私は絶対に幸せにならない。

杏珠るる

キミへ

 拝啓、元々々々カレ様。

 元気に過ごしていますか。私は今、今カレの生首を抱いて壁に頭を打ち付けています。定期的なリズムで、トン、トン、トン、と。

 理由ですか。天気予報が嘘を吐いたから、でしょうか。ええ、きっと、そうでしょう。



 揺れるペンデュラム。

 あなたを追いかける可愛い可愛い私。

 キレイな服を身につけて愛らしいぬいぐるみを抱えれば自分を認められると信じて疑わなかった頃の私を誘ったあなたを別に、怨んでなんかない。

「いつもこんな風なの?」

 最初の夜、不満も後悔もなく、ただ教室で小学生みたいな下ネタを散らかして笑う低劣な性別が、心臓を掴んで一瞬止めそうになったのが怖くも嬉しくもあって、驚くばかりだった。

「まあ、そうかな」

 いつもよりワントーン低い声で返すあなたの顔は髪で見えなかった。ほんのりだけ俯いたその角度が、美しくて、欝くしくて、分かってあげたかった。あなたをあなたにした誰かを知ろうとした。

「私、どうだった?」

「良かったよ」

 嘘が上手で、嘘なんか吐けない純白だったろうあなたを汚い混色にした誰かが許せなくて、私は私を毀し始めることに決めた。

 あなたはやはり私の方を向かないまま、私の髪を優しく撫でた。誰かに「愛される」ことが初めてだった私には、それが全ての基準になった。あなたより優しい人を優しいと言い、冷たい人を冷たいと感じるようになった。

「好きだ」

「え?」

 聞こえなかったフリをしたのは、もう一度ハッキリと聞こうとしたから。

「何でもないよ」

 そんな幼い要望が、どれほどあなたを傷付けたかは、今でもよく分からない。ただ繰り返すことが、簡単なことだと思っていたから。あなたにはあなたの感じ方があるなんて、教科書のどこにも書いていなかった。

 撫でるその手がいつの間にか離れていたことに、随分後になるまで気付けなかった、幼い幼い私。



 真白。決まった理由は、適当に出したいくつかの候補で、一番しっくり来たからというだけでした。ネコをねこと呼ぶのか、キャットと表すのか、シャと言うのかの違いなんでしょう。

 そんなの、本当に大したことのない理由で良いというのに。愛佳ちゃんや美空ちゃんがどれほど羨ましかったことか。父も母も、何も悪いところがないのが、逆に悪かったのかもしれません。

 呼ばれることが嬉しかった頃が懐かしいほど、今ではゾワゾワとして、騙った仮名がいくつあることでしょう。偽りの名前で呼ばれた一瞬の悦びにも浸かれなくて、せいぜいシャワーを浴びた程度の物足りなさがいつまでも続くと、話してみたら、何て返してくれたんでしょうね。

 かつてそうしてもらったように、今カレの髪を愛おしく撫でています。こうしたら、ヒトは嬉しさを感じると分かりましたから。

 どうして、この人は、何も言ってくれないのでしょう。

 どうして、どうして?



 綺麗な人。

 クローゼットの奥に伏せられていた写真立てには、恋に落としたあなたの無垢な笑みと、それを浮かべさせた憎い相手の顔。

 神様は不平等に人間を造った。そうしたら、色々な喜びが生まれると信じていたから。醜さも時にはアリかもしれないと戯けて。美しさと醜さを兼ね備えたフツウが、カンペキに勝てないと知った時、どれほど哀しかったか。

 クローゼットを閉めるまでに何分、何時間かかったのか、思い出せない。半分は憎たらしくて仕方ないのに、半分はずっと見つめていたいほど愛おしくて。

 私が生み出せるのは、出目がよほど良かった時だけ。幾百の不正解の果てに得た正解がほんの少し浮かべさせた疑似的なその日に、結局遠く及ばないことを思い返すほど、私は執拗にそいつになろうとした。

 ある時から、私、あなたの好きな顔を作ろうとしたでしょ。メイクはその字面通りなんだよ。白紙でもチラシの裏でも、ゼロだろうとマイナスだろうと、技術さえ身に付ければニアミスくらいには迫れるの。

