第19話:恋愛喜劇は、趣味じゃなくてな

「あの豚は何故始末しないのか、だって?」


 帰還から数日後。トニィの奴に聞くと、彼はからからと笑った。


「あの豚を始末してしまったら、残念に思うのはアイン、君だろう?」

「いや、それはそうなんだが」

「必要以上の拷問も加えていないさ、彼は一応、重要人物だからね」


 必要以上には加えていない、ということは、必要な程度には拷問したということだ。背筋に冷たいものが走る。


「あの豚、爪の間に針を一本打ち込んだだけで全部しゃべったから、ちょっと張り合いがなかったけれどね」


 いや、そんな残念そうに言うなよ。そんなに拷問したかったのか? そう返すと、彼はきょとんとして言った。


「え? あれを生かしておく必要が無ければ、寸刻みにして小さく・・・おいたよ? 領主貴族の面目めんぼくを潰したのだ、それくらいの報いは当たり前のことだろう?」


 いや、そんな、本当にごく自然で当たり前のことのように言われても。すると、その顔色が伝わったのか、トニィがまた笑った。


「君は本当に面白い男だね。それでも本当に軍人だったのかい?」

「軍人は戦場で命の切り取り合いをするとはいっても、相手を苦しめるために何かをする、なんてことはしないぞ?」

「いや、そういう意味じゃないのだけれどね?」


 さらにひとしきり笑ったあと、トニィは「ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだ!」と言って、さらに満足気に微笑んでみせた。そんなにも笑われるようなことはしていないつもりなんだが。


「でも、本当に大して何もしなかったのに、ぺらぺらと泣きながらしゃべる豚の見苦しいことと言ったらなかったね。よくもまあ、あれで貴族を名乗れたものだよ」


 領地領民すべてが自分の財産である領主貴族にとって、それらが傷つけられるのはそのまま自分の面目めんぼくを潰されることに等しい。ゆえにトニィの言動は理解できる。豚に同情する気もない。


「まあ、不快な豚の話はこれくらいにしよう。アイン、あの少女はどうするつもりだい?」


 トニィは、リィベルに話題を移した。彼女のことは、俺も気になっていた。何か、いい引き取り先があればいいのだが。


「引き取り先を願われても、あの娘、人見知りが過ぎるようだからね。いや、もちろん男性不信が大きいというのは理解できるのだけれど」


 そう、それは俺も頭を抱えていた。

 あのクソ豚野郎に酷い仕打ちを受けていたせいで、彼女はどうもかなりの男性不信になっているようだ。まあ、当然だろう。

 ただ、それゆえにフラウヘルトの女たらしぶりが効かない。ここぞというときに役に立たない奴め……などとは言えない。


「何か、優しい尼僧たちが運営する孤児院みたいなものはないか? 同じ女性ならば、まだ安心できるだろう?」

「そういう問題ではない気がするのだけれどね? あの少女を見ていると」

「分かるのか?」

「さてね? 帰還中の様子と結びつけて考えてみたまえ。私はそこに答えを解く鍵があるような気がするけれどね?」

「帰還中? 今と大して変わらないと思うが」




 山を降りている時だった。リィベルは騎鳥シェーンに慣れていないようだったので、結局、俺とエルマードで挟むようにして乗っていた。

 捕虜の連中に合わせてゆっくり移動していたため、大して揺れなかった。だから誰の背中でも良かったはずなのだが、彼女は結局、ずっと俺たちと一緒に乗っていた。エルマードと一緒の方が、安心できたのかもしれない。


 だからだろうか。退屈な移動中、少しずつあれこれ話すようになった。村での暮らし、死んだ両親のこと、幼い頃の祭りで楽しかったこと、仲の良かった姉との日々の思い出、恐ろしい戦火の中で逃げ惑ったこと、姉と共に捕まったこと、ラフェンズブルク療養所での息の詰まるような生活など……。


