第16話 酒場 カイラス その4

 あたりは暗くなり、もともと人の少ない旧市街地は少し不気味でもある。だが、すれ違う人に周囲を警戒している様子はない。初めて夜に訪れた僕としては少し身構えてしまうが、実際はそれほど治安が悪いわけではないのだろう。廃墟のような建物はやはり気味が悪いが、慣れてしまえば意外と平気なのかもしれない。


 そして、僕たちは酒場・カイラスに到着した。


 旧市街地ではランプが灯されている建物は多くないが、酒場には明かりが点き、人が集まっているようだった。


「それじゃ、座長――、痛てっ」


 先頭を歩くレナさんが酒場の扉を開けようとすると、急に内側から扉が開いてぶつかる。

 酒場からは黒い外套を羽織った男が出てきた。

 フードを深くかぶり、こちらからは表情をうかがうことはできない。だが、男は僕たちに向かい合うと、値踏みでもするかのような間ができる。

 その男の胸元には割れたドクロのペンダントが揺れていた。


「フッ、悪かったな……」

 そう言い残すと、僕たちの間を抜けて男は去って行く。


「――追いますか? 少し、気になりますが」

 男の背中を目で追いつつ、レナさんが座長に囁く。


「今は何の証拠もありませんわ。仮にあの男が目的の人物だとしても、どうやら、わたくしたちはあちらのお眼鏡にはかなわなかったようですの。なら、正体を現すことはないでしょう。わたくしたちの調査は始まったばかりです。あの男に関することはマイラに調べさせることとして、今は下手に荒立てて警戒されない方がよいでしょう」 


 僕はぐっと拳を握りながら、男の背中が闇に消えるまで目線で追っていた。


 あの人は何の関係もないのかもしれない。でも、ここが問題の酒場なら、あいつの向かう場所にクレアがいるかもしれないのに――。


「見た目はいい男って雰囲気なんだけど、アイツは気に入らないねぇ。これだけ美女がそろってるんだ。お近づきになるために、もっと言いようがあるだろうにさぁ」


 イザベラ姉さんも男が消えた闇を見ながら腕を組んでいた。


「そうですわね。見る目がない男のことは忘れることにしましょう。みなさん、まずは夕食といたしましょう」


 僕たちは座長を先頭に酒場に入っていった。




 入ってみれば、ごく普通の酒場。店内にはカウンターやテーブルがあり、客は酒を飲み、食事をとり、日ごろの憂さを晴らすように騒いでいた。

 僕たちは空いているテーブルを囲んで座る。


「いらっしゃい。ここはあんまり美女が来るような場所じゃないよ。大丈夫かい?」


 女給が声をかけてきた。女給と言っても、陽気な年配のおばちゃんだ。


「あら。それじゃ、あんたもここで働けないんじゃないのかしら?」


 イザベラ姉さんの言葉に、女給がテーブルのメンバーをぐるりと見渡した。


「上手いこと言うわね。でも、私じゃ、何もサービスしてあげられないわよ。それで、このメンバーなら、みんなで夕食ってところかい?」

「ええ。何か美容によさそうなものをいくつかお願いできます? それと、あたしとそっちの脳筋女にはお酒もお願いね」

「おい、脳筋女言うなっ」


 半眼で睨むレナさんが机をたたく。


「はい。ここじゃ、美容に良いものかは保証できないけどね」


 女給は笑顔で戻っていった。


「もう少し荒れた連中が集まるのかと思いましたが、思ったより普通ですね」


 少し気分を落ち着かせた後、店内を見渡していたレナさんが言う。


「舞踏会に比べればどこも同じ。比べるまでもありませんわ。しかし、ここは待ち合わせ場所というだけのようですわね。この店に問題があるというわけではないでしょう。いや、むしろ店に問題がない方が首謀者には都合がいい。そうですわね、イザベラ」

「はい。職業や身分、種族によらず、酒の前ではみな同じです。解放され、少なからず欲望がむき出しになるもの。ここは誰もが入ることができ、それでいて最初から欲望むき出しの者が紛れるのには都合がいい場所、ということですね。まぁ、脳筋女には分かるはずもありませんけど」

