第5話
夜も深まる丑三つ時。夜の中の夜に、僕は腹の痛みで目を覚ました。腹が痛くて起きたといっても、飛び起きるほどの腹痛という意味ではない。せいぜいが違和感といった具合だ。
それよりも驚いたのは、嘗て不可侵条約を結んだキャンプファイアーの此方側に、長い黒髪を揺らす女がいたことだ。
お化けかとも思ったが何のことはない、不機嫌な顔で眉間に皺をよせる副会長様である。
彼女は傍らでヤンキー座りをして、手に持った追加用であろう薪の先端で僕の腹を突いていた。まるで汚物のような扱いである。
なぜここにいるのか、なぜ不機嫌なのか、なぜ僕の腹を突いているのか、なぜ一言も発さないのか。そんな疑問は過ったけれど、これ以上副会長様を待たせるというのも得策ではない。
僕は未だ微睡み中で無理やりに体を起こして腹に刺さったままの薪を受け取ると、さっさと先を歩き出した副会長を追いかける。
勿論薪に火を着ける事は忘れない。キャンプファイヤーの隣に置かれたボロキレを薪に結び、誰かの水筒に詰められた獣の油に浸す。
火にかざした薪は僕が思っていたよりも激しく燃え、火の粉をまき散らした。
夜の草原は当然真っ暗である。キャンプ地から離れれば足元すら覚束なくなるのはさもありなん、松明と僅かな月明りだけが頼りだった。
「あの、僕が寝ている間、火の管理をして頂きありがとうございます」
親の敵の如き量の薪を叩き込まれた事故現場みたいなキャンプファイヤーを背に、僕は先を行く榊原さんにそういった。
その言葉には起こしてくれてもよかったんですよという意味と、何故あなたが起こしに来たんですか? という疑問を含ませている。
「よくもこんな状況でぐっすりと眠れたものね」
おっと、第一声から随分と棘のある物言いだ。いや、確かに彼女の言葉は何も間違ってはいないのだが。
「前任者が僕の事を忘れてくれたおかげ様です」
棘には棘を、皮肉には皮肉を。眠っていたのでそれを確かめる手段がないのを良い事に、僕は立派な傘を着てヘラヘラと笑って見せた。
「悪い子ね」榊原は底冷えのする声で呟き返す。それは僕が? それとも前任者が?
しかしそうは思っても聞けなかった。
「お前だッッ!!!」なんて言われて飛び掛かって来られてしまえば、僕なんて一発KOからの失禁退場コンボまで確定してしまう。
恥を捨てて重症のプライドを青田買いさせられたのだから、丑三つ時に見る髪の長い美人は恐ろしい。
しかし僕が押し黙ったものだから会話はそこで終了。長い沈黙が始まった。
ここは日本じゃないのか、虫の声すら聞こえない。そもそも最近の日本は全国的に冬だったのに、ここいらはまるで花粉の存在しない陽気な春である。
というか虫さえも存在しないのかもしれない。出会い頭に異形から襲われさえてさえいなければ、或いは呑気にハイキングでもしていたのだろうか?
……僕を含めた現代っ子がインターネットも使えない状況で半日も正気で居られたらの話だけれど。
しかし、いやはや沈黙がこんなにも気不味いものだったとは思わなかった。気不味いというよりは「気難しい」かもしれない。
彼女がもう少し明るい性格だったなら。幽霊ではなく、それこそコミュ力お化けの姫小松だったなら。こんな沈黙を笑い飛ばしてくれたかもしれないし、そもそも沈黙とは無縁だっただろう。
……止そう。これ以上姫小松を褒めたくはない。
あいつって意外といい奴だったんだな。なんて、今更になって考え直すのは御免である。あいつはクソガキ、それでいい。
そんな思考を殊更に追い出すと、光明が見えた。そう、会話の切っ掛け取っ掛かり。共通の話題となり得る人物を思い出したのだ。
居なくなって初めて役に立つとは、やはりクソガキ。
既に幾つもの借りを作っているし、やり玉も白羽の矢も一本や二本なら無傷も同だろう。
「そういえば、アナタ。毬とは仲が良かったわね」先に口を開いたのは榊原の方だった。
僕は会話の主導権を握られた事実に恐怖しつつ、出馬し遅れた姫小松を叱咤する。
「丁度ここへ来た時に近くに居たものですから」
「近くになら私もいたわよ」それが単に事実を言っただけか、それとも対抗意識を燃やしてきたのかは僕には分からない。
だから、今までボロカスに言ってきた彼の吾人をヨイショすることでこの場をやり抜ける事にした。
「い、いやぁ。情報収集とは御目が高い。僕がディームなゲーマーだという事を即座に見抜いたのでしょう。へへ。もしや副会長様は僕のことも何かお聞きになっているのでは? あいや勿論そんな事に思う所はございやせんぜ」
これはもう御目がというよりシグマですな! なんて言おうとして前に僕は正気に戻った。危ない、二度と戻ってこれなくなるところだった。
「分かるのね」
「因みに、何と?」
「人を平気で盾にするくそ野郎」
あれあれ姫小松さん?話が違いませんか?だとしたら思うところはないという発言は撤回しなければなりませんよ?
「またまた御冗談を」
「これが冗談に聞こえるなら耳鼻科へ行く事をお勧めするわ」
……これは、突っ込んだ方がいいのだろうか。もしくはガチで言っているのか?
ええいままよ。
「じゃ、じゃあ行ってきましょうかね。って、出られへんやろがい!!」
「そうね」
……だからどっちだよ。少なくともバッドコミュニケーションの反応ではないが。
「無駄口を叩いている暇があるのなら教えてくれないかしら?」
「へい、なんなりと」
「あなた達ゲームをする人たちは、この状況を楽しいと思っているのよね?」
これだ、このどちらとも取れる物言い。彼女がどちらの勢力か分からない限り、副い言葉一つで戦闘に入りそうだから怖いのだ。
「まあ、そういう人は少なくないと思います」
「マンティコアという生き物が現れた時。アナタ口が避けるほど笑っていたのね」
「…………見間違いじゃないですかね」
それ、姫小松自身も笑っていたことを言ったのだろうか。
「同じ学校に通う生徒が目の前で亡くなった時も思う所はなかったのかしら?」
「そりゃあ勿論悲しいと思いましたよ。衝撃でもありました。ただ、率直な話。退屈な世界が壊れたという興奮が勝ってはいました」
「今やどこで何をして、何を見て、何を知っても、インターネットで事足りてしまいますが、ここだけは違う。ネットもおろか誰も知らないものばかりです。自分が最前線担っていると、そう胸を張っていえることのなんと誇らしいことか」
彼女には分からないかもしれない。
現代では何を知っても何を考えても見ても知っても理解しても二の次三の次で誰かの焼き増し。焼き直し。代替品と言えてしまう。しかしここでは小さい川を見つけただけで大発見だ。ゲームですら発売数時間で攻略が出回る世界において、常に自分が世界で一番であるという事実に、僕はどうしようもなく興奮してしまう。
承認されなければ生きている価値がないとか、認知されていなければ存在していることにならないとか、SNSを巡回しなければ輪に入れないだとか、そんなやっかみしがらみもない。
生と死と希望と絶望としかない世界に。これこそが自分の生きる場所そして死ぬべき場所であると思い知らされたのだ。
「同じ生徒が亡くなったとき僕は確かに笑いましたが、決して彼らの死を笑ったわけではないのです」
「……そう。貴方の気持ちが知れて満足したわ。小説の主人公たちもきっとそうおもっていたのね」
榊原はそう言って笑った。
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