第1章4話 花形女優

 アスターの護衛仕事についていくのは、リビドの町に来て以来だった。


 正確にいえば、パルメラに雇われて──アスターは無償奉仕ボランティアだったらしい──隊商の馬車に乗せてもらってから初めてのことだ。自然と、緊張で引きしまる。


 メルは鞄に水や乾パンといった携行食糧や着替え、万が一のときのための薬や包帯などをめて何度も見直した。

 最後に、腰のベルトに魂送りの杖をさすのも忘れない。



(…………よし)



「メル、そろそろ出るぞ」


「うん……っ」



 自然と速くなる心臓を押さえ、何気ないふうを装って、宿を出るアスターの隣に並ぶ。


 旅姿の外套マントの下に剣を帯びた青年の横顔は、いつもと変わらない。声だけが少し気遣わしげな響きを帯びていた。めずらしく。

 メルが亡者との戦いに出ることを、確かめるように。



「……本当に、いいのか?」


「大丈夫。私も戦うって決めたから」


「……」



 メルの内心の不安を見透かしたように、蒼氷の瞳が揺れる。


 …………本当は。

 少しだけ、迷ってる。


 アスターが、メルが役に立つからそばに置いてくれているわけではないってことも、わかっている。

 だから、これはメル自身の問題だった。


 そばにいる理由がほしい。

 肩を並べられる自分でいたい。

 アスターのそばにいて、恥ずかしくない自分に……。



「亡者が出たら、俺の後ろにいろ。絶対、前に出るな」


「はい……っ」



 アスターの隣を歩いて、朝ぼらけの冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 そんなメルの気負いは、護衛する馬車の雇い主の問いで再び揺れた。



「──え。このお嬢ちゃんが護衛?」



 気のよさそうな青年だった。

 茶色いベストは上等で、どことなく品がいい。縁の細い丸眼鏡の奥で、気弱そうな瞳がぱちりとまたたいた。



「……って言われても」


「邪魔にはならない。……保証する」



 アスターの言葉に、丸眼鏡の青年はメルの足枷と、腰にさした魂送りの杖との間で視線を行ったり来たりさせた。


 本来なら、神聖な巫女がする魂送りを、素性の知れない少女がするという時点で戸惑うのも無理はない。


 ……そこへ、男のやりとりを背後で見ていた小柄な人影が進み出た。



「私、嫌よ。奴隷と一緒に馬車に乗るなんて。マネージャー、なんとかして!」



 不遜ふそんな物言いにアスターが目をすがめたのもつかの間、砂よけの外套の下から現れた可憐な顔立ちに、メルはぽかんとなった。


 ついこの間、舞台で見た顔だった。


『河のほとりの恋人たち』の舞台の上で、あるときは恋人の死を嘆き悲しみ、あるときは忘却レテの河を守る聖女アウグスタと取引までしてみせた──彼女の蠱惑こわく的な唇からつむがれる歌に、舞台衣装ドレスからのぞく華奢きゃしゃな手足からは考えられないほど華麗に舞い踊る姿に、メルは引き込まれたのだった。


 アスターが何かを言う前に、メルが頬を上気させて叫んだ。



「リゼル役の子……! 本物ー!?」


「……な、何よ。あなた、私を知ってるの?」


「うわわわ、どうしよう! アスター、どうしたら……」


「…………」



 見ていたアスターは、怒るタイミングを失った。


 もはや尊敬の眼差しを向けているメルに、少女がたじたじとあとずさった。当のメル本人は、ついさっき奴隷呼ばわりされたことなど空の彼方に吹っ飛んでいる。


 マネージャーだという青年が少女たちの間に入ってとりなした。



「フレデリカ、もう出発しないと次の公演に間に合わないよ。護衛を選び直してる時間はないんだ。少しの間だから辛抱しんぼうしてくれ。ね?」


「…………ふん」



 リゼル役の少女──フレデリカは、胸にたまった不服をため息で逃がした。


 ──少女の名は、フレデリカ・フローレン。

 まさしく、花形女優トップアイドルだった。


 弱冠十六歳にして、主演した舞台ミュージカルは数知れず。

 毎年行われる主演女優賞の表彰には必ずと言っていいほど候補指名ノミネートされ、うち数回は、実際に受賞にしている。



「……そんなヤツが、なんでまたこんな急ごしらえの馬車なんかに乗ってる?」



 隣町であるローグに向かう馬車の中──

 いぶかしげに訊いたアスターに、フレデリカはみどりの瞳をまたたいた。



「仕方ないでしょ。他のみんなはひと足先に次の町に行っちゃったんだから。私だって嫌よ。あなたたちみたいなこんなどこの馬の骨ともわからない護衛たちと同じ馬車に乗るの」


「ご、ごめんなさい……」


「メル、謝るな」


「で、でも! アスターはどこの馬の骨じゃないですっ。ノワール王国にいたときは、ちゃんと貴族で……」


「……『ノワール』……?」



 あの滅んだ王国……とつぶやいて、フレデリカはばつの悪そうな顔をした。


 その横顔も、整って美しかった。

 やわらかな金色の巻き毛の下にのぞく碧の瞳はカールを描くまつげに縁取られ、仕立てのいい桃色のワンピースからのぞく真白い肌が、人形めいた美しさで彼女の美貌びぼうを引き立てている。



「あ、あの」


「だから、何よ。私、奴隷と話すのは──」


「ササ、サインくださいっ」


「…………」



 フレデリカは、目の前でサインをねだってきた年下の少女と、その足首にはまった足枷と、半ばから断たれて脚に巻きつけてある鎖とを代わる代わるにながめた。

 ……てっきり断られるかと思ったら。



「……色紙は?」


「し、色紙? ……ない、です。えっと、書くもの」



 慌てて鞄の中身をひっくり返して、メルはあるものを見つけた──差し出した舞台ミュージカル鑑賞券チケットが自然と震えた。



「こ、この裏に……っ」


「……。あのね。紙だけあっても」


「?」


「羽根ペンもインクもないでしょ……」


「あぁ!?」



 この世の終わりみたいな顔で青くなったメルに、見ていたアスターはひそかに天をあおいだ。

 ──……と。



「…………来た」


「え?」


「……──っ」



 幌の外を厳しく見すえて、アスターは剣の柄に手をかける。表情を引きしめたメルに指示を飛ばした。



「メル、そいつを安全な場所へ」


「うんっ」


「え? ちょっ……!」



 そいつ呼ばわりされたフレデリカが目を白黒させる。

 アスターは、かまわず戦いに繰り出した。

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