④
僕は館内を色々と見回ったが、あまり惹かれるものは、無かった。そうこうしている内に、かなり奥の方まで来てしまった。その聳え構えからは想像出来ぬほど、館内は広々としていた。僕の頭は上を向いていた。首が疲れていた。下を向いたが矢張り疲れている。僕は少し先の中央にあるベンチに腰をかけた。そうして、目の前にある絵画を見た。ルネ・マグリットの人間の条件だ。洞窟の中には火が焚かれ、外の景色に似せて描いたキャンパス画が置かれていた。向こうの山肌には、城のようなものが微かに覗える。お前の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ。人間の条件を眺めていると、そんな、いつか読んだ本の一文が、浮かんできた。人間は決して、真理などには行き着かない。地球という環境下で養われた知性は、真理などいうものを直視できない。地球に限った事では無いのかも知れないが…。凡てが、わたくしというものの持つ認識に依拠している以上、真実に沿うという必然的な働きしか出来ない。僕はこの絵を見て、授業で教わったことが、瞬時に了解された。
天地開闢の轟音とどろく僕と絵画との距離、そして絵画そのものの表面の質感。
僕は時間を忘れ、その絵を眺めていた。
ある瞬間、僕は目を瞑った。そのまま、体が揺れたのは分かった。それ以外の記憶は無い。ただ、ある満ち足りた、永遠のようなものが、生々しく感じられたのである。
僕は多分、目を開けたのだと思う。でも、視界は暗黒に覆われていて、何も見ることが出来ない。それでも、確かに瞬きはしている。僕は立ち上がろうと床を触ったが、まるで感触が無かった。指をうちに折り曲げ、じっとしていると、手の中にザラザラとしたものが感ぜられた。暫くして瞬きと同時に前を向くと、暗闇は破られ突き抜けた空が顕れた。僕は砂漠と草原の交じり合う場所に座っていた。きょとんとしているのを自分でも認識しながら、その不思議さに手を差し伸べられたかのように、僕は立ち上がった。僕が最初の一歩を踏み出すと、向かいからものすごい強風が吹いてきた。砂漠の方では、くるくると、軽薄なつむじ風が起こっていた。恐る恐る、また一歩を試みると、何も起こらなかった。偶然であったのだろうか。暫く歩くと、建物が見えた。アメリカの田舎にありそうな建物だ。あたりには、美味しそうなマーマレードの香がただよっていた。なぜ世界は雲を浮かべない。なぜ開けた空だけがあるのか。鳥の囀りが聞きたい。それでも、音が無かった。音が欲しかった。その時ほど、人生で音楽を渇望していた時はなかったと思う。
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