第10話:領主貴族らしくもないやりかた

魔素マナ枯れ、ですか?」


 エィーガー氏の眉が、ピクリと動く。


「はい。大地から魔素マナが抽出できなくなり、法術的に不毛になった土地──その噂、聞いたことはありませんか?」


 俺の言葉に、エィーガー氏は難しい顔をしてみせた。何と答えればよいのか……そんな悩みを抱くかのような。


「ところで、私は貴族として志願し、王に奉ずる軍人としてこの戦いに参加しました。そこは、およそ『騎士道物語』の存在する世界ではありませんでした。無感動な死が支配する、地獄でした」

「……ええ、それは聞き及んでおります。我が領でも、幾人もの騎士が、帰らぬ人となりました」


 沈痛な面持ちのエィーガー氏。やはりこの地方でも、犠牲者は出ているようだ。ということは、この話・・・に食いつくかもしれない!


「では、先ほどおっしゃられていた、『平民の無慈悲な鉛玉が全てを決める』というお言葉。その犠牲を強いているのが、騎士道物語の時代には無かった歩槍ゲヴェアだということもまた、ご理解されておられますね」


 俺の言葉に、エィーガー氏が顔をしかめる。


「そうですね……。大砲カノンは昔からありましたが、それに加えて個人が持ち歩ける拳槍ピストール歩槍ゲヴェア迫撃戦槌ヴェルファー──たくさんの法術ザウバー火槍バッフェが作られて、多くの人が簡単に死ぬようになりました」

「それらの法術ザウバー火槍バッフェを作るために、今、大量に消費されているものがあります。ご存知ですか?」

魔煌レディアント銀でしょうか?」


 エィーガー氏の言葉に、俺は「ええ、そうです」とうなずいてみせる。


「その魔煌レディアント銀を大量に消費して戦うのが、今の戦場です」


 かつて、法術を使うために必要な必須装備は、魔煌レディアント銀の高純度かつできるだけ大きな結晶を埋め込んだ杖だった。杖の魔煌レディアント銀に魔素マナを充填し、充填した魔素マナを使って法術を展開していた。魔煌レディアント銀の魔素マナを使い切ったら、また充填すればよかった。


 ところが歩槍ゲヴェアが実用化されてから、魔煌レディアント銀はただの消耗品に成り果てた。鉛弾を弾き飛ばすためだけに使い捨てられるものとなった。


 そうして、魔煌レディアント銀の大量消費が始まった。


魔煌レディアント銀は、確かにさまざまなところで採掘できます。ですが、不気味な噂を聞きませんか?」


 そこまで言うと、エィーガー氏は嘆息と共に口を開いた。


「なるほど。それが先ほどのとやらの話……大地から魔素マナが抽出できなくなり、法術的に不毛になった土地──魔素マナ枯れの話に続くのですね」

「はい。この地方、もしくはこの近辺で、そのような噂を耳にしたことはありませんか?」


 エィーガー氏は、しばらく俺の顔を探るような目をして、沈黙していた。エルマードが、そばでそわそわしているのが分かる。


 だいぶ、長く感じられた沈黙のあと、エィーガー氏はソファに背を深く沈めて微笑んだ。


「……なぜ、その噂を気にされるのですかな?」

「今、戦場を支配する一番の武器は、歩槍ゲヴェアです。特に機械化マシーネン歩槍ゲヴェアの威力は、その一挺だけで、場を支配する力があります」


 先日攻略した館の前に据えられていた、ヴェスプッチ合衆国製の機械化マシーネン歩槍ゲヴェアブローニングM919。あれを初手で奪取できていなかったら、間違いなく制圧されていたのは俺たちだ。ハンドベルクお手製の榴弾りゅうだんによる奇襲が成立していなければ、蜂の巣にされていただろう。


「おそらく、今後は単発の歩槍ゲヴェアではなく、機械化マシーネン歩槍ゲヴェアが主流となっていくでしょう。今は大型のモノばかりですが、いずれは個人が手軽に扱えるように改良されていくはずです」

