第11話:ひょっとして、俺が悪いのか?
俺とエィーガー氏、部屋に二人きりの中で、俺はもう一度、先の話を繰り返した。
命の価値を軽くした、
利用するためには
関係性は不明だが、
俺は知っていることを、一つ一つ、丁寧に話した。事実と自分の考えを切り分け、知らないことは知らないと正直に伝えた。
「ふむ……。なるほど。あなたはそのように捉えているのですね」
エィーガー氏は、グラスを傾けながら深くソファに体を沈めた。
「それらの情報は、どのように?」
「私ごときが知り得た情報です。商売盛んなこの街に住むあなただ、ある程度は耳にも届いているのではないですか?」
「少しばかりの噂は、ですが」
エィーガー氏は、真っ白なテーブル掛けを手に取ると、苦笑するよ
うにそのテーブルかけの裏側を見せた。裏には、何やら複雑な紋様が描かれている。
「……なるほど、あなたは大変に誠実な人のようだ。貴族にしては実に珍しい。本当に、腹を割って話してくれたのですね。貴族にしておくには惜しい方だ」
どういう意味なのだろう。
誠実な人間だ、と褒められたと受け止めるべきなのか。
腹芸の出来ぬ出来損ないの貴族、と笑われたととらえるべきなのか。
その時、まるでタイミングを見計らったかのように部屋に入ってきた執事に、エィーガー氏が笑う。
「ヴァルテル、賭けは私の勝ちのようだ。次の誕生日パーティのボトルは、楽しみにしているよ」
「かしこまりました、旦那様」
ヴァルテルと呼ばれた執事は、微笑を浮かべて返事をする。二人は、なかなかいい関係のようだ。エルマードに掴みかかってぶん投げた手際といい、ただの雇用関係だけではない様子を感じる。
「アインツァイト様。先ほどはヴァルテルが失礼を致しました」
「あ、いえ……。うちの者が粗相を致したのでしょうから、こちらこそご迷惑をおかけしました」
エィーガー氏と執事が、互いの顔を見合わせる。
「失礼を重ねますが、アインツァイト様は、あの少女の目をどう思われますか?」
「目、ですか?」
思いがけない質問に、俺は首を傾げる。
透き通るように美しい、神秘的な青紫の瞳だ。とても珍しい色で、それもまた彼女の魅力だと思っている。
そう答えると、二人はまた、顔を見合わせる。
「アインツァイト様。過去を振り返ってもらいたのですが……今思えば、という仮定ですが、あの瞳に見つめられた時、急に何かをしたくなった、あるいは、急に気が変わった──そんなことを経験したことはございませんか?」
「……いや、そんなことを感じたことはないですが」
エィーガー氏が何を言いたいのかが分からない。
確かに彼女は、以前、俺の目を覗き込むような仕草をすることが何度もあった。しかし今の彼女はそんなことをしないし、もちろん、それによって自分の考えが変わったこともない……とも思う。
「……そうですか。不躾な質問をしてしまいました。ご容赦願いたい」
「いえ、お気になさらず。……あ、いえ、ありました」
身を乗り出すエィーガー氏に、俺はちょっとした意趣返しをする。
「あの瞳を見つめると、つい抱きしめてしまいたくなるんですよ。その美しさと愛らしさのあまり、もっとよく見たくて──ね」
ニヤリと笑ってみせると、二人とも目を丸くしてしばらく固まった。
「……まったく、お人が悪い」
「いえ、あなた方はエルのことを『可愛らしい従者』として扱ってくださったものですからね。彼女は確かに素性も分からぬ拾いものの孤児ですが、それでも私は、あの子を大切に思っておりますので」
すると、執事が顔をしかめた。
執事が、客を不快にするような仕草をするのはよほどのことだ。ひょっとして、俺が不快にさせるような、悪いことをしたのか?
