第2話 機械の声、神の声

 あの一夜をきっかけにして、ぼくは男とよくホールで顔を突き合わせる仲になった。いまは仕事もないし、無駄に金だけはあるものだから、時間を選ばずにホールに出入りしているうちに、男の方からぼくに興味を持って近づいてきたようだった。いや、もしかしたらぼくが無意識のうちに、男の影を目で追っていたのかもしれない。それも、今となってはどっちでも良いことだった。


 男の服装は、毎回決まって白一色で統一されていた。男は毎週の月曜日と水曜日と土曜日にきっかりと姿を見せると、決まって、あの日の夜に三万円をアッサリと飲み込んだバラエティーコーナーの台の前に座って、遊技を始めるのだ。


 朝イチからホール前に並ぶこともあれば、昼過ぎにおっとり刀でやってくることもあれば、夕飯を済ませてから来ることもあった。時間はまちまちだったが、とにかく男は決まった曜日にホールに出向いて、決まった台を打ち続けていた。バラエティコーナーに置かれた、あの台を。


 ぼくも毎日のようにホールに出向き、そこでお互いの身の上をぽつぽつと語り合った。といっても、ほとんどはぼくばかりが喋っていたように思う。


 いまは無職の身だけれども、つい一か月くらい前のぼくの生活は、世間一般の水準で言えば上級層に該当していた。科学技術系の専門学校を出た後、無人兵器製造をメインソリューションとする軍需メーカーの品質保証部に配属されたぼくは、ひがな一日中、クリーンルームにこもりっきりで、戦地に送り出される兵器の精度管理作業に時間を費やしていた。


 精度管理。要するに、兵器動作に関わる最終検査業務だ。陸戦兵器だったり航空兵器だったり、自律思考プログラムが組まれている多脚戦車だったり、無線遠隔のマスター・スレイブ方式で動く小動物を模した自走地雷兵器だったり、ぼくはたくさんの兵器たちを検査した。チェックする検査項目はだいたい決まっていた。気密、通電、耐水、防塵、防爆……そうした要項を、手作業とコンピューター上で確認しながら、見事合格を勝ち取った殺人機械たちに、世界基準クリアの認証マークが印字されたシールを次々に貼るだけの、とても簡単なお仕事だった。


 ぼくの労働は肉体的な過酷さとはかけ離れていた。大変な仕事という自覚はなかった。それでも、毎月の給料に加えて高額の諸手当が貰えたのは、今にしては過剰な手厚さだったと思う。賞与に至っても、わざわざ時代遅れの労働組合を組織して団交に及ぶまでもなく、かなりの額が毎年保証されていた。おかげでぼくの家は、高級家具や高級寝具、最新式の家電で埋め尽くされていた。


 合格基準をクリアして丁寧に梱包された後、空輸されていく無人兵器たち。彼らの行き先は決まって、テレビ画面の向こう側だった。


 八つの部族と五つの言語と二つの宗教が混在する熱砂の砂漠国家。

 後継者問題と権力闘争に揺れる北の軍事国家。

 分離主義者の独立運動が激化の一途を辿る世界有数の連邦国家。

 専制政治の崩壊と急速な民主化の果てにアノクラシー状態へ陥った南洋諸島国家。


 そうした国々に、ぼくが検査した兵器は送られ、あらゆる戦闘状況で使われ、数えきれないほどの人間を地上から跡形もなく消し去っていった。


 機械たちはミスを起こさなかった。有人兵器よりも確実に作戦を遂行した。兵器たちの性能評価の対象となる相手は、人のカテゴリーを問わなかった。軍人も民間人も、白人も黒人も関係なかった。みんな仲良く手を取り合って、彼岸を渡っていったに違いなかった。


 戦争状況の最後方に位置しているこの国の片隅で生きるぼくは、切り取られた現実の光景をモニター越しに眺めながら、カップラーメンを啜る毎日を送り続けていた。かつては民家だった瓦礫の山を前に、深刻そうに眉根を寄せる現地リポーターの表情を見ながら食べるカップラーメンの味は、いつもと変わらない味がした。あの民家を爆撃したのは、ぼくの検査した無人航空兵器だった。


 ある日、ぼくは不眠症に陥った。


 メーカーお抱えの産業医に紹介された大学病院でもらった診断書には、過労によるストレスの蓄積が原因と記載されていた。不眠症は事実だけど、ストレスを抱えている意識は、当時のぼくにはなかった。でも、医者がそう診断したのなら、きっとそうなんだろう。それがきっかけで、ぼくは会社を辞めることになった。


 ぼくの手元に残ったのは、人を殺す機械を検査する技術と、通帳に記入された桁数の山だった。不眠症は今も治っていない。とうとうここにきてぼくは、自分が岸壁に追い込まれている感覚を、なんとなくではあるけど掴めそうだった。


 金と時間と暇を持て余したぼくは、状況を変えるための取っ掛かりを掴めるかもしれないと期待して、これまでの人生と最も縁遠い場所へ、すなわち、あのホールへと足を運んだ。そこで男と出会った。そういうことだ。


