジメがそう言うならいいけど、本当に大丈夫じゃなくなったら、言ってよ。だって、私達って、その……カップル……だし」


 ヒメカは恥ずかしそうに言った。

 俺達はまだ自分達がカップルなのに慣れていないから、気恥ずかしくなっている。


 でも、恥ずかしいのに、気を遣ってそう言ってくれるヒメカは本当にいい彼女だなと改めて思った。


 本当、俺ってバカだな。


 アケミの事は忘れて、ヒメカと楽しむのがきっと、出戻り能力をくれたアケミへの恩返しにもなるだろ。


 パンッ!


 俺は腑抜けた考えをしている自分に活を入れる為に自分の頬を力強く叩いた。

 ヒメカは驚いていた。


「ごめんごめん。さあ、楽しもうか」


 俺はヒメカの手を引いて、近くにあったジェットコースターの方に向かって進んでいった。




☆☆☆




 俺達は手をつなぎながら、同じ最寄り駅から帰った。


 時間はまだ20時だったから、星なんか北極星くらいしか見えなかったが、不思議と温かさを真っ暗な夜から感じた。


「ここまで送ってくれてありがとうね」


ヒメカは彼女の家の前で言った。


「いや、その……か……彼女に夜道を一人で歩かせるわけにはいかないから」

「へへ。カッコつけきれてないよ」

「……今のは聞かなかったことにしてくれ」


 俺は言った。


 すると、ヒメカが急に近づき、俺の唇に彼女の唇を合わせた。


 まるで、この瞬間で時間が全て止まってしまったかのように、風が止まった。


 確かに止まった。あの病室以来の心地よい感触。


 その後、ヒメカはゆっくりと俺から離れた。

 さっきまであんなに顔が近かったのに、今はもう顔を伏せてしまった。

 

 少し肩が震えている。

 だから、俺はすぐにヒメカを抱きしめた。

 それが嬉しさによるものなのか、何なのか分からないが、とにかくそうしたかった。


「ハ……ハジメ?」


 ヒメカが言った。


「こ……これはその、ヒメカが寒そうだったから」


 俺がそう言うと、ヒメカもゆっくり俺のハグに答えるように細い腕で俺を優しく抱きしめた。


 その時、手に何かを感じた。

 ヒメカを抱きしめている手の上を見ると、雪の粉があった。


 でも、不思議と冷たくなくて、温かい。


 それは確実に俺を抱きしめてくれている彼女のおかげだろう。

 ……もう、俺は後悔はしたくない。


「ヒメカ、好きだ。……きっと、ずっと前から」

「……グス、それ……私を真似したでしょ?」

「いや、ちゃんと本心だよ」


 俺はゆっくりとハグしていた手を離した。

 ヒメカも同じく俺の腰に回していた手をほどいた。


 そして、全人生含めて三回目になる口づけした。

 さっきよりも、長く優しくした。この瞬間は確かに時間は俺達のモノになった。


 ……………………なのに、なんでだよ。


 お前が勝手にどっかへ行くなんて俺は聞いてない。


 不思議と涙が零れてきた。

 今まで当たり前を大切にしなきゃと理解していたのに、全然じゃないか。


 ヒメカはそんな俺に気づいたのか、唇を話した後、小さい体で俺を抱きしめてくれた。それは優しく、強く、抱きしめてくれた。


 俺はとにかくたくさん泣いた。まるで、子供に戻ったかのように。

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