僕は芝を踏みしめながら、歩みを進めた。向こうからは、柔らかい、窮屈そうな風が吹いてくる。爽やかな樹皮を携えた樹は、いつしか倒れてしまうことに、何の不満も無いようだ。そして、突き抜けた空に、蒼緑りょくりょくとその照りを捧げている。


 「おお、お前さん何所のもんだい…」

僕は何処からかする老人の声を聞きつけた。


「お前さん、こっちだ、こっち…。」

僕は樹のある家の二階の窓を見た。そこには、70代くらいの老人がいたのだ。

顎髭をのばしており、どこか、ヘミングウェイの面持ちが漂っていた。


「はい…。あの、ここ何所ですか?」

僕は少しの沈黙を介し、老人にたずねた。


「世界じゃよ…。それ以外に言うことはあるかね…。」


「あの、家には誰か住んでいるのですか?」


「うーん、あの家か…、あの家には、女の子が住んでいるんだよ。15才くらいの、ちょうど君くらいの年頃の子だよ。」


「最近、このあたりは、静かでね…。」


「確かに、音ひとつしませんね。」


「ふむ。君の聞いてきた音とは、どんなものなんじゃ。」


「どんなもの…ですか…?」


「そうじゃ…。」


「そんなことを、言われましても、言葉では言えませんよ。」


「うーむ。」

老人は最後に、ありがとうとだけ言い、窓を閉めた。僕はあの家に向かった。


「ごめん下さい…。どなたかいらっしゃいませんか?」

僕はドアをノックしてそうたずねた。

硬いドアだった。確かに僕の手が否応ない慣れた苦しみを味わっていた。


「はーい…。」

ドア越しに伝う足音で僕の未知への焦りは増幅した。


「はーい。何のご用でしょうか?」


「あの…、先ず端的に申しますと、ここがどこなのかをお聴きしたいのですが…。」


「ここ、ね…。あなたにとっては、もうひとつの世界になるかもね…。」


「どう言う事ですか?」


「あなたは北に来た…。ここには私と、カートって言うお隣さんしかいないもの…。」


「あの、お爺さんですか…。」


「うん…。もう、そんなに…。いや、何でも無い。兎に角、あなたは人間の形で、北に来た…。他の者たちは、人間の形では北には来られないの…。常に何かに変わってもたらされるから…。だから、あなたはこの世界の人間じゃないのよ…。」


「…そうですか…。」


「まあ、兎に角、中に這入って!」


僕は彼女に促され、おじゃますることにした。入り口近くに置いてある本棚には、フランス文学の傑作が並んでいた。紙の本を見るのは、博物館以来だった。左手にはおかしな形をしたピアノが置いてある部屋があった。こっちよ、と彼女は右側の部屋に僕を案内した。僕は椅子に腰掛けた。とても、ふかふかな椅子だ。紅茶でも淹れましょうか、と彼女は奥へと消えていった。

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