第1話

 僕らは今、先程と変わらぬ体制と立ち場と位置関係を保ったままに草原の小高い丘の上に居た。注がれる視線は英雄たる男子学生に集まっていたが、彼の傍からは黒い水晶が忽然と姿を消している。


 誰かが気の効いた言葉でも発そうとしたのか、息を漏らす音が聞こえた時、突如として脳みそに大量の情報が流れ込んできた。

 例えるならば自由意思の存在しない暴飲暴食。チューブと繋げられた井の中に無理やりガソリンを流し込まれているような感覚。そんな経験はないが。


 しかし残念ながら僕は知識のフードファイターじゃない。

 それは勿論僕だけではなく、気が付けばこの場にいる誰も、高校受験の前日にすら経験した事が無いだろう頭痛と共にその場へ蹲っていた。

 痛みは早々に消えさった。さりとて状況がまるで理解できない。

 確実に体の何処かが何かしらの変化を受けている。そういった直観はあるのにも関わらず、何処にどういった変化があるのかが分からない。

 ナニカを忘れた事だけは覚えているが、肝心のナニカが思い出せないときみたいな。


 僕は諦めてゆっくりと仰向けに寝転がり天を見上げた。いつも見ている青空だけど、信じられないぐらい澄んでいる。澄み渡った紺碧の空である。


 背中をくすぐる植物の香り、気持の良い春の陽気、鼻先に触れる柔らかな風。呼吸の度に新鮮で、そのくせ青臭い香りが肺一杯に取り込まれていく。

 信じ難い事に僕の五感は揃いも揃って、今この瞬間に存在する全てが、現実だと主張していた。夢や幻では無いと断じていた。


 パニックで譫言を繰り返す学友とは逆に、僕の心境は波を知らぬ凪の如く。

 もはや、このまま昼寝にでも移行できそうだとさえ思えた。

 この光景を残すべくポケットから取り出したスマートフォンを開き、シャッターを押す。LINNEのフォルダに移そうとして漸く、ここが圏外だという事に気が付いた。


「す、ステータスだ!!」


 そんな叫び声が聞こえて来たので僕は思わず体を起こして周囲を見渡した。

 叫んでいたのは如何にもオタクといった風貌の男。彼は額からねっとりとした汗を滝の様に流しながら、制服がはち切れんばかりの飛び出た腹を揺らす。 


 僕は彼の事を知っていた。一年生の時に選択科目が一緒だったからだ。


 記憶が正しければ名前は「鈴木」、休み時間になればオタク友達とRPGゲームの話に花を咲かせていた筈である。

 それにしても、ステータスというのは何の事だろう。ゲームなんかに登場する能力値の事か、はたまた社会的な身分や称号の事か。

 僕は口の端を伝う涎を制服の裾で拭き、彼の反応と続きの言葉を待ってみる。


「とにかく落ち着いて、ゆっくりでいいから分かった事を教えてくれないかな?」

 隣にいた委員長風の男に窘められつつも、鈴木は喉をコポォと鳴らして話を続ける。


「ステータスと念じるでござるよ、心の中で。するとステータスが表示されまする」

「その、ステータスというのが何なのかは分からないけれど……君は何の手掛かりもなしに、心の中でステータスと念じたのか?」

「いやですな、テンプレと言う奴ですぞ」


 尤もな視点で疑ってかかる暫定委員長。しかしその意見とは裏腹に、周囲からは続々と驚嘆の声が上がった。

 僕もゲームは好きだし、一応は鈴木の行動にも納得は出来る。だがどうにも羞恥心が大きかった。誰が見る訳でも知る訳でもないが、これで何も現れなかったら赤っ恥も良い所だ。


 暫くしてステータスを自覚した生徒が鈴木を中心として集まり出した。そうして彼らは続々と自分の能力値を惜し気もなく披露し始め、遂に話はスキルとやらにまで派生している。


 原因はさておき、ここまで来てしまえば存在を疑う必要もない。

 僕も前例に倣い羞恥心を捨てて、小っ恥ずかしい呪文を詠唱した。


【香箱 志遠『Lv.0』】

『生命「十」』『物攻「三」』『物防「九」』『俊敏「四」』

『運命「一」』『魔攻「三」』『魔防「七」』『精神「八」』

【スキル】なし

 

 表示されたのは以上漢数値。所々に見たことのない単語が使用されているので、分かりにくいったらありゃしない。


「あんたは、どないやったん?」

 色々と考えを巡らせていると、関西弁の少女が話しかけてきた。身長は僕よりも頭二つ分くらいは低いので140位か。


 僕は彼女の事も知っていた。クラスメイトだからだ。その幼い容姿も相まって人気が厚く、女生徒に囲まれて餌付けをされていた事は記憶にも新しい。


 そして、粗暴でぶっきらぼうな言動とは裏腹に、少女の上目遣いは非常に破壊力が高かった。小児愛者のお兄さんならば彼女を誘拐している所だろう。


 だが、どないやったんとは何を以ての言葉なのだろうか。そんな事を考えるフリをして努めて冷静になろうとしてみるも、潤んだ大きな瞳に吸い込まれる様にして、僕の口は僕の意思とは関係なくスラスラと意見を述べていた。


