第3話 罪咎の騎士

「シン! オレを……オレを……殺してくれ!」


 王国南部にある港町エーカリア。

 他国との貿易が盛んに行われており、ハイルエルダー王国でも有数の都市だ。

 街並みも景観豊かで様々な国の食材が集まることも相まって、観光地としても栄えている。


 そんな都市が今、炎に包まれていた。

 絶え間なく聞こえるうめき声や苦痛の声。その声を発しているのは守るべき部下と国民たちだ。


 この光景を形容する言葉を俺は持ち合わせていない。

 強いていうならば、そう――。


 ――現世に顕現した地獄。


 ……やめてくれ。


 心が叫ぶ。だが声は出ない。それはこれが夢だから。

 いくら努力しようと覆せない、確定した事象。俺が犯した罪咎の夢。

 

 から毎夜見ている悪夢だ。


「このままじゃ……オレはお前を……!」


 目の前では親友だった男、シュバイン=アークエルダーが血走った目で俺を見ている。


 ……やめてくれ!!!


 俺の願いは届かずに、身体が勝手に動く。

 震える手が腰に帯びた剣へと。


 そして――。

 




「……ッ!」


 俺は飛び起きた。

 心臓が早鐘を打ち、肺が空気を求めて喘ぐ。全身からは嫌な汗が吹き出ていた。


 ……落ち着け。終わった事だ。


 心の中で自分に言い聞かせ、呼吸を落ち着ける。するとどこからか声が聞こえてきた。

 

「……大丈夫?」


 その言葉にバッと顔を上げると隣には見知らぬ少女が居た。


 ……いや俺はこの子を知っている。


 死塔の魔女だ。

 それを認識した途端、記憶が蘇ってきた。俺は着ていた服を捲り、左胸を確認する。


「……どういう……事だ?」


 俺は剣で自分の胸を突き刺した。……はずだ。

 なのにも関わらず、傷跡がない。

 恐る恐る触れてみたが、何もおかしいところはなかった。


 ……それに服が違う。


 俺が着ていたのは薄汚い囚人服だったはずだ。

 それが今や、仕立てのいい貴族が着るような黒い部屋着を着せられていた。


「……治したから」


 少女が静かにそう口にした。


「……なん……で?」


 俺は裁かれなければならない。救われていい人間ではない。

 しかし少女は首を横に振る。


「……シン・エルアス。……貴方は死ぬべき人間ではない」

「……死ぬべき人間では……ない?」


 ……いやその前に。


「……なんで俺の名前を知っている?」

「……調べたから」


 そう言って右手を上げる少女。その指先には小さな蜘蛛がいた。


 ……いや蜘蛛……じゃない?


 よく見ればそれは生物ではなかった。機械で作られた蜘蛛だ。


「……これは機巧蜘蛛きこうぐも。……わたしはこの蜘蛛を各地に放っている。……そして蜘蛛が見たものはわたしも見ることができる」


 とても信じられない事だが、俺の名前を知っている以上は信じるしか無い。というよりも嘘をつくメリットが俺にはわからなかった。


「……調べたならわかるだろう。……俺は……俺は大勢殺した!」


 つい声を荒げてしまった。だが俺の慟哭は止まらない。止められない。


「守るべき民を! 大切な部下を! 親友を! 決して許されていい事ではない! 俺は死ぬべき人間だ!!!」

「……確かに。……自分の快楽の為に殺したのなら貴方の言い分は正しい。……それは許される事ではない。……でもそんな人間は貴方のように思い悩まない。……教えて。……なにがあったの?」

