第23話:俺のエルだ、貴様らに指一本も
「ばっ……化け物⁉︎」
「う、ウルアルト城の、
兵士たちの、悲鳴にも似た驚愕の叫び。
エルマードがさらした正体──金色の、おそらくは
驚くのも無理はない。人の姿から
「う、うわああああっ!」
橋の真ん中の
だが、夕日を受けて輝く金色の残像を残すように、エルマードは姿を消した──そう思った瞬間に、兵士の悲鳴。
倒れ伏した兵のうち、一人の首を掴み上げた金色の狼は、そのまま川岸の岩壁に向かって投げ捨てる。
ぐしゃっ、という何とも嫌な音。
ここからは切り立った岩壁に挟まれた川底の様子は見えないが、おそらく無事では済まないだろう。
「く、来るな化け物ォ────ッ‼︎」
橋の向こうの積み上げた
ぶぎゃっ、という悲鳴とともに、土嚢ごと吹き飛ぶ兵士たち。土嚢に叩きつけられた兵はそのまま縦に回転するように跳ね上がってから、地面に叩きつけられた。巻き込まれた兵士が一人、首があらぬ方向に捻じ曲がるようにして、やはり錐揉み状に回転しながら川に落ちていく。
「ヒッ……ヒィィイイイイイッ!ば、化け物めぇえええっ!」
至近距離で弾を乱射されたエルマードは、それを避けようともせず、飛び込むように距離を詰める。
つかみ上げられた兵士も殴りつけられた兵士も、体を妙な角度に捻じ曲げるようにして、川に叩き落とされる。大人二人分程度の落差の川底には、荒々しい岩が牙を剥いている。頭から落ちていては、おそらく生きてはいないだろう。
「な、なんだこの化け物……! どこから湧いて出て来た!」
「ただの
橋の向こうのほうでは、エルマードが金色の獣に姿を変えたことには気づいていないようだった。
だが、どれだけ
「ボクの、ボクのご主人さまを……! よくも、よくもっ!」
それはまさに、
夕闇迫る赤い世界で、金色の獣は、流れ出る血で自身を赤く染めながら、しかしその猛威が止まらない。
暴風は、
「隊長! ありゃあ、何です⁉︎」
……ああ、つまり、彼から見ても、
「十騎長、見ただろう……? エルだよ……。可愛くて愛おしい、俺の従者さ……」
「……隊長! しっかり!」
ノーガンも額から血を流しながら、俺のそばに滑り込むと体を伏せ、左側面に向けて射撃を始める。
「……は、はは。ノーガンの下手な射撃に、守られるようじゃ……俺も、もう、おしまいだな……」
「何言ってんですか! 隊長が始めた戦いですよ! 途中で自分だけ降りようなんて虫のいいこと、言わせませんからね!」
ノーガンが歯を食いしばりながら、撃ち尽くした弾倉を引き抜き交換する。
橋の向こうでは、金の獣が、悲痛な叫びを上げていた。
「ボクは……ボクはまたひとりぼっちになっちゃうんだ! お前らの、お前らのせいで……!」
「た、助け──」
「ボクもそう言ったじゃないか! でも撃つの、やめてくれなかった! ご主人さまのこと、助けてくれなかったっ!」
ぶちっ──
エルマードの鋭い爪が、男を
それは俺が見た、エルマードが直接命を奪う、初めての姿だった。
「ボクは助けてって言ったんだ! 誰も、撃つのを止めてくれなかった!」
──ああ。エルは、俺のために、怒り、そして
霞む視界の中で、俺は、必死に手を伸ばした。逃げる兵をつかみ上げ、首を捻じ切らんとする、愛しい彼女に向かって。
──やめるんだ。エル、君は、そんなことまで、しなくても……
「隊長! しっかりしてくだせえ、隊長!」
ロストリンクスの声が、妙に遠い。もう、俺はここで脱落するのだろう……そう思った時だった。
「うわあああああっ! お前たちなんか、お前たち、なん、か……っ!」
エルマードの悲鳴だった。
エルが、無敵に思えた彼女が、ゆっくりと、倒れていく。
嘘だ。
ウソだ、うそだ……
あの子は、まだ、死ぬべき人間じゃないんだ。
一人の兵が、
やめろ……
やめてくれ、彼女は……
やめろ、それを振り下ろすな、やめろ、やめろやめろヤメロォォオオオオッ‼︎
「隊長? ……うわっ!」
ノーガンの驚く声が耳に入ってくる。
温かな青白い光が俺を包むのを、はっきりと感じた。
その光は波紋のように、瞬時に広がっていく。
「エルっ……!」
光の波紋は瞬く間に川の対岸まで届き、倒れているエルマードを包む。
同時に、彼女に今まさに振り下ろされようとしていた
「ぎゃあっ⁉」
「目が、目がぁああっ⁉」
顔を押さえ、悲鳴を上げて転げまわる。
「た、隊長……? いけやせん! 傷が開きやす!」
ロストリンクスが止めるが、俺は立ち上がった。不思議と痛みがない。気分は最悪だが、恐ろしいほどの衝動が全身を駆け巡る……!
