第2章 過去からの来訪者

第2章1話 主人でも奴隷でもなく……

 冷たい朝露の垂れる音が聞こえるほど空気の澄んだ朝、メルはかすかな物音で目を覚ました。


 夜が明けきらない窓の外は薄暗い。

 ベッドの向こうに視線を転じると、見慣れた金髪の青年が旅支度を終えて外套マントを着込んでいる。メルが起きているのに気付くと、蒼氷アイスブルーの瞳が気遣わしげに揺れた。



「……悪い、起こしたか」


「アスター、お仕事……ですか?」


「昨日、急に決まってな。カルドラに行く隊商の護衛仕事だ。……またしばらく宿をあける」



 そう……、とメルはつぶやいた。

 微笑んだつもりで、失敗した。まだ覚醒かくせいしきらないさみしげな顔を、はっきり見られた。


 宿を出ようとしたアスターは、メルのいるベッドに歩み寄った。無造作にくしゃりと、メルの髪を掻き混ぜる。



「ア、アスター?」


「ついていきたい、とか思ってるんだろ」


「……。ごめんなさい。私が、魂送たまおくりができれば……」



 メルはうなだれた。

 こうしてリビドの町にたどり着くまでにも、何度も言っていた台詞だった。

 私が魂送りできれば、アスターの助けになったのに……と。


 でも──

 あのときとは、意味合いが違った。


 かつてメルが魂送りできなかったのは、亡者に立ち向かうことへの恐怖ゆえだった。


 亡者との戦いに身を置くことの怖さ。逆をいえば、それさえ乗り越えてしまえば、亡者の魂を慰める歌を奏で踊ることはできた。


 今は、どうやって魂送りしたらいいかがわからない。

 こんなことは、今まで一度もなかった。

 息をするのや歩くのと同じぐらい、当たり前にやっていたのに……。


 心臓が、ぎゅっとわしづかみにされたように痛んだ。


 わからない……。

 わからなくなって、しまった。



(今までどうやって魂送りしてたんだっけ……?)



 我知らずブランケットを握りしめたメルに、アスターが言った。



「カルドラに行ったらイリーダ聖堂長にも訊いてみる。何かわかるかもしれない。メル、おまえも──」



 一緒に来るか? と言ったアスターに、メルは顔を上げて……結局は、かぶりを振った。



「……いい。お仕事でしょ。私が行っても足手まといになるの、わかってるもん」


「あんまり思いつめるなよ」


「でも、魂送りができなかったら、私……っ」


「……。……それが『普通』ってことだ」



 ──……普通。「普通」って?



 うつむいたメルの髪を、アスターがもう一度、くしゃりと混ぜた。胸に迫る優しさに、泣きたくなった。


 アスターは、メルの主人ではない。

 親子でも兄弟でも……友達や恋人同士でも、ない。


 じゃあ、この関係って何だろう?


 魂送りをしないのなら──

 亡者と戦うための相棒パートナーでもないのなら……。

 私、アスターにとって、何なんだろう……?

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