第17話:吐き気を催す邪悪、というのは

 リリベルマルレーナ・アンデルリッヒ。

 それが彼女──リィベルの名だった。生まれは王国との国境にほど近い村だったそうだが、ある日戦火から逃れようとして避難中に戦闘に巻き込まれ、そのまま姉と一緒に捕虜として収容されたという。時期的には、エルマードが俺の元に来る少し前のようだ。


「ラフェンズブルク療養所? 湖がきれいなところだよね。ひょっとしてボクもいたところじゃないかな?」

「……わたしは、湖の近くにある館で、姉と暮らしてたんですが……」

「うん、ボクも同じだった! ボクの部屋は湖に面した方でね? お姉ちゃんは、なんていう人?」

「姉ですか? 姉は、マネーララという名で──」


 エルマードとリィベルは、どうやら時期が違うだけで同じ場所に収容されていたらしい。話を聞いていると、ほぼ入れ違いに入ったようだ。


 年齢は、エルマードと同じ程度かと思っていたが、リィベルの方が若干年上らしい。エルマードは人の姿こそしているが、本来は狼の獣人族ベスティリングで、我々ヒトよりも若干成熟が早い。だから同程度に見えるのだろう。


 リィベルは、わずか二カ月で基礎的な修練を終えるほど、法術への適性を見せたそうだ。それで、ただの繁殖・・母体・・だけに使うには惜しいということで、こちらに回されてきたらしい。


 ……本当に、この研究に携わる連中ってのは、人の心がないのかと思う。エルマードと話をする中で、こわばっていた表情が徐々に和らいできたリィベルを見て、胸が痛んだ。




 しばらくリィベルの話を聞いていた。

 少女が背負うにはあまりにも胸が痛む話を。


 リィベルは、ただとつとつと、無表情に話していた。

 正直に言えば、エルマードには聞かせたくない話だった。


 だが、彼女はエルマードがそばにいるからこそ、話せたのだろう。

 彼女が語り終えたあと、エルマードは彼女を抱きしめて涙をこぼした。


 そんな二人を、俺も抱きしめずにはいられなかった。

 こんな少女が、なぜ、こんなにもむごい運命を。

 人目が無ければ、俺こそ涙していただろう。


「……で、隊長。その子供、どうしやす?」

「どうするもこうするもない。捕虜とは別に、要救助者一名。名はリィベル。正規の訓練を受けているわけではないようだが、法術遣いだ」


 俺たちの話が終わる時を見計らっていたのだろう。駆け寄ってきたロストリンクスに、手短に説明する。


 一度は法術で攻撃されたが、誤解が解けたとあれば話は別だ。身の上を鑑みても、捕虜として犯罪者崩れの人足にんそくどもと一緒にしておくわけにもいくまい。彼女は、今そこで情けないほどに泣き喚いている王国豚野郎に散々、ひどい目に遭わされてきたのだから。


「おい、フラウヘルト。女の子ならお前の領分だろう。とりあえず面倒を見てやってくれ」


 すると、フラウヘルトがきまり悪そうな苦笑いを浮かべる。


「い、いや、隊長……。僕は確かに限りなく紳士ですけどね? その、守備範囲というか……さすがに、戦禍せんかにさらされた女の子っていうのは……」


 戦禍にさらされた・・・・・・・・女の子──なかなかうまい言い回しをする。だが、彼が女の子がらみの話を断るとは珍しい。


「何を言ってるんだ。いつもお前、言ってるだろう。世の女の子すべてが僕の守備範囲だって」

「いや隊長、僕はさすがにそこまでは言ってないですから!」


 ああ、言っていない。その端正な顔が焦って歪むのが面白いだけだ。だが、俺の背中はエルマードで埋まっているんだ、誰かが面倒を見てやらなきゃならんだろう。


 ところが、リィベルは思うところでもあるのか、俺の背後から動こうとしない。なるほど、軽薄そうな奴は信用ならんというわけか。


「……ええと、じゃあハンドベルク。この子を頼む」

「ワシか? まあ、構わんがの」


 軽薄野郎が信用ならんというなら爆弾魔の爺さんに押し付ける、というのもそれはそれでどうかと思ったが、見た目は好々爺こうこうやのハンドベルクだ。いけるだろう。

 ……と思ったのに、やはり頑なに俺の後ろから動こうとしない。


 ──ひょっとして。


「エル、済まないが、先に集合地点のところに戻っていてくれないか? 悪いが、そこでしばらく、待っていてくれ」

「んう? いいよ?」


 エルマードが微笑んで歩き出すと、リィベルが慌てたように俺とエルマードを交互に見て、そしてエルマードの後ろについて歩き出した。


 つまりこれは、ぬぐいがたい男への恐怖心があるってことなんだろう。それではフラウヘルトも出番が無いわけだ。


 ……ああ、クソ豚野郎のせいでな!




