第11話 魔王の囁き再び

 自宅に帰った根岸くららは夕食を食べたあと、受験勉強をしていた。

 模擬試験で志望校の判定はAであった。よほどのことがない限り、大丈夫だろうという担任の高本の言では有るが、油断は大敵だとくららは思っている。有人とともに大学に行きたかったが、それは詮無きことだ。

 有人は母子家庭できっと母親のことを助けたいのだろう。

 そういうところが素敵だとくららは思う。


 有人との出会いは高校一年の初夏であった。

 図書委員となったくららは書籍を本棚に戻す作業をしていた。

 脚立の一番上に乗り、背の高い本棚に書籍を戻す。その時あやまって足をすべらせてしまった。

 床に落ちて身体を打ち付けてしまうと思った瞬間、硬くてたくましい腕に抱きかかえられた。

「大丈夫?」

 その人はくららをお姫様抱っこして、そう訊いた。

 それが有人だった。

「脚立の一番上に乗るのはあぶないよ」

 彼はくららの顔をのぞき込む。

 その彼の顔を見て、くららは心臓が早鐘を打つのを感じた。体温が一瞬にして高くなる。

「あ、ありがとう……」

 どうにかその言葉を吐き出すことができた。

「怪我しなくてよかった」

 そう言う有人の顔を見て、王子様だとくららは心の底から思った。

 実際有人はファーリア王国の王子なのだが、それはくららの知らないことであった。

 あの時のことを思い出すと今でも下半身の奥底がじんわりと熱くなる。


 おっと受験勉強をしなければ。

 また妄想にふけりそうになる自分に喝をいれ、くららは参考書に集中する。

 それにしてもあの牛乳女うしちちおんなは気に入らない。妹だかなんだな知らないが、私の王子様を横取りするなら、絶対に許さない。


 あのエルフの子娘が許せないか。

 カリカリとシャープペンをノートに走らせているくららの耳元に女の声が聞こえる。

 その声は甘美で思わず聞き入ってしまうものだ。


 くららは驚き、周囲を見渡す。

 しかし、この乙女チックなくららの部屋には自分しかいない。

 受験間近でナーバスになって幻聴でも聞こえたのかしら。

 下品な男の欲望をそそるようなエルフの淫売が邪魔なのだろう。どこかに消えてほしいのだろう。

 その声ははっきりと聞こえる。

 姿形は何処にも見えないが、たしかに聞こえる。


 まあ、そうね。あの耳が尖った牛乳女は邪魔だわね。私と有人君の間には必要無いわね。

 くららは思わずその声に応えてしまう。


 そうだろう。そうだろう。

 私ならあの男に尻をふるだけの下品な女を亡き者にする力をおまえに与えることができるぞ。

 一言力が欲しいと言えば、おまえにその力を与えてやろう。


 その言葉を聞き、くららははーっとため息をつく。

「いらないわ。たしかに牛乳女は邪魔だけど、あんたみたいな理由のわからない存在の力なんか欲しくないわ。それにさっきからなんなのよの、人のことをおまえって」

 いらつきながらくららは言った。


 何だと、おまえ力が欲しくないのか?

 エルフの子娘をこの世からいなくすることができるのだぞ。そうすれば想い人はおまえのことだけを見るだろうて。


「はーだからうるさいな。勉強の邪魔だわね。だから人のことをおまえって言うなっての。精神エネルギー生命体の分際で私に指図すんなっての。仕方ないわね。久しぶりにあれになるか」

 くららは充電しているスマートフォンを手に取る。充電コードを抜き、電源を入れる。

 とあるアプリを立ち上げる。

 そのアプリは魔法少女マジックガールピュアトライアングルというものだ。

 アプリの画面には白い狐に似た可愛らしいキャラクターが写し出される。

 くらら久しぶりだね。

 スマートフォンから声がする。

 その声は可愛らしいアニメ声だった。


「玉藻、ちょっと邪魔者を排除するわよ。ドリームワールド構築。奴を招待してあげなさい」

 くららはスマートフォンの画面にそう告げた。

「わかったわ、くらら。久しぶりに腕がなるわね。さあドリームワールドへようこそ!!」

 玉藻と呼ばれるキャラクターの声がスマートフォンから発せられた直後、くららの身体が眩しい光につつまれる。


 世界は一変する。

 くららの乙女チックな自室から広大な図書館へと変貌した。見渡す限り本棚の柱が存在する。

 くららの姿も変わっていた。

 彼女は紫を基調としたフリルつきのミニスカートにレオタードに似た服を着ていた。腕はノースリーブで白い二の腕が見えている。

 手には黒革の分厚い魔導書が握られている。

 どこからどう見ても、誰がどう見ても正真正銘の魔法少女にくららは変身していた。

「愛と夢を守る魔法少女マジックガールピュアクラリス!!」 

 図書館に響き渡る大声でくららは叫ぶ。

 そう、くららのもう一つの顔は魔法少女だったのだ。正確には元魔法少女である。

 三年前に夢を喰らう妖魔ドリームイーターを倒して以来、魔法少女にはなっていない。

 

 かつかつとヒールを鳴らしながら、くららいや、魔法少女クラリスは図書館の中を歩く。

 玉藻の能力であの声をこの世界に閉じ込めているはずだ。

 くららは精神を集中し、あの誘惑してきた声のエネルギーの所在を探る。


「見つけたわ。このクラリスが作った世界から逃れられないわよ」

 そう言い、にやりと笑いながらクラリスは本棚の森を歩く。

 そして見つけた。

 ねずみ色のローブを着た幼女をである。

 赤い髪に痩せこけた頬をした幼女であった。年の頃は五、六歳といったところか。髪と同じ色の瞳でくららのことを見ていた。

「おまえ、何者だ」

 その声はさきほどから脳内に語りかけていた甘美な声と同じものだった。幼女の姿から発せらたので、滑稽だとくららは思った。


「私は愛と夢を守る魔法少女クラリスよ」

 再びそう名乗りくららはピースサインをして、それを右目のあたりにあて、ウインクした。


 

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