爵位持ちの領主貴族の子息が、素性も分からぬ少女を手元に置いておく、ということに不快感を覚えたのだろうか。
「ヴァルテル。そこまでにしておきましょう。こちらの御仁は、貴族には珍しいほど実に
エィーガー氏はそう言って微笑んだ。
「さて、あらためて……何から話しましょうか」
「……つまり隊長、自分らが
「まあ、そういう、こと……だ!」
ロストリンクスが、俺を締め上げながら不敵に笑う。屋敷の中庭での模擬格闘は、あっさりと主導権を十騎長に奪われてしまった。
「それで、明日にも領内の
「別に……お人好しでやるわけじゃない……! 前にも、言った、が……」
彼の剛腕をはねのけるように必死に逃れようとしたが、鋼のような彼の腕はびくともしない。
「自分らが止めなければ、いずれ
「……そうだ。もうしばらく、だけ……十騎長にも……付き合ってもらう、から……な!」
ついに俺は、降参を宣言する。ロストリンクスは「いやあ、いい汗をかかせていただきやした」と笑った。
「まったく。隊長が、副長や自分に格闘で敵うはずないでしょう?」
「……そう言うなよ、ノーガン。俺だって騎士の端くれなんだ。多少は、な」
「騎士は騎士らしく、
「ノーガン! お前のような規格外の筋肉野郎相手に、単騎で
「では、やはり隊長は、我々には勝てやせんな」
お前ら、好き放題に言いやがって。そういうお前らを顎で使うことができれば、隊長が格闘戦で最強でなくてもいいんだよ。
「あー、隊長。それとですね?」
フラウヘルトが、ニヤニヤしながらまぜっかえす。
「愛しの
「いや、それは……」
「もう今さら隠さなくていいんですよ、隊長。オトコの行動の動機なんて、半分は自己満足で、半分はオンナのためですから」
「お前はオンナのためが九割だろう」
ノーガンが呆れながら言うと、フラウヘルトは「失礼だな、九割五分と言ってくれよ」と平然と返す。
「それにしても、エルマードの奴、どうしちゃったんです?」
フラウヘルトが、急に真面目な顔になる。
「あれほど隊長のそばにくっついていたのが、この屋敷に来てから、やたらと遠慮してません?」
そうだ。
あの日、ひどく取り乱して以来、エルマードは俺のそばを妙に恐れるようになった。理由は教えてくれない。
「……隊長はフラウヘルトとは違うんだ。女の、それもあんなガキの機嫌にいちいち付き合っていられるか」
「隊長、ノーガンみたいな脳みそまで筋肉のような奴の言うことを聞いてたら、一生後悔しますよ? オンナの子だってオンナなんですから、すねちゃったら全力で慰めに行かなきゃ! 変に意地を張ってたら見限られちゃいますよ?」
……いや、彼女もすねたわけじゃない、と思う。
うん、多分。見限られるようなこともないはずだ。
彼女の正体は、情が深いことで有名な
いくらなんでも──
「……ご主人さま……ど、どうしてこちらに……?」
「ここ何日か、まともに顔を合わせていなかったからな」
ノックして名乗ったあと、扉が開くまで、やたらと待たされたエルマードの部屋。
彼女に割り当てられた部屋の入口──まるで俺を入れまいとするように扉も半開きの状態で、俺と目を合わせまいとするようにしながら、エルマードは困惑気味だ。
「ここがお前の部屋だな。入るぞ?」
「えっ? あ、ま、待って……! だめっ……!」
あえて素知らぬ顔をして入ると、やけに少女趣味の内装に少し、驚く。
大きなベッドには愛らしい服がいくつも広げられ、フリルで装飾された、……おそらく下着と思われる小さな布切れが、これまた何枚も散乱している。
なるほど。時間がかかったのは、このせいか。
ひょいっと彼女を抱き上げる。
「ひゃんっ! ご、ご主人さま、何を──!」
「久しぶりに、お前を堪能したくなった。しばらく付き合え」
「やっ……ごしゅじん、さまっ……!」