「何を! 無駄に脂肪を付けたヤツが偉そうな!」


 見下したように鼻で笑うイザベラ姉さんにレナさんが食ってかかる。


「にゃはは! なんか、ボクたちも荒くれ者になって酒場になじんできたね。そろそろクリスも、手当たり次第に殴り掛かってみたら? ほら、ファイト!」


 ケンカを始めた二人を見て、ミアが笑いながら左右のパンチを繰り出すしぐさをする。


「急に何を言いだすんだよ。僕はそんな乱暴者じゃないって。っていうか、レナさんも、イザベラ姉さんも、二人とも止めてください。落ち着いてください!」


 もう、こんなに目立っちゃって大丈夫なのかよ。ていうか、なんか仲裁ばっかりしている気がするんだけど。


「言っておくがな! 女の価値は胸の脂肪の量で決まらないからな!」

「ほお、それじゃ、自分の価値を言ってみろ! 胸がないなら、おつむのレベルか? ほら、何があるんだ?」

「うぅ、ふざけるな!」


 エキサイトする二人。

 おろおろと周りを見渡す僕。

 座長は『また、煩わしいことを始めてしまいましたわね』とばかりに、少し目線を外して関わらないようにしていた。


 こういうのって、気づかれないように偵察するんじゃないんですか。騒ぎを起こすなんて、絶対だめだと思うんですけど。


「二人とも、止めてください!」


 当然、言ってみたところで僕の仲裁など受け入れるはずもなく、二人はケンカを止めようとしない。でも、僕たちの様子は案外店の喧騒に紛れ、店内の客になじんでしまっているようだ。


「はい、お待たせしました。そのぐらいでケンカは止めて、仲良くお食べ」


 女給が大皿で食事を持ってくる。


「ほらほら、食事が来たようですわ。みなさま、失礼のないように」


 食べ物が来ると自然に二人のケンカが止まってしまった。


 食べ物で落ち着くなんて、子供みたいだな。僕の仲裁の苦労は何だったんだよ。


 皿に盛られた料理を見れば、野菜などもあるが、肉や魚などスタミナが付きそうな食事が多い。町はずれの酒を飲むような男たち向けの食事ということのようだ。


「みなさま、それでは――」

「いただきまーすっ!」


 手を合わせ、食事の前の祈りを捧げようとした座長を無視して、ミアが食事にかぶりつく。


「こら! ミア! フライングはなしだぞ!」

「早い者勝ちぃ!」

「んー、なら、私も!」


 ミアとレナさんが競い合うように大皿から料理を取り合う。


「ちょっと! みなさま!」

「もう、下品な奴ばかりですね、座長」

 イザベラ姉さんは頭を抱える座長を見つつ、食事の前の祈りを一人で終える。


「うるさいな。今日はクリスの手合わせで疲れてるんだよ。ミアの食欲なら、お祈りの間になくなっちまうだろうが。ほら、クリスもちゃんと食べろよ。戦うために食事は必須だ。食えないヤツに明日はないぞ」

「え? はい、いただきます」


 周りの雰囲気にのまれるままに、僕も食事を始めることになった。


「まったく、みなさんは……。まあ、いいでしょう。取れるときに食事をとることも重要なことです。でも、わたくしどもの目的も忘れないようにしてくださいませ」

「分かってますって、座長!」

 そんなことを言いながら、レナさんはミアと肉を奪い合う。


 そうだ。ここに来たのは食事が本当の目的じゃない。


 改めて僕は周囲を見るが、普通の酒場だ。僕たちのようにグループで騒ぐ者もいれば、カウンターで一人飲む者もいる。食事が中心と思われる人もいれば、ただ騒ぎたいだけのような連中もいた。イザベラ姉さんが言うように、盗賊や何か悪いことの手引きをする者だと言われれば、どいつもこいつも、そうとしか見えない人物ばかり。でも、実際には何の関係もない者たちがほとんどなのだろう。いったい、誰がクレアを誘拐しているんだ。


「クリス、そんなギラついた目で周りを見るもんじゃない」

 ミアとパイを奪い合いながら、レナさんが言う。


「そんなこと言ったって、この中にクレアをさらった連中がいるかもしれないんだ」

 周りに気づかれないよう、僕は声をひそめる。


「多分、今日はいないよ」

「その意見には、あたしも賛成だね。時間が早いのか、今日は来ないのか、それとも、何かを感じて既に去ったのか……。どちらにせよ、それらしい気配がない。となれば、今を楽しまなきゃ、それは罪よねぇ」


 先ほどまで喧嘩していたレナさんの意見に賛同すると、イザベラ姉さんがグイとグラスの酒を飲み干した。


 僕には分からない。でも、この二人が何も感じないなら、今日はいないのかもしれない。


 僕はやり場のない焦りに紛らわせるようにフォークで肉を突き刺し、食事に集中することにした。

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