「そうかもしれませんね」

「そうなると、今よりもさらに弾薬の消費は増えていくでしょう。そうなると、ますます魔煌レディアント銀の消費量も増え、競うように採掘量も増えていくはずです」


 エィーガー氏は、目を細めた。


「つまり、魔素マナ枯れする土地が増えると?」

「はい。法術ザウバー火槍バッフェの恐ろしいところは、法術めいた力を、魔素マナが枯れた土地でも使えてしまうところにあります」


 俺は、エィーガー氏の目をまっすぐ見て続けた。


「自国の土地の魔素マナが枯渇しても、他所から輸入して戦うことができてしまう……法術が使えようが使えまいが、相手を殺傷する力は、法術ザウバー火槍バッフェが使える限り、失われないのです」

「……なるほど、分かりました」


 エィーガー氏は、再びカップを口につける。ゆっくりとすすったあと、彼は小さく息を吐いた。


「確かに、そのような恐れは考えられますね」

「はい、ですから──」

「ですが」


 彼は、首を振って微笑んだ。


「我々には知性があります。魔素マナ枯れする土地が増えれば、それは自国にとって極めて憂慮すべき深刻な事態。戦争をしている場合ではないでしょう。魔素マナ枯れが認識されるようになった時点で、互いの利益のためにも、戦争を終わらせる準備をするのでは?」


 ……理解されていなかった。この地方や近隣諸国では、まだそのような被害が少ないのだろうか。


魔素マナ枯れが深刻な土地では、発火のような単純で簡単な法術も使えなくなるといいます。そうなったら手遅れなのです」

「ですが、採掘する土地ということは、農地でも、まして街でもないのではないですか? そうした土地が多少不便になったところで、大した影響は無いのではないでしょうか」


 なんという楽観論なのだろう! 魔素マナ枯れが恐ろしいのは、それだけではないというのに。


「私が知るところによると、深刻な魔素マナ枯れが起きると、その周辺の土地も広範囲にわたって魔素マナが枯れるという、奇妙な現象が起こるのです。魔煌レディアント銀の鉱脈を掘り尽くすと、恐ろしく広い土地で魔素マナが枯れるのです」


 エィーガー氏は、俺の話を、微笑を浮かべながら聞いていた。


魔素マナ枯れは、魔煌レディアント銀鉱山だけの話では済まないのです。どこがどう繋がって魔素マナ枯れが起こるのか、分かりません。もし、魔素マナ枯れが街にまで影響した場合、街の街路を照らす常夜灯のような魔道具も機能しなくなり、街は暗闇に閉ざされるでしょう」

「さすがにそれは、心配のしすぎではありませんか?」


 笑って見せるエィーガー氏だが、俺は語気を強めて続けた。


「近年の街は、上水・下水の水流機構も、高低差を利用したものではなく、法術ザウバー機構メックと呼ばれる法術と機械の複合機関によって動くものが多いそうですね。私はそのあたり、詳しくないのでよくわかりませんが、その機構が機能しなくなれば、飲み水は流れなくなり、街路は汚水で溢れかえるでしょう。魔素マナ枯れとは、街を滅ぼしかねない現象なのです」


 エィーガー氏の顔から、笑みが消える。

 隣に控える執事に何か耳打ちをすると、彼は改めて俺に向き直った。


「……なるほど。魔素マナ枯れというものがどれだけ危険な現象か、よくわかりました。ですが、一朝一夕に枯れるというものでもないはず。まずはゆるりとお疲れをお取りください。あなたのお父上にも、使いを出しましょう」

「いえ、疲れなど……! それよりも……」


 さらに訴えようとした俺だったが、エィーガー氏は微笑みを浮かべたまま、話は終わりだとばかりに席を立つ。


 ……分かってもらえなかったのか。

 どうしようもない無力感にさいなまれる。


 その時だった。


「おじさま、お話を聞いて?」


 エルマードだった。

 まっすぐ、エィーガー氏を見つめる。

 その淡い青紫の瞳に、火が灯るような、そんな淡い光が宿った──そう思った瞬間だった。


「小娘……! 客人よ、失礼!」


 エィーガー氏の執事が、それまでの物静かな物腰とは打って変わった勢いで身を乗り出し、エルマードの肩を掴み、彼女の体を床に叩きつける!