 そして二日目の夜、彼女は問うたのだ。


「姉は、姉はどこにいるのでしょうか。姿が見えません」


 誤魔化すことは簡単だったかもしれない。だが、エルマードが言ったことがずっと頭に残っていた俺は、言葉を選びつつも、亡くなったという事実を告げた。

 箱を手榴弾グラナートで破壊したとはさすがに言えなかったが、ショックを与えぬように眠っている間に埋葬した、と伝えた。


 彼女はそれを聞いてしばらく沈黙していたが、星空を仰いで、「姉は、あの星の一つになったのでしょうか」と一言こぼし、そして静かに涙を流した。


 星界は、神々のおわす世界だ。おそらく、その魂は神々の御許みもとかえったのだろう──それくらいしかかける言葉が見つからなかったが、彼女は小さく頷いて、そして、微笑んでみせたのだ。


「誤魔化すこともできたはずのに隠すことなく、アインさまの手で葬ってくださったこと、お話くださってありがとうございます」


 彼女は、薄々気づいてはいたそうだ。姉は、すでに、「人」としては生きていないだろうということを。ただ、姉は生きている、ということをずっと聞かされていたため、その幻想にすがるしかなかったという。


「……色々あった中で、伝えることをためらってしまった。黙っていてすまなかった」

「いいえ。アインさまは惨めにとらわれていたわたしを、お救いくださったおかた。そのお心遣い、痛み入ります。姉のことも、ありがとうございました」


 深々と頭を下げたリィベルの、その潤んだ瞳は忘れられない。涙を湛えた目をしていても、彼女はどこまでも気丈だった。


 結局、彼女はそのままエルマードと一緒に、俺のそばについて回っていた。水汲み、食事の準備、騎鳥シェーンの世話。どうも彼女は、アンデルリッヒという家名が示す通り、小さな村を営む騎士の家の出身だったようだ。ただの村娘というよりも、騎士見習いの従者のように、よく働いた。

 ある時など、俺が乗っている騎鳥シェーンの名前を聞いてきた。


「アインさま! この子の名前はなんですか?」


 この鳥はトニィから借りたものだし、名前も聞いていなかったから分からない。そう答えると、リィベルは目を丸くした。


「普通はくらに、この子の名を刻みますよね? でも名前がなくて……」

「そのくら自体、エルと二人でこいつに乗るための、また別の借り物なんだ。すまないが、分からないとしか言いようがない」


 するとリィベルは、ますます驚いた様子で、そのくちばしを撫でながら言った。


「それじゃかわいそうです。名前、つけてあげてもよろしいですか?」

「鳥なんて、生まれた時から呼び習わさらないと、覚えないだろう?」

「そんなことないですよ? 馬と同じくらい、騎鳥シェーンは賢いですから!」

「……いや、俺が聞いていなかっただけで、本当は名前があるかもしれないぞ? その場合、こいつを混乱させるだけだろう」


 すると、リィベルはひどく残念そうな顔をした。


「じゃあ、この子がお仕事を終えた後で、お名前、伺ってもいいですか?」

「……それは構わないが」

「やったあ! ふふ、早くあなたのお名前、知りたいなあ。アインさまのおそばで、これからいっぱいいっぱい、お世話してあげるからね」


 こいつは借り物で俺のものではないと言ったのに、なぜ俺と一緒に世話をするような前提になっているのだろう。


「リィベルちゃん、アインさまはボクのご主人さまだからね?」

「ええ、もちろん。一緒にお世話、がんばりましょうね!」


 どうも、騎士の家に生まれた彼女は、騎士という存在を、自身が世話する対象として認識しているようだ。きっと、父親やその部下といった面々の世話をする母親の姿を見てきたからだろう。