「……」


 俺は黙り込んだ。言うつもりはない。

 言い訳をしたいわけではないからだ。俺は大勢殺した。事実はそれだけだ。それ以上でも以下でもない。


 しかし、少女は納得しなかった。


「……頑固者。……はぁ。……仕方ない」


 少女は大きなため息を吐くと、朱い瞳で俺の目を覗き込んだ。その瞳には妖しい光が宿っていた。


「……


 その言葉に、俺は少女の瞳から目が離せなくなった。

 心の奥底までをも見通しそうな瞳が俺を見る。


 どれほどそうしていただろうか。少女は唐突に顔を顰めた。


「……これは……酷い」


 少女が目を閉じると、ようやく目を離せるようになった。


「……なにを……した?」

「……記憶を覗かせて貰った」


 少女は淡々と告げる。

 

「……だけど改めて言う。……貴方は死ぬべき人間ではない」

「何を言っている? 見たのならわかるだろう? 俺は死ぬべき人間だ!」


 話は平行線だ。

 どちらかが譲らない以上はこの会話に意味はない。そして俺は譲るつもりはなかった。

 

 はじめに折れたのは少女だった。またも大きなため息を吐きながら口を開く。

 

「……わかった。……じゃあ一先ひとまずはそれでいい。……だけど死ぬ前に貴方にはやるべき事がある」


 しかしただで折れたわけではなかった。

 

「……やるべき事?」

「……わたしがなんで死塔の魔女なんて呼ばれ方をしているか知っている?」


 俺の疑問に、死塔の魔女は疑問で答えた。


 死塔の魔女は魂を喰らうバケモノ。

 それが王国に伝わる言い伝えだ。

 故に刺激せず、罪人という生贄を与え、共存してきた。

 しかし、俺は彼女が決してバケモノなんかではないと理解している。

 だからただ首を横に振った。


「……わたしには呪いが掛けられている」


 死塔の魔女は淡々と口にする。

 

「……呪い?」

「……そう。……死の呪い。……わたしの近くにいる者は例外なく絶命する」

「………………ならなんで俺は生きている?」


 魔女の言葉が正しいのなら、俺が今こうして生きている事の説明が付かない。

 近くにいるだけで死ぬと言うのなら、扉の前で死んでいるはずだ。

 

 少女は俺の疑問はもっともだと頷いた。


「……あなたには天恵てんけいがある」


 天恵。

 それは生まれながらに天から授けられた能力。

 天恵を持つものは例外なく、比類なき力を持っている。


 世に名を残している勇者や英雄の殆どは天恵を持っていたと言われているほどだ。


 しかし俺にそのような才能はない。

 なにせ俺は平民で魔術を扱えない無能だ。姫様が言うには俺の魔力は全くのゼロらしい。

 できることと言えば剣術のみ。


「……あなたの天恵は呪いの無効化。……それもわたしの死の呪いをも無効化するほどに強力な物」

「……呪いの……無効化?」


 俄には信じがたい。

 だが、少女の言葉には信憑性があった。

 なによりこの塔には人の気配が一切無い。自ら人を遠ざけ、このような場所に住んでいるというのならば辻褄が合う。

 だから今は事実だと仮定して話を続ける。


「……それが俺のやるべき事とどう繋がる?」


 少女は朱い瞳で俺を見つめた。

 

「……天恵のおかげであなたはあの地獄を生き残った」

「……は? ……それはどういう――」


 俺の言葉を遮って、少女が言う。

 

「……あれは、狂化の呪い」


 ドクンと心臓が跳ねた。


「……自我を失わせ同士討ちをさせる呪い」


 血が沸騰しそうな程に熱く、煮えたぎる。

 

「……ははっ」


 口から乾いた笑いが漏れる。

 アレが人為的な物だとは考えもしなかった。

 魔術とは違い、呪いという物はそれほどまでに珍しい存在なのだ。


「……じゃあ何か? ……俺の仲間たちをあんな風にした人間がいるのか?」


 少女は頷く。


「……だから貴方は死ぬ前にやるべき事がある」


 確かにその通りだ。

 あの地獄が人為的な物だと言うのなら、俺にはまだやるべき事が残されている。こんなところで死んでいる場合では無い。

 

 罪を償うのは、罪を償わせてからだ。

 

「………………死塔の魔女。……その呪術師が誰か……わかるか?」

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