如月駅 Ep.3

怪異対策庁の車庫。重機にパトカー、そして戦車が肩を並べる博物館のような空間。ここの館長は長官でも課長でもなく、気さくで少し品のない馬場先輩だ。元は交通機動隊の所属で、怪異対策庁の車両管理は彼の担当らしい。庁舎にいないときは、いつもここにいるはずなのだが、先輩の姿はない。


「先輩、いませんか?」試しに呼びかけてみる。


「おう、どうした」自分で声を掛けておいてなんだが、返事が帰ってきたことに驚いた。


声の方向には、ジャッキで持ち上げられた装甲車。その底面から足が生えている。車と床がつくる狭い空間から這い出る先輩の姿は、まるで隙間男だ。人間が入れるようなスペースではない。


「課長から伝言です。合否報告書を早く出せと」


「オイル交換だけさせてくれ。女と一緒で、ほっといたらすぐ機嫌を損ねちまうんだ」先輩は装甲車のフロントを指で弾はじく。不機嫌な猫が鳴くみたいに、金属音が響く。彼の足下には整頓された工具箱。ラジオペンチや六角ペンチが行儀よく並ぶ。意外と几帳面だ。


「そうだ、如月。試験はどうだった?」何が起こるか分からない妖怪退治。特殊な技能はあった方が得ということで、怪異対策庁は研修や資格所得制度が充実している。俺はそれを利用し、二週間、業務から外れていた。今回、受験したのは第一種普通免許。試験代や講習料は対策庁もち、という太っ腹だが、それだけに落ちるわけにはいかなかった。いかないはずだった


「だめでした」学科試験は難なく合格した。しかし、実技が鬼門だった。まず、卒業試験開始と同時にエンストを起こした。それだけなら、まだ挽回できる可能性もあったのだろうが、急ブレーキ、速度不足、一時不停止と失敗が続き、縁石に擦ったことで落第が決定的なものとなった。これで、通算五度目の不合格。


「なんで、オートマにしないんだよ。お前の運転する車には乗りたくないな」先輩は笑う。


「課長にも言われました」


「落ちた理由を教えてやろう。お前は、車の気持ちを分かってねぇんだ」先輩の指が、愛撫するよう車体を撫でる。光沢を帯びたワックスが妖しく光る。


「気持ち、ですか」


「そうだ。俺達が車を運転するんじゃねぇ。俺達が車の感情を読み取って、運転させていただくんだ」彼の、乗り物への偏愛に凄まじいものを感じる。そのうち装甲車に命が宿り、足が生え、思考戦車シンクタンクになるのではないか、と思う。


「そう言う先輩はどうなんですか?」会話の話題が車になると演説、もしくはイチャつきが永遠と続くので、今のうちに元に戻す。


「もちろん、愛してるぞ。どのくらい愛しているかというとだな……」


「そっちじゃなくて、合否です」


「受かったぞ」


「マジすか」先輩は普通免許はもちろん、けん引免許、大型特殊、そして船舶免許まで保持している。そして今回、先輩が所得したのは『甲種内燃車運転免許』。金箔で書かれた文字が眩しい。


「そう落ち込むなって。空手のインター杯で、優勝もしたんだろ。お前にもできることはあるさ」持てる者の言葉は、持たざる者には響かない。それに、怪異相手に素手で戦いたくない。


「なんでまた、電車の免許なんかを?」言葉に少し嫉妬が混ざるが、純粋に疑問だった。 


「電車じゃなくて、列車だ。対策庁には元国鉄の爺さんがいたんだが、ヘルニアで退職が決まってな。で、俺に白羽の矢が立ったってわけだ」先輩は人差し指を立て、自信のこめかみに当てる。


「使う機会、あるんでしょうか」


「ないに越したことはないさ」そう言いながらも、先輩の口元に堪えきれない笑みが溢れる。早く、列車を運転したいことが、丸わかりだった。


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招集が掛かったのは、その日の夕方。定時間近で、受付さんが帰る準備をしていたときだ。彼女は心底悲しそうに、時間外労働を嘆いていた。怪異対策二課のメンバーは、ピカピカになった装甲車に乗り組んで、現場に向かう。


「今回の怪異は、どんなやつですか」俺は首筋に触れた『手』の冷気を思い出し、身震いする。


「こいつだ」ポケットの中でスマホが震える。私物ではなく、業務用の安いほう。スリープモードのスマホを起こすと、課長から一通のメールが来ていた。添付の動画ファイルを開く。


それは、監視カメラの映像のようだった。揺れるつり革と紫色の座席から、電車の中であることが分かる。長いシートにスーツ姿の女性が一人。疲れているのか両耳をイヤホンで塞いで、うたた寝している。画面の右端で、撮影時刻が秒きざみで増える。  


一瞬、液晶画面に砂嵐が吹き、映像が乱れた。そして何事もなかったかのように、カメラは再び車内の様子を映す。女性の姿は消えていた。


「電車の乗客が、神隠しに遭う事件が多発している。いずれも、遠州鉄道の走行区間内だ」課長は動画再生が終わると同時に言う。


「神隠しって、子供に起こるイメージでした」


「今回は高校生も三人、行方不明になっている。子供と呼ぶには微妙な年齢だが」課長は角張った顎に手を当てる。薬指に銀の指輪が嵌まっていることに気付く。


「課長、ご結婚なされてるんですね」


「ああ」いつも通りの無愛想な返事。


「お子さんは?」


「いた」


「えっと……」もしかして、地雷を踏んだか。


「今はいない」


「すみません」どう答えていいか分からず、取り敢えず謝る。


「何年も前のことだ」その言葉の底に、色のない悲しさが沈んでいるように思える。 


「その言い方じゃ、勘違いしますよ。離婚して、嫁さんに親権取られたってだけの話だよ」先輩が言った。いったいどうすれば、運転しながら会話をするなんて器用なことができるのだろう。


「ああ……。そうだが?」課長は俺が不思議がるのを、不思議そうに見る。


「課長の子供が死んだって思ってるんすよ」そして驚いた表情になる。こっちが驚きたいよ。


「生きてる。今年、二十四……のはずだ。おそらく」


「子供の年齢くらい覚えてあげてください。だから、嫁さんにも逃げられるんです」あっけらかんとした口調と雰囲気で誤魔化されてはいるが、先輩の言葉はナイフというより刀だ。オブラートに包んだ刀剣正宗。


「お前だって家族の年齢とし、覚えてないだろ」


「母親が六十五、父親が六十九、弟が二十四、飼い猫が十一歳」先輩は一切のよどみなく答える。


「すごいな、お前」


「それぐらい、当たり前です。なぁ、黒川」


「はい!」試しに母親の年齢を思い出そうとする。そして、試みは失敗に終わる。最後に誕生日プレゼントをあげたのは、いつだっけ。刀の閃光が、俺の心をぶった斬る。


「それにしても、いつもより揺れが激しいな。とうとう、ガタが来たか?」ばつが悪くなったからか、課長は露骨に話題を逸らす。だが、言われてみればそんな気がしてくる。アスファルトの上を走っているはずなのに、重い車体はジェットコースターのように揺れる。尻が何度も座席に叩きつけられ、痔になりそうだ。


「嫉妬してるんですよ」


「嫉妬?」意味が分からず、言葉を繰り返す。


「俺が列車の免許を取ったから」


「そんなわけ、ないっすよ」俺の言葉に機嫌を損ねたように、装甲車が揺れた。 

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