「ひぐっ……!」


 宙を舞い、床に叩きつけられて悲鳴を上げるエルマード!


「な、何を……⁉︎」

「アインツァイト様、こちらの従者の素性は?」


 厳しい目で問う執事に、俺は答えられない。


「申し訳ございませんが、この者を同席させることは、今後、お控え願います」

「それは……何故?」

「ご存知ないのですか? この者の──」


 執事が険しい目で何かを言いかけた時だった。


「やめてぇっ!」


 悲鳴を上げたのは、エルマードだった。


「ごめんなさい、ごめんなさい! ボク、もう、アインさまと同席しません! しませんから、だから、だから……!」


 床に額を擦り付けるような姿で、エルマードは床に這いつくばっていた。


「エル、どうしたんだ……」

「お願いします! ボク、もう絶対に、エィーガーさまの前に立ちません! もう二度と、こんなことしません! 約束します! だから、だから……!」

 

 エルマードは涙を流しながら、這いつくばって訴え続ける。

 執事は服を整え、しばらくそんな彼女を見下ろしていたが、「……アインツァイス様、従者の躾、よろしくお願いいたします」と、冷然と言い放ち、エィーガー氏と共に退室していった。

 

「エル……」


 なんと言ってやればいいか分からないまま声をかけると、エルマードは泣きじゃくりながら、ひたすら「ごめんなさい」を繰り返した。俺が何を聞いても、ただただ、「ごめんなさい」を繰り返すのみだった。




 寝室にあてがわれた部屋に戻った俺は、見る影もないほど萎れていたエルマードのことが気になって仕方がなかった。だが、エルマードと俺では部屋が分けられていて、彼女はメイドに促されて割り当てられた部屋に入ってしまった。


「……やっぱり、エルにちゃんと話を聞いておこう」


 彼女の部屋に行くために立ち上がった時だった。


「アインツァイス様。お時間よろしいでしょうか」


 ノックと共に入ってきたメイドから問われて、エルマードのことは気になるものの、館の主人からの求めとなると応じざるを得ない。構わないと答えると、部屋の移動を促された。


 長い廊下を案内されて入った部屋にいたのは、エィーガー氏だった。


「先ほど話を聞いたばかりだというのに再度お呼び立てして、実に申し訳ない。腹を割って話したく思いましてね」

「腹を割って……?」

「ええ。領主貴族らしくもないやりかただとは思うのですが」

「領主貴族らしくもないやりかた……ですか?」

「でしょう? 笑顔の仮面を通して化かし合う貴族が、腹を割って、などと」


 そう言って、エィーガー氏は酒を勧めてきた。


「実に興味深いと申しますか……誰も口にしなかったことを率直におっしゃった、あなたの話。もう一度、お聞かせ願えますか?」

「私の話、ですか?」

「ええ。この戦争の根幹を揺るがすお話──魔素マナ枯れと、魔煌レディアント銀の採掘の関係のお話ですよ。領主貴族同士、情報交換といきませんか?」


 どきりとする。さっきは信憑性を疑われて話を切り上げられたと思ったのに。


「私が知っている情報もお渡しいたします。ですからアインツァイス様。あなたも『ヴァルターリヒト家の人間』として、あなたが知っていることを、ぜひお話しいただきたい」


 さっきまでの穏やかな目とは違う、エィーガー氏のぎらりと鋭い視線。俺は息を呑みながら、しかし改めて彼に向き直った。

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