如月駅 Ep.4

怪異対策二課が訪れたのは、遠鉄百貨店の最上階。遠州鉄道本社だ。大会議室に見知った同僚と重役の老人達が並ぶ。部屋のムードは最悪で、ガソリンを撒いたように空気が重い。課長と取締役が火花を散らし、睨み合う。


「突然、そんなことを言われても困る。都会なら代替手段なんていくらでもあるかもしれんが、遠州鉄道は市民の足なのだ。止めるわけにはいかない!」取締役は机を叩き、その勢いで立ち上がった。重役達が首肯する。


「その市民の代表である議会が、代執行を決めたのです。事前に指導や勧告はありましたよね。急な話ではないはずです」重役の一人がうつむく。


「我々だって、やれることはやりました。寺の住職にお経を読んで貰ったり、駅に塩を撒いて貰ったり」専務の名札を付けた男が言う。


「しかし改善はされなかった。尚も行方不明者は増え続けている」沈黙が部屋を満たす。ピリピリした緊張ではなく、どれでけ議論を重ねても結論は変わらないという諦観からくる静寂。


「遠州鉄道株式会社の保有する路線全域に対し、行政代執行法第二条、及び第七条により行政代執行を開始します。運行休止にご協力ください」


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半分に切断された月が、夜に浮かぶ。血色の悪い肌みたく青い月光が、列車基地と転車台を照らす。マジシャンが箱を開けるように、ゆっくり、焦らすように車庫の扉が開く。四角い闇から飛び出すのは、三両編成の列車。軋んだ音を鳴らし、転車台に向かう。一両目はよくあるタイプのディーゼル車、二両目は棺桶みたいな鉄の箱、そして三両目が……。


「何ですか、あれ?」平たい台車に、千年樹を切り出したような極太い筒が載っている。台車からはみ出てたそれは、月光を鈍く反射させ、淡く輝く。


「九〇列車砲。第二次世界大戦の頃の産物だ。博物館の展示品を、対策庁が引き取った。すげぇだろ?」先輩は先頭車の運転席から降りると、運動会で一等を獲った我が子を自慢する父親のように、言う。


「へーー、スゴいですね」


「気のない返事だな。男なら普通、憧れるんじゃねえのか。こういうの?」先輩はへそを曲げるが、俺にロマンは分からない。


「現存車両があるなんて、知りませんでした。写真、撮ってもいいですか?」代わりに黒川が目を輝かせた。意外な趣味だと思ったが、彼女が自衛官だったことを思い出し、納得する。


「肝心の大砲は、自衛隊の払い下げだがな。さあ、乗れ。出発するぞ」のっそり回る転車台が静止する。分断された線路が繋がった。


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待避線で暇を持て余す客車を傍目に、厳いかつい列車は夜の街を走る。北に向かうにつれ、ライトアップされた広告看板が、続いて街灯が少しずつ灯りが減っていき、今は列車のヘッドライト以外、光源はないように見える。


俺と先輩は、運転席に立っていた。椅子はないので、かれこれ二時間、立ちっぱなしだ。黒川は運転席に乗れないことを悔しがっていたが、大砲には彼女が必要なので仕方が無い。


「幽霊列車事件って知ってるか?」列車砲の歴史、魅力、活躍、そして衰退を一通り説明し終えると、先輩は切り出した。


『幽霊列車事件』。俺がまだ、大学生だった頃に、話題になっていた気がする。しかし、肝心の事件の内容は思い出せない。


「名前だけは」


「怪異対策庁が発足する前、車両が丸々一両、消える事件があったんだ」


「どういうことですか?」言葉を映像に変換しようと試みるが、全くイメージが湧いてこない。


「八両編成の電車が、七両になって帰ってくる。車両基地に戻ってくるまでで、だれも気付かない」そんなこと、あり得るだろうか。プラットホームの三角マークと列車の台数が合わなければ、誰かは気付きそうなものだし、それを車掌が見逃すとは思えない。


「誰も、そんなの気にしんよ。狙われるのはワンマン列車ばかりだから、車掌もいないしな」今日の朝、乗った通勤電車は何両編成だったけ。脳のストレージを検索するが、全く引っかからなかった。


