第3話 真理愛、ミナシの神
その女店員は、ぼくが男と喫煙ボックスで語らい合っているところへ、ずけずけと割り込んできたので、最初のうちはあまり良い印象を持たなかった。
当初こそ、男にどこか詐欺師めいた悪辣さの臭いを感じ取っていたぼくだけれど、この時期にはそうした感情は少しずつ脱臭されていた。代わりに芽生えてきたのは、男の放つ得体のしれない雰囲気と、彼が頻繁に口にする【神の声】とやらに対する好奇心の方だった。
「今日は聴けましたか? 神の声は」
「しるしを自ら望むことは、神の声を遠ざけます。しかしながら、つまづいてもおられない。私はただ、時が来るのを待つだけです」
男は軽い微笑みをその場に残して、先に喫煙ボックスを出ていった。後に残されたぼくに、女は、まるで古くからの友人と思わぬ再会を果たしたような調子で口にした。
「きみ、いつから彼のお知り合い?」
「あの人と? もう三か月くらいになりますかね」
「彼のこと、どう思う?」
「どうって、めちゃくちゃ不思議な人だなぁとしか。というか、そっちこそどう思います? あの玉の動きとか」
「私も最初は驚いたね。どうみてもただの技術介入にしか見えないけど、なにか仕掛けてるんじゃないかって、さんざん疑って夜通しあの機種を点検したもんだよ」
「それで、なにかわかったんですか?」
「なんにも。とくに機種に異常は見られなかった、というのがまた異常なんだよね。最近はそういうもんなんだなぁって受け入れるようにしたけど」
「ずいぶんあっさりしてますね」
「不思議なものは不思議なままとして、理解できなくても納得しちゃえばいいんだよ」
「店長さんや他の店員さんは、見て見ぬふりなんですか?」
「現象は怪奇極まるけれど、ホールに実害があるわけじゃないからね。触らぬ神に祟りなし、とも言うでしょ?」
「はぁ」
「それに、あの機種はウチのホール唯一のみなし機だから、壊れたら壊れたで仕方がないって上の人たちは思ってるんだよ、きっと。あのオヤジたちが興味津々なのは月の売り上げと人気機種の稼働率の方でね。さして利益に貢献しないバラエティコーナ―の台なんて、どうでも良いの」
「みなし機ってのは、何なんです?」
「うーんとね、パチンコの機種はメーカーが製造してすぐにホールに置かれるわけじゃなくて、まずは保安通信協会の型式試験をクリアしなきゃならないの」
「それって」
唾を飲み込む。
「検査業務ってことですか?」
「まぁ、正確には違うけど、大方そんな感じ」
いままで遠い場所だと感じていたこのホールが、急に卑近な場所として認識されはじめた瞬間だった。
「で、型式試験に無事合格したら、こんどは各都道府県が設定している検証試験をパスする必要がある。無事に検証試験に合格できた機種が、ホールに並ぶってわけ。で、特に人気のある機種については三年毎に認定試験を受けさせて、認定機のお墨付きを継続して与えてやらなきゃいけないの」
「法律の力で機種を継続的に守るってやつですか?」
「そういうこと」
「じゃあ、みなし機ってのは、法的根拠が消滅した機種……」
「そう。認定機の更新期限をとっくに過ぎているけれど、ちゃんと動く機種ですよーって、いちおうは
「それ、大丈夫なんですか」
「うん?」
「法的に保証されてない機種をホールに置いておくなんて、商売上オーケーだとは思えないんですけど」
「へぇ、よく気づいたね」
「いや、いまの話を聞いたら誰だって気づくでしょ」
「まー正直なところ、グレーゾーンなんだよね。警察にバレたら面倒なことになるけど、認定シールは台に貼られたままだからある程度は誤魔化せるし、それに、どこのホールもこうしたことはやっているからイイじゃんとは思うんだけど。最近、みなし機を一斉撤去しようっていう動きが上の方であるみたいだし……でも、ホールとしては助かっている部分もあるの」
「もしかして、認定の更新に無駄に費用がかかる、とかですか?」
「正解。なんでわかったの?」
一瞬、返答に詰まったけれど、会話の流れを壊さないように、自然な風を装って答えた。
「自分も、その、業界は違いますけど、検査業務を仕事にしていたもので」
「そうなんだ。まぁ、悩ましい問題よ。ウチみたいな店舗はお金が潤沢にあるわけじゃないから、出来る限り、かかる費用は人気機種に集中させたい。そうすると、どーしてもみなし機が出てきちゃうの」
「もし壊れたりしたら、どうするんですか」
「そんなの、問答無用で撤去するに決まってるじゃない」
「ホールに部品の在庫を置いていたりとか」
「自前でスペアを用意しておけばいいってわけじゃないから」
「どういうことです」
「基本的にメーカーから機種の部品交換や設備の点検を受けるときには、各都道府県の公安委員会の承認が必要なんだけど、これに該当するのは検定機や認定機だけ。みなし機は含まれない。何かトラブルがあって壊れたら、誰も責任をとれないのよ」
真理愛の話を聞きながら、ぼくは世界の各地に散らばった、ぼくの機械たちについてぼんやりと考えた。戦地に送られた彼らの保安業務は、戦地常駐の整備兵たちの仕事だ。どういった基準の下にチェックしているかは、いちメーカーの精度管理作業員だったぼくの知るところではない。
それでも、いまの話を聞くと考えてしまう。もし、どこかの整備兵が諸般の事情から点検業務を疎かにした結果、法定耐用年数をオーバーした無人兵器を生み出し、それと気づかずに指揮系統に組み込んでしまったら、いったいどうするのだろう。
異常が起こって逸脱した行動パターンを取り、非戦闘地域に何十発ものミサイルを撃ち込んだりしたら? 味方側の軍事ネットワークに異常をきたすような事態を招き、人命が損なわれるような事態に直結してしまったら、誰が責任を取るのだろう。整備兵か。あるいは整備兵が所属している大隊か師団長か。あるいは国か。それともメーカー?
もしかしたら、ぼくにその責任のお鉢が回ってくるかもしれない。
いや、ありえない。会社はすでに辞めているのだ。
だけれども、どうしても頭から離れない。ぼくが日銭を稼ぐために、戦地へ送り出していった数々の無人兵器たちの姿かたち。たくさんの成型炸薬弾と、たくさんの地中貫通爆弾をばら撒きながら、あちこちの
彼らの【声】を聴く責任が、誰かにあるのだとしたら。
「あの人、本気なんでしょうか」
「本気なんだと思うよ」
煙草の灰と共に落とした呟きを、真理愛は無視せずに拾ってくれる。
見上げると、彼女の顔が視界に飛び込んでくる。手入れの行き届いた金色のショートボブが揺れる。彼女の薄茶色の大きな瞳の奥に、静かな熱狂の渦を見る。脳の中枢を快楽へ導く科学的に計算された熱狂とは種類を異にする、原始的な興奮と祈りの片鱗が、そこに在る。
「あの人は、本気で神様の声を聴こうとしてるんだと思う」
「ずっとあの台の前に座って、聞こえてくるのをただ待つだけなんて、なんか寂しくないですかね」
「違う。待つんじゃなくて、引き出すんだよ」
「え?」
「声が聴こえてくるのをただ待つんじゃなくて、引き出すの。たぶん、そろそろなはず」
まるで確信しているかのような物言いに、探りを入れるように尋ねた。
「もしかして、あなたも【神の声】とやらを聴いたことが?」
質問には答えず、真理愛は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
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