エピソード3 先生と生徒と思い出の話


「どうしたら家族になれますか」


橘さくらが発したその言葉に聞き覚えがあった。




「どうしたら家族になれますか」


あれはたしか死んだ人から手紙が届く、有名な映画の主人公と同じ名前の子だった。

もう何十年も前の話だ。


「藤田さん、あなた家でなにかあったの?」

「どうしたら、家族になれますか」


私は新米の駆け出しで、彼女はまだたったの14歳だった。


「先生、もしかしたら私は誰とも家族になれないのかも」


彼女の言っていることが、よくわからなかった。

家族になれない。彼女の家族構成は父、母、そして弟が一人いたはずだ。

特に問題もなさそうな家族だったように思う。


「なにかあったの?先生に話してくれない?」


私の目をじっと見る。子供特有のうっとうしいくらいまっすぐな視線。

今、そらしたらだめだ。


「やっぱり」


彼女がつぶやく。なにが?


「先生は目をそらさない。ほかの大人は私がじっと見つめると、さっと視線を流すんだ」


わかる気がする。彼女たちはわかっていないのだ。大人にとってその視線がどれほどの脅威かということを。


「先生、先生にとって家ってどんな場所?」

「帰るところ、かな?」


ぞっとする、この年頃の子たちは平気でそんなことを聞いてくる。陳腐で恥ずかしいセリフみたいな問いにそれでもこんな言葉でしか返せないことがもっと恥ずかしい。


「ありきたり」


自分で聞いたくせに生意気なことを言う。はあ、大人なんて。


「いい?今から大人げないことを言うけど、それが現実。だから、ちゃんと聞くのよ」


彼女はなにも言わない。


「大人なんて、たいして大人じゃないの。あなたたちが今本当に知りたいと思っていることだって知らない大人ばっかりだし、むしろ大事なことから目を背けてばかりいる人のほうが多いの。あなたがどうしても知りたいことがあるのならたくさん本を読むのが一番よ」


大人なんて、くそくらえだ。

のどまで出かかった言葉はぐっと飲み込む。


「なるほど」

「それと、人間生きてるだけで疲れるんだから。今日こうして呼吸してるだけで偉いと思いなさい」


彼女はぷっと吹き出す。なんだ、笑うと結構子供っぽいじゃない。


「先生、それは言いすぎだと思います」

「そうかしら、でもそんな日があってもいいってことよ。わかったらとっとと帰る」

「なんかうまく丸め込まれた気がしなくもないけど、さようなら」





彼女は今もちゃんと生きていけているだろうか。


「先生?」

「ああ、橘さん」


橘さくらは不思議そうに私を見つめている。


「あなたと同じことを聞いた生徒がいたのよ」

「そのとき先生は、なんて答えたんですか?」

「さあ、もう何十年も前のことだからよく覚えていなの」


年を取れば、それなりに嘘も上手になる。


「本を読みなさい」


あの時と同じことを言う。


「本?」

「人類共通の悩みは昔から変わってないのよ。例えば恋とか、ね」


私だってそう、なにも変わっていないみたいだ。


「はあ」


「それと、人生生きてるだけでつらいことばっかりなんだから呼吸するだけで偉いと思うことね」


「先生、それ本気で言ってます?」


「本気よ」


「なんか変わってますね」


「そんなことないわ。あなたが大人だと思っている人間みんな大体こんなものよ」


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