 エルマードとリィベルが集合地点に向かったのを確かめて、俺は改めて、地面に座り込んでぶつぶつと口からクソを垂れ流しているクソ野郎に向き直った。


『おい、王国豚野郎』

『き、貴様! 高貴な身の私にこんなことをして、戦争が終わったらどうなるか、分かっているのかッ! 私は貴族なのだぞ! 王国宮廷貴族だぞ!』


 豚野郎は、足をバタバタさせながらみっともなく叫ぶ。


『木っ端の宮廷貴族・・・・ごとき・・・が偉そうに貴族を名乗るな。お前が名前だけでも貴族・・だと思うと、反吐へどが出る』

『な、なな、なにを……!』


 俺も確かに五男坊という芽の出ない男ではあるが、少なくともこんな、貴族という椅子にふんぞり返って好き放題やる奴と一緒にはされたくない。

 ましてこんな、畜生に劣るクソ野郎など。


『リィベルに言ったらしいな。お前の下で歯を食いしばって耐えていた彼女に、「お前の悦ぶ声を姉に聞かせてやれ」……だったか? 下衆野郎め』

『り、リィベルは私のモノだぞ! アレは辺境の名も知れない村の小娘なんだ、むしろ私が慈悲をかけて側女そばめにしてやっているのだ!』

『こんな荒くれ男しかいない場所で、お前の言うことを聞かなければ姉が酷い目に遭わされるかもしれない──そんな恐怖の中で、だ』


 吐き気を催す邪悪、というのは、こんな奴を言うのだろう。


『──好きでもない男の、粗末なモノの、不快な感触に合わせて、演技せざるを得なかったリィベルの気持ち……分かるか?』

『な、何を言うか! あの小娘、たかが辺境の村娘だぞ! この私の高貴な種を孕む名誉を与えて──ぶぎゃっ!』


 さすがにもう、これ以上聞く気にはなれなかった。


『な、殴ったな! 親にも殴られたことなど無い、高貴なこのワシを! せ、戦時陸戦協定違反だっ! 直ちに捕虜虐待について訴えて──』

『ああ、殴ったさ。だがな、俺たちはまだ、貴様を捕虜と認めていない──ロストリンクス』


 ロストリンクスが、一つの金属製の箱に刻印された名前を読み上げる。


「マネーララレーネ・アンデルリッヒ。……間違いありやせん」


 そう。チューブで繋がれた金属製の箱。その一つに、その名があったのだ。

 ……リィベルの、姉の、名前が。


 この下衆はリィベルの姉が、どこに、どんな状態でいるのか知っていた上で、あえてリィベルに教えず、そのうえでマネーララを人質にし、その箱の前で、リィベルを己の淫らな欲望のままに蹂躙し続けた挙句、よりにもよって法術を行使させたのだ。

 それが結果的に、姉だった女性を利用することになると、リィベルは知らぬまま。


『お前の外道ぶり、万死に値する。今すぐ射殺すべき、貴族の面汚しだ』

『ヒ、ヒィイイイッ⁉』


 俺が向けた歩槍ゲヴェアの先端、槍刃バヨネットが胸を突く。


『きき、貴様! わ、ワシを殺すのか⁉ 貴族のワシを⁉」

『なに、戦場なら生まれなど関係ない。貴族も平民も、みな平等に鉛玉一発であの世行きだ』


 努めて冷静な声で、淡々と語る。涙と鼻水とよだれを垂れ流しながら命乞いを始めた王国豚に唾を吐きかけてやりたい思いをこらえて、宣告する。


『それからな、仮にもうじ持ちだぞ? おそらくは騎士階級だとは思われるが、ちゃんとアンデルリッヒという、家名を持つ娘だ。貴様のような木っ端宮廷貴族に蔑まれるような娘ではない。貴様が不快に思うかどうかなど、関係なく、だ』

『だ、だからなんだと……!』

『今ここで、アンデルリッヒの家名をけがした貴様を、俺が代理で無礼討ちにしても、何の問題もないわけだ』

『そ、そんな、そんな馬鹿な理屈が……!』

『領主貴族を舐めるなよ? 木っ端宮廷貴族ふぜいが。さあ、どうなりたい? 五寸刻みか? それとも三寸刻みか?』

『ヒッ……⁉』

『ふむ、答えがない……どちらも気に入らんか。ならば仕方がない、貴様のゴミのような貴族魂に敬意を表して、一寸刻みにしてやろう』

『ヒィイイイイイッ⁉』


 顔をくしゃくしゃにしてあらゆる液体を垂れ流す無様な姿に、俺は少しだけ、溜飲が下がる思いになる。


『しかし、だ。貴様のやったことを告発すれば、俺の目的の達成に少しは役に立つだろう。喜べ、今は生かしておいてやる。いずれ俺たちの未来の礎としてはりつけの台で灰になるまで焼き尽くし、そのすべてを徹底的に砕いて川に流してやる』

『ヒィッ……⁉』


 脅しが効きすぎたのか、股間を汚らしく濡らしながら、白目を剥いてそのままぶっ倒れる。


 ──貴族ともあろう奴が、本当に矜持もへったくれも無い奴だ。

 お前が生きた痕跡など残さず、汚名だけを背負ってあの世に行くがいい。

 俺も騎士であり軍人である以上、人のことは言えないが、少なくとも俺よりも下層の地獄に堕ちた貴様を嗤いながら責苦を受けてやるさ。




「ご主人さま」


 エルマードが待つ集合場所にやってきた俺に、彼女がそっと耳打ちをする。


「なんだい?」

「あの……リィベルちゃん、これから、どうなるの?」


 仲良くなった少女だが、一度は俺たちに、法術で攻撃を仕掛けてきている。明確な敵対行為だったことから、どのような処分が下されるのかということを心配しているのだろう。


「大丈夫だ。悪いようにはしない。とりあえずはトニィ──レギセリン卿のもとに預けて、それから考えればいいさ」

「……本当に、ひどいことにならない? かわいそうだよ」

「分かってる。大丈夫だと言っただろう? 俺とレギセリン卿は、仲がいいんだ」


 それを聞いてやっと安心したのか、エルマードはリィベルのもとに駆け寄った。なにか二言三言ほど話しかけ、リィベルも少し、安堵したような表情を見せる。


 辛い思いをした少女に、これ以上悲しい思いなどさせられるものか。


「よし、明朝を待って下山する。監視を怠るな、少しでも怪しいそぶりを見せた奴は、捕虜ではなく敵として扱い、問答無用で射殺して良い!」


 こうして、ひと晩の戦いは、ひとまず終わりを迎えたのだった。

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