第3話

「ねえ、ロミーナ。ロミーナってば!」


 目を瞑っていたせいで、寝ていると勘違いをされたらしい。勘違いしたまま去ってくれればと期待しなくもなかったが、見過ごされずぐらぐらと肩を揺すぶられて起こされた。

 ロミーナを気にかけてくれている、同じ芸術専攻の友人。男爵令嬢ヴィルジニア。可愛いらしい顔立ちを心配そうにくもらせて、ロミーナの顔をのぞきこんできた。


「まだ謝る気にならないの? 今日の授業ね、予定外なのにポーラ先生が顔を出してくださったから、私思い切って聞いたのよ。ロミーナのこと怒ってますかって。そしたら怒ってないけど謝ってもらわないとけじめがつかないからって言ってた。謝りなさいよ」


「何を……?」


 ロミーナが目を瞬いて聞き返すと、ヴィルジニアは「もうっ」と唇をとがらせた。


「せっかくポーラ先生に才能を認められたのに、つまらない意地を張っている場合じゃないわよ。ここで逃げ出したら、あなたは一生画家にはなれないって言われちゃったじゃない。逃げないで、先生の指導を一度謙虚に受け止めるべきだわ。そのためにも、まず謝罪を」


「自分の絵を赤く塗り潰されるのが、指導を受け入れること?」


 善意に満ちたヴィルジニアの提案がいまいち理解できず、ロミーナは体を起こしながら重ねて質問をしてしまった。

 仕方ないわね、という親切さ全開で、ヴィルジニアが丁寧に教えてくれる。


「先生が下書きをしてくださるって、一緒に絵を描いてみましょうと言ってくれてたわけよね? 憧れちゃうわぁ。どんな絵になるんだろうって」


「たぶんとても素敵な絵だと思うけど、それが私の作品として売られることが『画家になる』という意味なら、私は画家になれなくても良い。それは私の絵じゃないから」


「ねえ、まだ言ってるの? 私たちの絵はまだまだ発展途上なのよ。未熟な絵を大切にする前に、偉大な先達を真似て自分に取り入れる。助けてくれると言うのなら、助けてもらえばいいじゃない。自分の絵を描くのは、この先長い人生でいずれできるわ。まず大切なのは、先生に認められることと、画家になること。ロミーナはもうそこを満たしているのよ。いいなぁ。代わってほしいくらい」


 代わってあげるけど?

 さすがにその言葉は、呑み込む。それを口にした瞬間、自分が「傲慢」そのものになると、ロミーナとてわかっている。

 ポーラに認められたい者からすれば、ロミーナはわがままであり、画業に真剣に向き合っていないように見えるのだろう。

 しかしロミーナにはわからないのだ。

 他人の下書きに色をつけて「自分の絵」と売り出すことが、皆の考える「画家となる」ことなのだろうか。本当に?


(それを受け入れた瞬間、私は私でなくなる気がする。それとも未熟な身で「自分の絵」を守ろうとする私が、傲慢な考えに取りつかれている? この世界の有力者に「画家になれない」と言われてしまうのは致命的かな。学校もやめることになる……)


 いまは謹慎以外の処分が保留となっている。しかし特待生身分を剥奪された場合、学費を納めるのが不可能なことから、ロミーナは退学となるだろう。

 家に戻ってしまえば、自分の食い扶持を稼ぐのは当然のことであり、絵を描く時間はなくなる。そこで、画家への道は閉ざされる。


「ポーラ先生、また近い内に来てくださるそうよ。そのときを逃さず、必ず謝るのよ。いいわね? 私、あなたの才能を信じているから。失望させないで」


 ヴィルジニアに悪意なく言われて、ロミーナは力なく小さく頷くにとどめた。納得はしていなかった。


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