『間違うのはいつも人間の方だ。機械を疑ってはなりません』


 あの日、男が別れ際に口にした一言は、滑らかにぼくの心を貫いた。安全な場所で平和を叫ぶ運動家たちの理想論や、国粋主義に染まった高齢者たちの世迷言なんかよりも。自省を促されたとかそういう意味ではなく、単純にぼくは男に興味を持った。


 目的はあっさりと変わった。ぼくがホールに足を運ぶ目的。それは男の遊技を眺めるためだ。そういう暮らしをしばらく続けていると、徐々にぼくの中にろくでもない知識が蓄積されていった。そのうちに、この男が只者でないことが理解できるようになっていった。


 ぼくらが足繁く通っているホールは急行電車の止まる駅のすぐそばにあった。幹線道路沿いにある大型店舗とは違い、規模は中型。資金力の問題で人気の最新機種を常に複数台導入できるとは限らないのが、中型店舗の悩みの種だ。


 だから客足が途絶えないように、こうした店は、旧型機種ひしめくバラエティーコーナーをある程度は優遇させる傾向にある。店側が定めているイベント日には機種の設定を最高値の「6」にして、出玉率と大当たりの確率を操作することだって、頻度は高くないけどあるにはある。ヘソ釘やジャンプ釘の調整にしたってそうだ。ぼくはまだ初心者で釘読みなんて出来ないけど、男の打つ台の釘は、そこまで締めているようには見えない。


 つまり理論的に言えば、辛抱強く遊技し続けていれば、そのうちいつか当たるはずなのだ。


 だけれども、男はハマり続ける。男が打ち出すパチンコ玉は、どれもこれもヘソを避けるようにしてアウト穴へ吸い込まれていく。曜日を問わず、時間を問わず。華やかな盤面の世界へ勢いよく打ち出されて、次の瞬間には死に玉となって、ぼくらの視界から消えていく金属の連なり。


 まるで見えない力がヘソの周囲に働きかけ、玉を弾いているようにも見えてくる。けれども、これは間違いなく男のテクニックによって為されていると、ぼくは看過する。


「それ、狙ってやっているんですよね?」


 背後霊のように立って問いかけると、男は盤面を見つめたまま「どうしてそう思うんですか?」と穏やかに返してきた。


 ハンドルを握る男の右手に視線を注ぎながら、ぼくは推測を口にした。


「ストロークを調整してますよね。止め打ちに捻り打ち。出玉の消費を抑えつつ、大当たりの期待値を操作する技術介入を、あなたは逆の目的で行っている。ありえないことだけど、でもそうとしか考えられない」


「勝とうと思って、打っているわけではありません。私が自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、私の栄光は空しいだけです」


 上皿の玉が、おしくらまんじゅうをするように、するすると射出口へ吸い込まれていくのを眺めながら、次の言葉を待った。


「私はただ、機械の声を聴きたいのです」


「機械の声?」


「パチンコを打つときは、よくよく注意しないといけません。ただ漫然と打ち出しているだけでは、いたずらに心と時間を奪い取られるだけで、声は沈黙するばかりです。釘の難しい台を打てば、心につまづきが生じて、声を聴く機会を逃すことでしょう。大当たりからの連チャンが心地よいのは間違いないですが、射幸心は打ち手の真心を曇らせる。派手な演出が間断なく連続すれば、それだけ機械の声は塞がれて遠ざかってしまう」


「そんなに機械の声が聴きたいのなら」


 隣の台に腰掛けると、男の横顔を睨みつけるようにして口にした。


「戦地にでも行って、砲撃や爆撃の音を聞いていればいいんだ」


「なるほど」


 男は頷いた。こちらの言い分を飲み込んでくれたわけではないことは、雰囲気で察せた。


「あなたは、機械たちのことが忘れられずにいるんですね。彼らが戦地で築き上げた、屍の山のことについても」


 言葉に詰まる。いまの話の流れで、どうしてわかったのだろう。


 気まずさに打ちのめされて目を逸らす僕に構わず、男はハンドルを操作しながら続けた。


「戦地で活躍する機械も、このホールに在る機械も、その内に宿す本質は同じです。肉体は傷つけずとも、これらの機械には、人を破滅に追いやるエネルギーが満ち溢れている」


 ばん、と大きな音がした。振り返ると、ニット帽を被った赤ら顔の老人が、苛立ちを隠すことなく遊技台を叩いている。大当たり演出が外れたのだろうか。悔しそうに唇を歪め、ジャンパーのポケットに両手を突っ込みながら、ゴミ箱でも蹴り倒すような勢いそのままに、台から離れていった。


「しかし、その一方で機械は人を生かす。あなたが検品した機械たちは、人を殺し、同時に人を助けてもいる。機械が存在しなければ、助からなかった命もあるのです」


 男の左手。人差し指が盤面をなぞるように指さした。


「これは人を殺すし、人を生かしもする。その瞬間がいつ舞い降りてくるかは、誰にも予測できない。だからこそ、私はこれ・・の声を聴くのです。たとえ何年かかったとしても、聴かねばならない」


 男は静かに目を閉じ、その細くて白い顎を天へ差し出すように上向けた。


「なぜなら、このパチンコ台には、【神】が宿っているのですから。私が聴こうとしている機械の声とは【神の声】に他ならないのです」

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