 そいつになれれば、あなたにちゃんと愛されると信じなければ、やってられなかった。あなたが本当に愛すのは、そいつか、そいつ以上か。

 そいつについてあなたは何一つ口にしなかったのに、言の葉の断片に、乗っていたの。

「かまってほしいな」

 そう言わなきゃ構ってくれないあなたは、世界中の全ての女性が非難しようと、私には目標めじるしだったの。

 あなたは、気まぐれで私を求めてみたのかもしれない。怖くて最後まで聞けなかったから、最初の「好き」の所以を最後の最後まで尋ねられなかった。それがいけなかった。でも、それがよかった。

「ましろといると、何か落ち着くんだ」

 嘘じゃないあなたの温度を、感じられるほど私があたたかな人生を送ってきたことを、どこまでも恨んでしまった。もっとバカな女の方が楽で、もっと賢い女の方が得だったと、比較級と最上級ばかり使う私は、もう、私が愛され得ないと決めていた。

「今日の私、綺麗でしょ」

 そいつにそっくりにできたと分かった日。

 あなたに作りたての貌を見せつけた。

「うん、凄く綺麗だ」

 終わりの足音は、涙の幸せと一緒だったよ。



 何番目か数えるのをやめてしまったので、今から四つ前ということしか分かりません。

 どこか面影があって、どこか超えていて、どこか足りない、限りなく近いのに、果てしなく遠いナニカ。上手なら、忘れられる気がして、いついつまでも忘れられなくて、また諦めてしまった。

 人は幸せにはなるかを選択できると、あなたが消えた日に、思いました。

「私は絶対に幸せにはならない」

 だって、あなたしか、私を幸せにできないと決めつけてしまったから。あなた以外が私を幸せにできるとしたら、あなたを好きだったことがあやふやになる気がして、それが怖くて、怖くて。

 あなたに似ていて、似ていない人を探す術に長けました。今カレは元々カレよりはあなたに似ていますが、元々々カレよりは似ていない気がします。中指が少し短くて、背筋を這う指先がやや不器用だったので。

 私は多分、もうあなたを好きではないのだと思います。もしそうなら、あなたを求めて、地球の果てまで行くでしょうから。

 キミなら分かるんでしょうね。あなたより随分と賢かったから。私のコレは執着で妄執で、取り戻せない失敗。

 上手くできなかったファーストキスの味がそれでいてどこまでも甘美だったように、下手とか上手とか、どうでも良かったんです。

 ただ、私が私の意志で選んでみせた人が、私に全く振り向いてくれなかったという事実が、それが叶ってしまった初めての恋だったという不幸が、私のアイデンティティーに相応しかったというたった一つの理由で。

 幸せになったら、いけないんです。

 絶対に、絶対に。



「    」

 知っていた結末を、回避できなかったことを、悔やむこともできず、むしろ当然と思えた事実が哀しくて。

「最後にもう一度だけ抱きしめてくれない?」

 最後の一秒まで、恋人でいたかった。

 それに応えてくれたあなたは冷徹な温厚な人。

 突き放せないから、そいつに棄てられたんだよ。

 世界一愚かで、今すぐ消えてほしい人。



 トン、トン、トン。

 しねない。しにたくない。それはこわいです。

 でも他の罪は全部、犯せる勇気があるんです。

 手紙の意味を読めるキミにだから、あえて書いてみせる私はいくらほど非道い女でしょうか。

 でも本当に、キミには幸せになってほしいんです。

 だって、この手紙を最後まで読んでくれるくらい、良い人なんですもの。


 私は七畳半で今日も泣いて啼いて過ごしています。

 憐れんでくれなくて構いません。

 むしろ、さっさと忘れるのがキミにとっての幸福でしょう。だからこそ、燃やすべきで、燃やさないでください。

 これをあなたにでなくキミに送る意味が、キミなら分かるはずでしょうから。


「私は絶対に幸せにならない」

いつまで守れるでしょうか。

 弱い弱い私は、この誓いすら、護れる気がしません。

 明日には包まれて朗らかに笑っているかもしれません。

 でも今、冷たくなりゆく今カレの首を無下に抱きしめながら、思った感情は、あなたが浮かべた本当の笑顔と遜色ないくらい、本物なはずなんです。


「だって、だってだって」

 信じたら、裏切られた時が、最悪でしょう?


 キミの前途に幸がありますように。

 草々。


 荒木真白

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は絶対に幸せにならない。 杏珠るる @Lelou_Ange

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