「いうなれば防御特化かな」

「やっぱりゲーマーやったんや。そんな雰囲気しとったわ」


 不必要に罵倒された。いや、不用意に馬鹿にされたのか。僕が何をしたというのだ。

 しかし「やっぱり」という事は、彼女も僕をゲーマーだと見当をつけて話しかけてきたのだろう。学校では一般的な生徒に擬態していた筈なのだけれど、滲み出るコアゲーマーの気配は隠せていなかったらしい。


「同じクラスやから知ってると思うけどウチは「赤松 毬アカマツ マリ」な。毬でええで?」

「僕は「香箱 志遠コウバコ シエン」。香箱でいいよ」


 何やら半年程前にも同じ様な問答をした気もするけど、僕も一応は返しておく。

 さて、クラスの人気者様がわざわざ僕の様な暗い人間に話しかけてきた理由とは何だったのだろうか。


「あんたが答えた手前やから言うけど、ウチは魔法特化な性能しとったわ」

 魔攻っていうのが魔法攻撃の略称ならの話やけど。彼女はそう付け足してから、はにかんで見せる。


「しかし疑問だね、なんで突然僕に話しかけてきたのかな?」

 話の流れ的に彼女もゲームをするという事は分かったが、同級生ならその辺になんにんでもいる。あからさまに面倒くさそうな僕に話しかけてきた理由を知りたかった。


「あん?ウチかて学校では擬態しとんねん。イメージ崩したないやろ」


 イメージが崩れてもいい相手が僕という事か。


「今見てるステータスはウチがやってたゲームと違って、職業も数値も変更が出来へんやろ?他のディープなゲーマーさんなら何か知っとらへんかなって思うてん」


 ミーハーじゃないゲーマーと考察でもしたかったのか。このガキは。

 しかし冷静に考えて初期アバターのステータスがランダム克、変更も不可というのも珍しい。というか見たことがない。


「少なくとも最近のゲームじゃ絶対にありえないな。現実らしいといえばそこまでだけど」


 とにかく、有名なゲームのシステムがそのまま適応されたという訳ではないらしい。僕の専門である死にゲーアクションRPGでもそこまでマゾじゃない。


「まぁ、そこら辺は進めていかんと分からんわな」


 そうして会話が一段落付いたので、僕は周囲の声に耳を傾けてみる。


「これって、ゲームの世界に入ったっていう事?」

「いや、噂の異世界転生だろ!!」


 どうやらゲームやそれを題材としたライトノベルを嗜んでいる者はそれなりの数居たようだ。彼らは声を張り上げて、興奮気味に仲間と顔を見合わせている。

 しかし、そうではない人間からすれば、現在直面している事態はあまりにも理解が不能だったのだろう。


「みんな、どうしてそんなに、平然としていられるのよ」

 盛り上がる生徒と混乱に戸惑う生徒とが明確に分かれ始めた頃。後者の派閥から、気の弱そうな女子生徒が悲痛な声を零した。ともすれば誰かにかき消されてもおかしくはない、金切り声にも似た、か細い叫びだった。


「拙者等が選ばれし者、だからでござるよ」


 鈴木の答えに、件の女生徒が崩れ落ちた。何故ならば彼の声には困惑の色が全く無かったからだ。場を和ませようといった意志は無く、説明すらも放棄して、自分がそうであると信じて止まない顔をしていたから。

 僕が逆の立場なら泣いちゃうね。


 突然目の前に謎の物体が現れて、突然知らない場所に連れて来られて、ステータスなんて言う謎の文字列が脳裏に浮かび、己が培った十余年の能力を数値なんかに表現されて、しかもそれが大多数と言わずとも受け入れられつつあるのだから。

 だが、それらは鈴木にとっての予定調和であったらしい。


 彼の言葉を借りるなら、テンプレ。


 テンプレートに則った展開だから、今までに見たことのある展開だから。偶然、必然、誰かの思惑、そんな可能性を全て捨て去って、自分こそが選ばれたのだと信じてしまう。まるで狂人だ。


 しかも質の悪い事に、彼の言葉には目の前の女生徒を傷つけてやろうといった意志が無かった。崩れ落ちた少女に駆け寄る友達らしき女生徒も最早何に責任を追及して、誰を責めれば良いかも判別できないらしい。


