第23話 前夜
宣戦布告から四日後。
ハイルエルダー王国軍はオルビット平野に布陣を終えていた。アリシアの第一騎士団は戦場の中央に配置されている。
「いよいよ明日ですね」
アリシアは自身の天幕で呟いた。
団長、副団長用に設られた大きな天幕だ。
「そうですね。緊張していますか?」
アリシアの言葉に答えたのはお茶の用意をしていたシェスタだった。
「……正直言うとかなり。ここまで大きな戦は初めてなので。……それに不安要素もあります」
「リヒト殿下ですか?」
「はい」
この戦の総指揮は今は引退した前任の第一騎士団長が執っている。大きな戦とあって経験豊かな騎士をアルスラン王が直々に呼び戻したのだ。
ここまではアリシアに文句はなかった。
しかしその補佐に第一王子、リヒト=ハイルエルダーが付いている事が問題だ。
「父上……いえ、陛下はなぜこのような人選にしたのでしょうか。この負けられない戦で」
「私にはわかりかねます。しかし陛下は無駄な事をなさらない方です。なにか思惑があるのは間違いないでしょう」
「……そうだといいのですが」
王である父が思慮深い人間だと言う事は深く理解している。しかし同時に少々、いやかなり豪快なところがあるのもアリシアはわかっていた。
そのため、思い切った策を用いることが多いと知っている。
……果たしてこの采配はどちらなのでしょう。
アリシアは深くため息を漏らした。
「それにリヒト殿下には非凡な才があります。もちろん姫様ほどではありませんが、それはご存知でしょう?」
「そうですね。癪ですが認めましょう。彼は王と言う立場に固執しなければ優秀です」
しかし逆に王位がチラつくとたちまち愚鈍になってしまう。
この戦で功績をあげれば王になれると考えているのならば、下手な采配を進言する可能性も捨てきれない。
アリシアの不安は募るばかりだ。
「……とはいえ王命である以上。私たちにはどうしようもありません。今は目の前の敵に集中しましょう」
「はい」
「シェスタも緊張していますか?」
「私はあまり。姫様がいればなんとかなると思っていますので」
シェスタは平然と答えた。
事実、シェスタは本心からこう思っている。なぜならば今までもそうだったから。
このぐらいの窮地は幾度となく切り抜けてきた。だから今回も問題ないと思っている。
「……ふふふ。それは責任重大ですね」
アリシアは苦笑した。
しかし直ぐにその表情を引き締める。
「シェスタ。知っているとは思いますが、この世界の戦は数よりも個の力が重要です」
たとえ何千、何万の兵が居ようと圧倒的な個の前では数など何の意味もない。
まさに一騎当千を地で行く剣士や魔術師が存在する。
たとえばシンのように。
「だから無理だと感じたら直ぐに逃げてください」
「団長が敵前逃亡を許していいのですか?」
シェスタはいたずらっ子のような表情を浮かべる。
「よくはありません。ですが、なによりも私は貴女を失いたくない。シンもシュバルツももう居ないのですから」
アリシアが心から信頼している人間は三人いた。
元第三騎士団長シン・エルアス。
元近衛騎士にして元第三騎士団副団長シュバルツ=アークエルダー。
そして第一騎士団副団長シェスタ=アークエルダー。
だけど今はもう残っているのはシェスタだけになってしまった。
アリシアは何としてでもシェスタを失いたくなかった。しかしシェスタは首を振り、本気の言葉を伝える。
「それはできません。逃げるのならばその時は姫様も一緒です。私の忠誠は国ではなくアリシア様。貴女に捧げているのですから。……最悪貴女さえ生きていてくれればいい」
その真摯な言葉にアリシアは再度苦笑する。
「……シェスタには敵いませんね。少し弱気になっていたようです。私らしくもない」
「そうですね。普段の姫様ならそんな事は言いませんよ。それに個の力というのなら、姫様に敵うものも少ないでしょう。それこそシンのようなバケモノでもなければ」
「……バケモノですか。……ふふ。たしかにシンはバケモノでしたね」
アリシアは忍び笑いを漏らし、過去へと思いを馳せる。
シンと初めて出会った時のことを思い出したのだ。シェスタも呆れたようなため息を吐く。
「あの時は本当にすごかったです」
「本当に。あの年齢で亜竜種を一撃ですものね」
アリシアがシンと出会ったのはもう十年も前になる。八歳だったアリシアは小規模の
護衛をしていたのは同じ年頃のシェスタとシュバインのみ。大人の力を借りない、本格的な戦闘訓練だった。
王族の戦闘訓練と考えるとやや不用心にも思える人選だが、
しかしそこで、小規模の
それが亜竜種。竜種になりかけている魔物である。
騎士でも苦戦する魔物だ。当時のアリシアでは勝ち目がなかった。
共にいたシェスタとシュバインはアリシアを守るために瀕死の重症を負い、残すはアリシアのみ。
その凶悪な牙がアリシアに食らいつこうとした時、颯爽と現れたのが子供のシンだった。
シンは亜竜種をつまらなさそうに一瞥。するとたったの一撃で首を刎ねた。そして何事もなかったかのように無言で立ち去ろうとしたのだ。
アリシアは急いで呼び止めた。
そしてシェスタとシュバインを運んでもらったのだ。
シンがいなければアリシアはもとい、シェスタもシュバインもそこで死んでいただろう。
「懐かしいですね」
「……ええ。とても」
その時の思い出はアリシアにとって大切な物だ。今でも色褪せる事なく鮮明に思い出せる。
しかし同時に胸が苦しくなった。そんな友はもうこの世にいない。
……だからやはり、名誉だけでも取り戻さないと。
このままではシンは大罪人だ。後世にまで悪人として名を残してしまうだろう。だからアリシアは決意を新たにした。
「必ず勝ちます」
「ええ。必ず勝ちましょう」
そうして夜は更けて行った。
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