ひどく恥じらう彼女を抱っこしたまま、俺は部屋の外に出る。廊下でハンドベルクとすれ違ったが、彼は微笑ましそうに俺たちを見送っただけだった。
花壇のある庭園には、
庭に出ていいか、と聞いたら何故かティーセットを準備して来られてしまったメイドさん付きで。
エルマードはというと、真っ赤な顔でずっとうつむいている。その隣では、メイドさんが静かに微笑みながら紅茶の準備をしている。
「……ボク、その……変、じゃないですか?」
「何がだい?」
エルマードは自分の前にティーカップが置かれると、ますます体を縮め、かすれる声で答えた。
「……その、ボク……あっ、え、えっと、
「……
「あっ……え、えっと、だって、こんなドレス、着るんだし──
「エルはエルだ、いつもみたいに話せばいい」
ますます体を小さくするエルマードに、俺は苦笑する。確かに、肩も胸元も露わで腰回りまで体型がはっきりと分かり、かつ腰からふんわりと膨らむドレスなんて、彼女は着たことがなかったのだろう。
多少の乱れはあるが、それでもなんとか一人で着られたようだから、それなりに着やすいドレスを手配してくれたのだろうな。
そうこうしているうちに、メイドさんが皿に様々な焼き菓子を盛り付けてテーブルに置いた。俺たちに微笑みながら、食べるようにうながしてくる。
「
「え、でも、ボクは……」
「お前の主たる俺がいいと言ってるんだ、遠慮するんじゃない」
オロオロするエルマードの手に、真ん中に赤いベリージャムが焼き
「……ご主人さま、ぼ……わたし、こんなドレス着て、お菓子も……! こんなところにいて、いいの?」
「いいんだよ。エルは俺の従者なんだから」
「ほ、ほんとにボク、ご主人さまの従者になれるの? ボク、お母さんがどんな人か……ううん、お父さんの顔も知らないくらい、……その、す、素性も分かんない子で……」
「下らないことを気にしなくていい」
それでも落ち着かない様子でキョロキョロしているエルマード。微笑ましくもあるが、もどかしくもある。
「……エル」
「んう? ……んむっ⁉」
自分がひと口かじった焼き菓子を、エルマードの口に突っ込む。こうでもしないと、最初のひと口がいつまでも始まらないに違いないからだ。
「美味いぞ。食った俺が言うんだから間違いない」
「んむ……むぅ~っ!」
目を白黒させ、みるみる真っ赤に染まっていく顔。頬どころか、すぐに耳まで真っ赤になってしまった。
ふと見ると、メイドさんまであっけにとられたように俺を見ている。俺の視線に気づいたのか、すぐに無表情を作ってみせたが、今まで微笑んでいただけに無表情ぶりがかえって可笑しい。
エルマードはしばらくモゴモゴとしていたが、ひと口分を飲み込んだあと、蚊の鳴くようなかすれた小声で訴えてきた。
「ご主人さま、ひとが見てる前でなんて……恥ずかしいよ……!」
「恥ずかしい? 何がだ」
「うぅ……! ほ、ほんとにご主人さま、そういうところ、なんとかして……!」
ついには胸元まで赤く染める様子がまた、愛らしい。だが何がそんなに恥ずかしいのか──そう思ったら、メイドさんまで何やら真剣な表情で何度もうなずいている。
……ひょっとして、俺が悪いのか?
「だって……だって、だって!」
そして、エルマードが何を言おうとしているのか、やっと分かった。
やはり俺は、エルマードのことを弟分、とどこかで思ってしまっているのかもしれない。
婚約を誓う男女が行う、『
一、男性が女性の髪に
一、男が口をつけたものを二人で分け合って食べる『
一、同じ
……あー、……すまん。つまりエルマードはそーいうことを言いたかったんだな。
俺が軽率だった。確かに、赤の他人に堂々と見せるものじゃないな。
……というよりもだ。そんなことを他家の使用人の前で堂々とやってしまった俺の方も、なんだか急に恥ずかしくなってきたぞ。
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