第17話 酒場 カイラス その5

「おい、お前ら、うるせぇぞぉ!」

 突然、体格の大きな男が絡んでくる。


 髭を生やした大男は赤い顔をしてかなり酔っているようだ。しかし、まだまだ足元はしっかりしており、僕たちのテーブルの周りを歩きだした。


「座長、鎧を脱いでいるので雰囲気は違いますが、この髭の男――」

 悟られぬようにレナさんが座長に耳打ちする。


「探している者ではありませんが、思いがけないのが寄ってきましたわね」

 男を刺激しないように平静を装いつつ、座長の口元にわずかに微笑みが浮かぶ。


 そんな座長とレナさんの様子をイザベラ姉さんが横目で見ていた。


「お前ら、昼間、クラーク様の事務所に来てた連中だな? ここは激闘を潜り抜けてきた戦士たちが集い、酒を酌み交わした神聖な場所だ。ショボいよそ者が、フラフラしていい所じゃ、ねぇぞ!」 


 ドン、と男が机をたたく。


「あらあら。こちらにも下品な奴がいた」


 イザベラ姉さんが、ぼそりと呟き、手酌でグラスに酒を注ぐ。


「は? 姉ちゃんよぅ、聞き捨てならねぇなぁ……。俺が誰だか分かっているのかぁ!」


 大男がドカンと机を強くたたいた。


「さぁ……。あんた、あたし達に名乗ったのかい?」

「何だとぉ! 俺はぁ――」

「はいはい、フランクフォート統一戦の生き残りで、偉大なるランドンの旦那。そんな立派な人物が女性を相手にケンカなんかしちゃ、ダメだねぇ」


 イザベラ姉さんに目配せをして、女給のおばちゃんが会話に入ってくる。


「うるせぇぞ、ババア。この店を仕切ってるからって、偉そうにするんじゃねぇ」

「別に偉そうにしたいわけじゃないさね。偉大なるランドンの旦那に暴れられて、この酒場が壊されちゃたまんないからねぇ」

「心配するな。俺にとっても、この酒場は大切な場所。壊しゃしねぇ。それに、俺だって戦場で命張ってたんだ。この女が普通の女じゃねぇことぐらいは感じてる。てめぇ、魔術師だなぁ? しかも、なかなかの腕だ」


