如月駅 Ep.6

というわけで、生存者を探すため、再び駅舎へと戻ってくる。ストーブの不安定な炎が、待合室を照らす。狭い空間にアップライトピアノとプラスチックの青いベンチが、パズルのように敷き詰められ、指名手配の顔写真と募金を呼びかけるポスターが肩を並べる。天井から吊り下げられた電光掲示板は『調整中』となっていて、隣の時計も動いていない。


『ガシャン』


「ひゃうっ?」突然の音に振り向くと、窓口のガラスが割れていた。警棒を握った犯人は、ブラインドの隙間から駅員室を覗く。器物損壊、建造物侵入。


「誰もいないようだな」


「課長、びっくりするじゃないですか!」


「クリアリングは大切だ。挟み撃ちにされたら敵わん」


「それはそうですけど……」心臓に悪ので、声ぐらい掛けて欲しい。体温が三度くらい下がった気がする。


もう、嫌になった。嗅覚を代償に払ってもいいから、列車の中に戻りたくなった。そんな心の内を知ってか知らずか、課長は、ずかずか進む。そしてアルミサッシの扉を開けて、外に出る。俺も仕方なしに続く。冷たい風と壁のありがたさが骨に染みる。


「さて、どこから探そうか」警察なら行方不明者の捜索は人海戦術を採るが、今回はその必要はなさそうだった。わざわざ視線を巡らせる必要は無い。真っ黒い世界の中、スポットライトを一身に浴びる電話ボックス。あからさまで安直すぎる、視線の誘導。


『ジリリリリン、ジリリリリン』見計らったようなタイミングで、ベルが鳴る。NHKのドラマの中でしか聞いたことがない古典的な呼び出し音。冷たい空気のせいで、音の波は減衰することなく、どこまでも進む。


「課長、なんか鳴ってますよ」


「電話を取るのは、新人の役目だ」


「えーー……」まじですか。救いをもとめて、黒川に目をやる。頑張れ、というように親指を立ててくれた。


怖々しながらドアノブに指を掛け、それを回す。固まりかけた蝶番が軋む。そして、滑らかな受話器を掴む。スピーカーの口に、耳に当てた。


『精算してください!』突然の大音量に耳が痛くなる。通信料って受信側が払うのだっけ?訝しみつつ、財布を開く。百円硬貨を投入する。明日、経費申請をしよう。 


『精算してください』立て続けに、二枚、三枚と入れる。しかし強欲な投入口は満足しない。


『精算してください』百円玉が切れたので、惜しいと思いつつ、五百円硬貨を投じる。そこでようやく、アラートが鳴り止む。そして機械的なアナウンスが流れる。


『時刻表を希望の方は①を、出口へのご案内を希望の方は②を、………は③押してください。』本当は②を押したかったけど、行方不明者を見つけるまでこの空間から出られなさそうなので、手がかりを求めて③を押す。


スマホが震える。仕事用でなく私物のほう。使いこなせもしないのに買った、割と高いやつ。スリープを解除し、暗証番号を打ち込む。表示されたメールの件名は『縺顔┥鬥』。何が言いたいのか分からない。変なウイルスに掛かったら嫌だと思いつつ、メールを、そして添付の画像jpgファイルを開く。液晶に現われたのは、地図だった。地形なんて要素が存在するかすら分からない、異様な世界の地図。その中心、『如月駅』の文字から蛇のようにうねった青線が伸びている。線の端に⊥の記号と『繧後>縺医s』の文字。ここから、そう距離はなさそうだった。


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俺達は線路に沿って歩く。周囲に民家なんてないのに、住民なんていないのに、電柱に選挙ポスターが貼り付けられて、田んぼにインプラントの広告が立っていた。しばらく歩くと、『広告募集中』が目立つようになり、最終的に文字化けした。雑木林も荒れ地に変わる。


「電話の相手、信頼できるんでしょうか。罠かもしれませんよ」恐怖から逃げ出したい一心で、課長に列車への退却をさりげなく提案する。出口への案内を選択しなかった、過去の俺を呪う。


「かもな。だが、生存者がいる可能性もある。手がかりはこれしか無いんだ。行くしかない」しかし、俺のささやかな抵抗は容易く砕かれる。床に豆腐を落としたみたいに、ベチョッと崩れる。


電話の相手は人にも機械にも思えなかった。そりゃ、ダイヤルに選択肢を割り振ってをプッシュさせる時点で人間のわけはないんだけれども、自動音声では生み出すことができない不気味さ、負の感情を感じた。そして、電話主の声とセリフ、不吉な雰囲気が自動改札の柱と同じだということと気付く。もしかして、電話の相手は……。パキパキと、自分にしか聞こえない音を鳴らして血管が凍る。壊れて自殺回路と化した脳が、手と足をグチャグチャに動かす。


「おお、如月。今日はやるきだな」課長は恐怖心が強い者ほど、お化け屋敷で早足になるのを知らないらしかった。


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恐怖から逃れるため、目と耳からの情報をシャットアウトていると、いつの間にか結構な距離を進んでいた。俺は再びスマホを取り出す。地図アプリではなく、画像ファイルのはずなのに現在地を示す赤いピンが移動して、目的地の青ピンと、重なっている。


そこは、墓地のようだった。『ようだった』と付けるのは、土台の御影石に鎮座するのが、戒名の刻まれた墓石ぼせきではなく、柱のような自動改札機だからだ。それらは例外なく苔むしており、至る所に穴が空いている。花挿はなさしに並々と油が注がれていて、窪くぼんだ水差しに、穴の開いた切符が供えられている。


「何なのでしょう……。この場所は」黒川は誰ともなく問いかける。 


「墓、ですよね……」見れば分かる、我ながら、本質に掠りもしない答え。だが、それ以上にしっくりくる単語は見つからない。壊れた機械達の墓場。用済みになった、がらくた達の廃棄場。


入口のすぐ横。一本だけ生えた灯籠の裏側。一等地に立てられた墓の天板に、線香の束とマッチがこれ見よがしに置いてある。それを手に取る。外箱に無駄に凝った機関車のイラストが描えがかれていた。


「点けろってことですかね……」


「試してみろ」


「ええ……」嫌だなぁ、と思いつつ震える手でマッチの頭を、箱の側面に擦りつける。


マッチが折れる。二本、三本、四本。文明の利器が木片に変わる。そして半ダースのマッチが木屑となったとき、課長は俺からマッチを取り上げた。赤リンが燃え上がり、うやうやしく線香に接吻し、火を渡す。


白い煙が、闇に溶けだす。季節外れの盆の匂いが、鼻の中に広がる。


合掌すべきか迷っていると、目の前に鬼火のような、青い光が灯った。


『精算してください』


「うわぁおっ?」


課長はホルスターから拳銃を引き抜く。乾いた銃声。倒れる改札機。青い光が消え、穿かれた穴から覗くコードが、バチバチ火花を散らす。


「怪我はないか?」


「はい。ありがとうございます……」安堵のため息。だが、肺の中の空気を吐ききる前に……


『『精算してください』』大きく息を吸ってしまい、過呼吸を起こしそうになる。次々目覚める青い目が、狼の群れみたいに俺達を睨む。


「退ひいた方がよさそうだ」課長は俺と黒川の手を握り、走り出す。自動改札は追ってこなかった。

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