「止めよう、千里。それ以上は皆を困らせてしまうだけだ」


 委員長らしき男の発言によって。結局僕には話の発端も終結も分からなかった。与り知らぬところで話が進み、関与せぬまま終わっただけに過ぎない。

 だが敢えて彼女が問いかけた最初の質問に答えを宛がうのなら、それは彼等が「知っていた」からだろう。


 何故この様な事になったのか、今から何が起こるのか、これから何をすれば良いのか、どうすれば帰れるのか。それが分からないから恐怖を感じるのだ。

 未知が恐ろしいと言うならば、きっと既知は安心なのだろう。


 テンプレートでも、公式でも、傾向でも、知っていれば当てはめる事ができる。

 読んでいるだけで知能指数の下がりそうな本でも、それを元に先の展開を予想出来るなら安らぎを得られるのだ。 


 例え間違っていようが、勘違いだろうが、安寧だけは手にする事が出来るのだ。

 だから彼女の起こしたヒステリックに彼女の落ち度があるとすれば、それは未知を既知に変える楽しさを知らなかったという事だけだろう。

 勉学なり、ゲームなり、読書なり、経験なり、そういった知的好奇心が恐怖や不安を塗り替えられない程に薄いこと。それが彼女の、辛うじて落ち度と呼べる点だ。


 とは言え、僕がそれなりに冷静でいられるのは、好奇心の強さだけによるものではない。彼女の様に、僕よりも大きなリアクションで驚き慄き狼狽えてくれる人がいなければ、僕自身もう少しは焦っていたのかもしえないし取り乱していたかもしれない。


 人間というのは不思議なもので、自分よりも怒っていたり慌てている人間を見ると、ふと、冷静になるらしい。


 鈴木が必要以上に冷静だったのも、つまりはそういう事なのだろう。

 ある程度拠り所や縋り先を持っていたり、最初からリアクションの少ない人間だけが只管に冷静になれて、そうでない人間は逆に、冷静な人間を見て慌ててしまう。


「ここはどこだ!!俺たちに何が起こったんだ」

「お家に帰りたいよぉ!!」


 だから、起こるのは二極化だ。


「まずは落ち着いて、そしてゆっくりと話をしよう」

「この世界では感情的な奴から死んでいくで御座る」


 この状態から収拾を付ける為に必要なのは、集団を纏め上げる圧倒的なカリスマか、集団を震えあがらせる強大な恐怖か、もしくは全員が共通して憎める敵役。

 端的に言ってデモか暴動は覚悟するべきだろう。僕の思考は事態の収束よりも逃走の路線に切り替わっていた。


「どうするべきやと思う?」


 数的有利を捨てて単独行動をするメリットを考えていると、毬が僕にそう聞いた。


「僕なら喧嘩している奴を置いて進むかな」

「そんな意見が最初に出るあたりが一匹狼気取ってる感じするわ」


 気取ってる言うな。可愛らしいのに可愛げのない奴だ。

 ……しかし先程は事態の収拾が難しいと考えていたけれど、彼女と話しているうちに圧倒的な敵役を思い出した。そう、あの黒い棒に触れた男子生徒だ。 


 犠牲を厭わないというならば、彼をヒールにして集団の団結力を上げるというのも一つの手である。


「責任の所在というなら、謎の物体に触れた奴にあると思うけど」


 僕は小声でそう言った。


「責任なら全部、川路にあるやん!!!」


 彼女はそう声を張り上げた。 


 川路というのは黒い棒に触れたお調子者の名前だろう。だとすれば何て事をしてくれちゃったのだろうか。このお調子者は。


 激化していた討論に投じた一石は、案の定大きな波紋を呼び起こした。


「間違いねぇよ、原因は川路だ!!」

「そ、そいつが悪いの?だ、だったら、消えて、よ」 


「いや、だけど……確かにそうかもしれないが、ここで割れるのは拙いよ」


 もちろん擁護派の声はあったが討論は中断。集団は派閥を超えて結束し、話は川路を責めるという路線にすげ変わった。


「じゃあ話も纏まったし殺そか」


 毬が発した言葉に、周囲の空気が凍り付く。


「どうしたん?責任を追求するなら縛り首やろ?」


 彼女はさも当然の様にコテンと首を倒す。

 異常者だ。鈴木とは別の角度で、更にぶっとんだタイプの所謂……サイコパス。

 僕の頭に浮かんだ単語はソレだった。


 とはいえ縛り首というのは彼ら彼女らの意見をほんの少し誇張しただけに過ぎない。

 追放にしろ制裁にしろペナルティにしろ結局のところは見捨てるのと同義で、それは彼が死んでも構わないという民意の裏返しである。


「落ち着いて!それじゃあ解決はしないよ」

「そうだね!殺しはマズイ」


 あまり良い手法ではないが、毬の言葉により皆は自分の行いを俯瞰して見ることが出来た。自分達よりも大きな怒りを持った人間を目の当たりにして、冷静になったのだろう。


 事態は間違いなく収拾した。彼女という圧倒的な恐怖の対象の出現によって、皆の危険意識が高まった結果だ。


 これでようやくまともな会話が出来ると、皆が胸を撫で下ろした矢先。


「……何か聞こえないか?」


 ここへ来てから初めてやって来た静寂ゆえか、今までに聞いた事のない小さな音が聞こえてきた。発生源は近くの草むらからで、耳に入ったのは、くぐもった人の声らしき音。


「助けようぜ、先に来た人なら何かを知っているかもしれないしよ」


 先程まで責められていた川路がそう言って走り出した。もしかすれば罪の意識を感じていたせいで挽回のチャンスに飛びついてしまったのかもしれない。


「待て!君はさっきも衝動で行動して……」


 委員長の静止を振りほどき草木に走り寄った川路は、次の瞬間に動きを止めた。そして、比喩でも何でもなく文字通りの意味で、地面に首を落とした。

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