 大男のランドンはイザベラ姉さんの横顔に自分の顔を近づける。


「酒臭いから、近づくんじゃないよ」


 イザベラ姉さんがランドンの顔を手で押し返した。


「なら、剣士の旦那が魔術師相手に腕力のケンカとは卑怯じゃないかね?」


 女給のおばちゃんが言う。


「ああ? まぁ、確かにそうかもな。キャンベル様直属の剣士としてのプライドがけがされる。確かに、腕力勝負は卑怯ってもんだ……。なら――」


 グラスに手をかけたイザベラ姉さんの手を押さえる。


「それじゃ、酒で勝負と行こうじゃないか」


 イザベラ姉さんはランドンを睨んだかと思うと、女給のおばちゃんに向けて小さくうなずいた。

 おばちゃんはため息をつく。


「まあ、ここは酒場だ。酒で勝負ってんなら、止められないねぇ……」


 その言葉を聞いて、声を潜めて事の成り行きを見守っていた野次馬が声を上げる。


「おい! 勝負だ! 勝負が始まるぞ! 場所を開けろ、開けろ! テーブルもってこい!」


 酒場の中央にはテーブルと向かい合うイスがセットされ、瞬時に戦いの舞台が用意された。


「ランドンの旦那に賭ける奴はこっち! 姉ちゃんに賭ける奴はあっち!」

「俺は旦那に賭ける! ヤツはここしばらく負けがねぇ、確実だ!」

「なら、俺は姉ちゃんにかけるぞ! こんないい女見たことねぇ。この女と夢が見られるなら安いもんだ!」


 即席の賭博場に、酒場が急に騒がしくなる。

 そんな周囲の状況を楽しむかのように、ランドンがテーブルに着く。

 それを見て、イザベラ姉さんもランドンに向き合って着席した。


「座長、こんなことになっていいんですか?」


 不安になって僕は座長に言う。だが、座長はいつもどおりといった感じの涼しい顔だ。


「よろしいのではないですか。地域の皆様と親交を深めるのも大切なことです」

「親交を深めるって感じでもないと思うんですけど……」


 それでも、座長が認めるのであれば、とやかく言う立場ではない。僕は成行きのままに状況を見ていた。そして、座長をはじめとするアイリス劇団のメンバーと、野次馬たちが二人を取り囲み、ランドンが声を上げる。


「ババア、いつもの持ってこい!」

「はいよ。うちで出せる一番きついヤツだ。止めはしないが、二人とも無理するんじゃないよ」


 琥珀色の液体の入ったボトルと籠に入った多数のショットグラスが舞台にセットされた。ランドンは二人の間に手のひらに乗るような小さなショットグラスを置くと、なみなみと酒を注ぐ。


「それで、この勝負、勝ったらどうなるんだい」

 イザベラ姉さんは頬杖をついて、ランドンに流し目を送った。


 急に目をギラつかせて前のめりになると、ランドンは薄ら笑いを浮かべる。


「うへへ、そうだな。この勝負、俺が勝ったら、お前は俺のものだ」


 ヒュー、と会場の下種な男どもが口笛を吹き、下品な笑い声をあげる。

 そんなランドンと周囲の様子に、イザベラ姉さんが嘆息する。


「結局、そういうことかい。あたしのことを好きになるもの無理ないけどさぁ、あんたには、そのキャンベル様直属の剣士のプライドってヤツが本当にあるのかい? 誠意をもって告白するのが本当の男ってもんだと、あたしは思うんだけどねぇ」


 イザベラ姉さんは怪しげな微笑みでランドンを挑発した。


「うるせぇなぁ」

 ランドンは目線をそらせる。


「それじゃ、あたしが勝ったら――」


 不意によこしたイザベラ姉さんの目線を受けて、座長が小さくうなずく。


「――領主代行様に面会する権利だ」

「あぁ? なんだ、そりゃ?」

「もう忘れたのかい? あんた、領主代行様の守衛だろ? うちのお子様が、あんたに説明しただろ?」

 イザベラ姉さんが親指で座長を『アレだ』と示す。


 さすがに『お子様呼ばわり』では座長も黙っていない。だが、急に暴れ出した座長の口をレナさんが押える。僕もレナさんと一緒に座長の体を押さえこんだ。


 イザベラ姉さんを差し出してまで、こんな賭けをしていいのかわからない。でも、これならやれるかもしれない。


「お子様……? ああ、あの何とかの責任者だとか面白くもねぇ冗談を言った、変なガキのことか。あんなガキの話の内容なんぞ、覚えちゃいねぇよ」


 さらにモガモガと口を抑えられた座長が激しく暴れ始めたため、レナさんが店の外まで引きずっていった。


「忘れているようだから、もう一回言うけど、あたしらは旅芸人でね。劇をする場所が必要なのさ。あんたに場所の使用許可を与える権限はないだろうが、面会と許可の助言をするぐらいならできるだろ? つまりは『紹介状』代わりさ」


 ランドンは少し顔をしかめるが、小さくうなずいた。


「まあ、いいだろう。それじゃ、始めようか。心配するな。俺から始めてやるよ」


 ランドンはニヤリとすると、酒の入ったショットグラスを一気に煽った。そして、上機嫌でショットグラスをひっくり返すと、テーブルに置く。


「おぉ!」

 周囲から歓声が上がる。 


 そして、次のグラスに酒を注ぐと、イザベラ姉さんの前に置いた。


「さぁ、やってくれ」


 ニヤニヤ笑うランドンを無視し、イザベラ姉さんはショットグラスをつまみ上げると物足りなそうに見る。


「あんた、見た目によらず随分カワイイので、あたしと勝負しようってんだね?」

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