 騎士という生き物について色々と心得ているらしいリィベルは、ゆえに色々と先回りして細々としたことを手伝ってくれた。俺以外の男性には相変わらず引きつった表情でなかなか打ち解けることはなかったが、俺のことは「騎士」という名の別の生き物として認識してくれているらしく、そのあたりに支障はなかった。


 時々、エルマードと妙な争い──洗い上がった俺の肌着をうれしそうに抱きしめて、エルマードと取り合うなど──をするようなこともあったが、まあ、概ね平和だった。


 俺はかつて婚約者を失った時、感情を殺し、割り当てられた労働に淡々と向き合うことで、抜け殻のように生きていた。彼女は逆に、人の世話に打ち込むことで、悲しみを乗り越えようとしていたのかもしれない。




「……というわけだ。まあ、彼女の家が、そういう家だったのだろうな」


 俺の回想に、トニィが額を押さえるようにしながら引きつった笑みを浮かべる。


「君は、恋愛喜劇の主人公か何かかな?」

「残念ながら、観劇──ことに恋愛喜劇は、趣味じゃなくてな。申し訳ないが、そういった話題は……」

「いやそういう意味じゃないんだが」


 トニィは何やらひどく疲れたような笑みを浮かべると、肩をすくめてみせた。


「そういうことだったら、もう、孤児院の話は無かったことにさせてもらうよ」

「おい、それは困る。彼女は今後、どうすればいいんだ」

「君が考えればいいんじゃないかな?」

「俺では思いつかないから困っているんだ。なんとかリィベルを引き取れそうな機関はないか? ……そうだ。見習いとはいえ法術遣いなんだから、領内に彼女を弟子にしてくれるような法術師はいないか?」


 そう提案すると、がっくりと肩を落としたトニィは、ソファに体を沈めるようにして天井を仰ぎ見た。

 

「ううん……ここまで言わないと分からないかな。君は、彼女にとって白馬の王子様なんだよ」

「何を言っているんだ。俺は騎鳥シェーンに乗っていたし、深林伯のしがない五男坊だぞ? 王子なんて名乗ってみろ、不敬罪で吊し上げられそうだ」

「……エルマードくんも、リィベルくんも、君には苦労させられそうだね」

「今、実際に苦労させられているよ」

「だから君が苦労するのではなく、彼女たちだよ、苦労するのは」




「えっ? あの鳥さん、ご主人さまのものになるの?」


 歩槍ゲヴェアの分解掃除を手伝ってくれていたエルマードが、目をキラキラさせる。リィベルと一緒に道中で世話をしていたから、情が移ったのだろうか。


「トニィからの、今回の報酬だそうだ。俺としても、あれだけ訓練された騎鳥シェーンを手に入れようとしたら、相当に金を積まなければならないからな。多少の金をもらうくらいなら、あの鳥をもらう方が、長い目で見て絶対に役に立つ」

「えへへ、ご主人さまが偉い人に認めてもらえるなら、ボクもうれしい!」


 エルマードがニコニコしながら、部品を渡してくる。


「そうか?」

「だって、ボクはご主人さまの従者だもん。ご主人さまのほまれはボクのほまれ、うれしいに決まってるよ?」

「……そう、だったな」


 故郷の領民も、確かにそういう意識だった。だからこそ貴族は、彼らを保護し、彼らが暮らしやすく働きやすい領地経営をしなければならない──父の教えを思い出す。彼らにとって住みやすい領地にすれば、彼らはおのずから身を粉にして働き、そうしてヴァルドグレイブはより発展するのだと。


「……エルは、俺を主君として認めてくれているんだな」

「えへへ……それだけじゃないよ? ご主人さまは、ボクにとって──」


 そっと目を閉じ、顔を近づけてきたエルマードに、俺も応えようとした時だった。


 唐突な、ノック。


「申し訳ございません。我が主人がアインツァイト様をお呼びでございます」


 トニィの執事──ヴァルテルといったか。物静かな声に俺たちは互いに苦笑いしながら、席を立ったのだった。

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