「首都圏の鉄道警察隊のほとんどが、捜査に駆り出された。そして、一つの法則性を見つけた」


「法則性。ですか」


「ああ。列車が消失する直前、時刻表にないはずの列車に追い抜かされるんだ」


「そこで、こいつの出番だ。その電車に榴弾を叩き込んでやったのさ。武器弾薬を蓄えた貨物車を持ってかれたが、それ以来被害がなくなった」先輩は又聞きだがな、とつけ加える。


先輩の得意げな笑い声と、巨人の心音みたいなディーゼルエンジンの振動音に混じって『ザザザッ』と掠れた音がする。虫でも入り込んだのだろうか。視線を振るが、狭い車内に俺達以外の影はない。


「どうした?キョロキョロして」


耳を澄ましていると、突然、音楽が流れた。聞いたことがなくても、電車の到着メロディーだと分かる、軽快だが温かみに欠ける音。そして……。


『本日も、遠州鉄道を、ご利用いただき、ありがとうございます』単語と単語の間を必要以上にとった、不自然なアナウンス。先輩は運転席から生えるレバーを引く。急ブレーキのせいで、ガラスに頭をぶつける。


『次は、きさ…ぎ、き…らぎです。お降りの方は、お間違…のないよう、ご注意ください。ご注意ください』くぐもった声は聞き取りにくいが、『ご注意ください』の部分だけはっきり聞こえるのが、嫌だ。


『キーーッ』車輪の苦しみを代償に、列車はみるみる速度を落とす。景色の流れが緩やかになり、風景が完全に止まる。


「課長、目的地に到着したようですぜ」先輩は無線機に空いたマイクの穴に、言葉を練り込む。


『そうだな』課長の太くて低くい声は、ノイズに交じって聞き取りづらい。


「どうします?ここじゃ、射角が通じんでしょう。少し後進しましょうか」


『ああ。2キロくらい下がってくれ』


「了解」


『あの、課長……。変な音しません?』無線超しでも黒川の声は透明で、静かな夜によく響いた。俺は目を瞑り、耳の穴を大きくする。


それは、ピアノの音だった。調律されていない、濁った泥みたいな灰色。一流のピアニストに演奏されたとしても、人に恐怖以外の感情を与えられない、歪ひずんだ不協和音。


「先輩、あれ!」ホームを挟んで反対側の無人駅、その窓の向こう側に影を見つけ、それを指差す。ピアノも影も黒く、その輪郭は曖昧だが、確かに『ナニカ』が蠢いている。『ナニカ』が鍵盤を叩いている。


「うわぁぁぁあああ!」俺は悲鳴をあげた。声帯がダメになって、これから死ぬまでダミ声で過ごすことになっても不思議でないくらいの音量で。声は金属製の車体をすり抜け、後ろの車両に乗る課長達にも届いたようだった。


『どうした?なにが……』


「窓に、窓に、窓にっ、お化けが!」課長の言葉を、トランシーバーの送信ボタンを押して遮る。なのにパニックで、言葉が出てこない。


『ああ?どうした』


「駅舎の窓に、人影があります」代わりに先輩が説明してくれた。吟味するような沈黙が流れる。そして……。


「分かった。見に行ってみよう」後ろでガラガラと、扉が開く音がした。続いて、運転席の鉄扉が叩かれる。窓の外には課長と黒川の姿。


えっ、うそ……。


なんで、このタイミングで降りるのか?

この人達に恐怖心はないのか?

なにかあったら、どうするつもりなのか?

俺は思わず、後ずさる。


「なにしてる?早く来い」


『断る』と言いたかった。しかし俺にそんな度量はない。まごついている間に、先輩が運転室の扉を開けてしまった。エアコンで生暖かくなった空気が、冷たい秋に浸おかされる。踏切の警報が、仏壇の鐘みたいに、尾を引いて漂う。


「馬場は待機だ。運転手になにかあっては困る」


「了解」


「なにかって、なんですか?」俺は怯えた目で、課長と先輩を交互に見る。




「つべこべ言わずに、行ってこい!」先輩は俺の背中を押す。段差に足を取られて、転んだ。

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