「エル、今行くぞ!」
俺は、倒れていた兵士の手に握られていた
「どけえっ! 俺のエルだ、貴様らに指一本も触れさせるものかっ!」
「な、何だこいつは!」
「妙な真似をしやがって! 撃て、撃ち殺せ!」
兵士が
俺は姿勢を傾けて
うめきながら前のめりに倒れ込む奴らを見届けるようにするのと、エルマードの元に滑り込むのが、同時だった。
「エル……エル! しっかりしろ、意識はあるか!」
不思議な青白い光に包まれて、体を丸めるようにして、エルマードはそこにいた。
「エル! 目を覚ませ! エル‼」
「……んう……」
かすかな声を上げる彼女に、俺は全身が沸き立つような感動を覚える。
「エル! 俺だ、アインだ! お前のご主人様だぞ!」
その瞬間だった。
ぱっと目を覚ましたエルマードが、一気に飛び起きる!
「ご主人さまっ!」
体のあちこちから血を流し、赤く染まった毛並みは酷いありさまだ。
けれどエルマードは、まるで怪我などないかのように跳ね起きたのだ。
「ば、馬鹿なっ!」
「あれだけ撃たれて、なんで起き上がれるんだっ⁉」
兵士たちの悲鳴にも似た叫びの中で、エルマードが歓喜に沸き立つ声を上げて飛びつく。
「アインさま! ボクのご主人さまっ!」
「ああ、お前のご主人様だよっ!」
動揺する兵士たちの中で、一人、「化け物めっ!」と
瞬時に青白い光がその兵士に向けて収束し、その手に握っていた
「ぎゃひっ⁉」
そのまま俺たちを囲む兵士たちの
「次は貴様ら自身だ!」
そう叫ぶと、兵士たちは「ば、化け物っ!」と恐怖に顔を歪め、蜘蛛の子を散らすように逃げだした。
誰もいなくなった橋のたもとで、俺は、がっくりと膝をついた。俺を抱きしめるエルマードのふかふかの毛並みとぬくもりが、心地いい。
「隊長! ご無事ですか!」
駆け寄ってくるロストリンクスの声を最後に、俺の意識は、ふっつりと途切れた。
愛するひとを守ることができた──その確かな実感を味わいながら。
「……ここは……」
目を覚ました実感が感じられないほど、暗い場所。ふかふかの毛布のようなものの中で、俺は目を覚ました。
どうやら、またしても生き延びることができてしまったらしい。
「……そうだ、エルは──」
身を起こそうとして、そして、いま、自分の身を包んでいたものが何かに、やっと気づいた。
「んう……ごしゅじん、さま……?」
そう。
エルマードだったのだ。
毛布だと思ったのは、
同時に、あの、血塗れのエルマードの姿が脳裏に浮かび上がる。
至近距離で多量の弾丸に貫かれて、血で真っ赤に染まった姿が。
「エル! お前、怪我は……!」
暗闇の中で、エルの体に触れる。あれほど血を流していたならば、当然、彼女の体毛は血糊で固まって、ひどいことになっているはずだった。
だが、彼女の体毛は、あくまでも、上等な毛布のようにふわふわだった。怪我のあとも、感じられない。
それよりも、焦る俺が馬鹿馬鹿しくなるような、エルマードの反応が、俺を戸惑わせる。
「ごっ、ご主人さまっ! ひゃんっ! くすぐった……あんっ! そ、そこはダメ、いやぁん!」
……最後に触ってしまった、滑らかな肌、丸くやわらかな感触に、俺は慌てて手を離し、平謝りに謝る。
「……いいよ、もう。だって、ご主人さまだもん」
真っ暗でどんな顔をしているのかは分からない。だが、少なくともそのか細い声は、怒っているわけではないようで、まずは安堵する。
「……それより、
いたずらっぽく言われたその言葉に、俺は言葉を返すことができない。いや、エル、お前はまだ──
「……隊長、目が覚めやしたか?」
突然、小さいが聞き慣れた声が聞こえてきて、慌てて返事をすると、ゴトゴトと揺するような音と共に、重そうな扉が開かれた。まぶしい。朝なのかもしれない。
「お前も無事だったか!」
「悪運だけは、どうにもいいようで。隊長も、目を覚ました途端に女で
逆光で見づらいが、間違いなく皮肉げに笑みを浮かべている男は、俺が頼りにしている副長にして十騎長、ロストリンクスだった。
「隊長。お目覚めのところ申し訳ありやせんが、さっそくに顔を出してもらえやせんか?」
「俺が寝ている間に進展があったということだな? よし、すぐ行く」
ロストリンクスが、口元を歪めるように笑みを浮かべて、扉の前を離れる。
振り返ると、そこには扉からの光を浴びて、金色に輝くエルマードの、狼の獣人の姿。
……ああ、やはり彼女は、狼の獣人なのだ──そんな、妙な感慨が湧いてくる。もはや二人の秘密でもなんでもなくなった、彼女の、本当の姿。
「……ご主人さま。行く前に、少しだけ──」
エルマードが、そっと俺に近づくと、ぎゅっと、しがみついてきた。
ふかふかの毛並みと共に、やや人よりは高い体温の彼女のぬくもり。
「……よかった。ご主人さま……ボクのご主人さま……! 生きてる……ボクのおそばで、生きてる……!」
しばらくすすり泣く彼女の頭を、背中を撫でながら、俺は改めて、彼女のために生き延びることができた喜びをかみしめた。
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