第9話:敵は王国だけでなく祖国すらも

 目を覚ますと、ベッドの天蓋がそこにあった。


「……ああ、そうか。俺は……」


 軽い頭痛を覚えながら、俺は身を起こす。

 夜明けにエィーガー氏の管理する監獄にたどり着いた俺は、彼に導かれて屋敷のほうに招かれ、身を清めたあと、簡単な食事をいただき、そして一度眠ることを勧められたのだ。


「……それにしても、この暗さ……。ひょっとして、丸一日眠ってしまっていたのか?」


 紗のカーテンの向こうで、月明かりが透けて見える。自分はよほど疲れていたらしい。ベッドから抜け出ようとして、そして、自分の隣に何か塊があることに気が付いた。クッションだろうか──何気なく掛布団をめくってみて、息を呑んだ。


 そこには、体を丸めたエルマードがいた。エリーン夫人から借りた服もなにもない、一糸まとわぬ白い肌を晒している。

 俺は即座に布団を下ろすと、改めて自分をかえりみた。


 一応、ローブは着ている。

 帯もちゃんと締められている。

 ……多分、なにも、していない。


「……どうしてエルがこんなところにいるんだ」


 朝の記憶をいくら手繰っても、自分がエルマードとベッドを共にしたという記憶が掘り出せない。自分は確かに、屋敷のメイドに案内されて、この寝室に来たはずだ。エルマードは、別室に案内されたのではなかっただろうか。


 考え込んでいると、エルマードが身をよじらせ、そして目をこするようにしながら布団の中から這い出してきた。起こしてしまったらしい。


「はぅ……? ご主人さま?」

「すまない、起こしてしまったか。……でもな、エル。お前が、どうして、ここにいる?」

「んう……。えっと、ご主人さま、ぜんぜん、起きてこなかったから……」


 サイドテーブルを指差す。そこには、パンとチーズ、そしてオレンジが添えられていた。


「……ああ、持ってきてくれていたんだな、食事を」

「うん……ボク、持ってきたの」

「そうか。……ありがとう」

「それでね……ボク、ご主人さまのお顔、見てるうちに、その……」

「……潜り込んできたというわけだな?」

「うん……」


 彼女の頭を撫でると、嬉しそうに目を細め、そしてしなだれかかってくると、目をとろんとさせて俺の耳の裏辺りのにおいをすんすんとかぐようにする。


「えへへ、ごしゅじんさま……。すごかった。ボク、すごい、きもちよかったの……。また……もっと……ごしゅじん、さま、と……」


 ……ちょっと待て。それはどういう意味だ。

 聞こうとしたが、エルマードはほにゃほにゃと何やらつぶやきながら、そのまま俺にしなだれかかるようにして、また目を閉じて眠ってしまった。


 ……エル、俺と、……なんだ⁉

 いや、本当に、俺はお前に、何をしたんだ……⁉




 必要以上に飾り立てているわけではなく、調和のとれた、品のある精緻な装飾が美しい応接間。そこに招かれた俺と、隣に控えているエルマードを見て、エィーガー氏は微笑んだ。


「よくお休みでしたね」

「お恥ずかしい話です、丸一日寝てしまっていたなど」

「いや、戦場を生き抜き、可愛らしい従者を守り抜いて、よくぞここまで来られました。我々はあなた方を歓迎します」

「従者……?」


 ロストリンクスではなく、エルマードが一緒に呼ばれた理由が分からず密かに首をひねっていた俺は、その言葉に一応、納得する。なるほど、エルマードは俺の身の回りの世話をする従者だと思われていたのか。


 ……だが、エルマードが俺の従者?

 彼女が軍装騎鳥クリクシェンにまたがる俺の隣で、歩槍ゲヴェアを手に「ささつつ」をやっている様子が目に浮かぶ。

 その、小柄な体で。

 ……うーむ、やはり彼女の身長で、歩槍ゲヴェアは似合わない気がしてくる。


 そんな俺の思惑に気づいているのかいないのか、エルマードが、上目遣いに俺を見上げてくる。

 なんだか妙に嬉しそうだ。


「ぼ、ボク、ご主人さまの従者になれるの? ボクがお貴族さまの、従者に?」


 いや、なろうと思えばなれる、というか、俺が任命すれば確かに従者になれるんだが、似合うかと問われると……とまあ、腹の中で苦笑する。

 だが、頬を染めて何か期待するような顔をしている彼女に、いまさらケチをつけることができる奴がいるだろうか。


「……いずれ時が来たら、そういうことにも、なるかもしれないな」

「ボク、がんばるよ! アインさまの恥にならないように!」


 あ、しまった。完全にそのつもりになったみたいだ。とりあえず、話題を変えることにする。


「この度は我々を受け入れていただき、ありがとうございます。ともすれば素性の知れない、このような我々を」

「何をおっしゃる。そこの副隊長殿が見せてくれた指輪──ヴァルドグレイブ深林伯の紋章入りの、この指輪が全てですよ。お返し致しますね」


 指輪──

 そう、俺がミルティに……婚約者に贈った指輪だ。身分証明のために、ロストリンクスに持たせたのだ。


「この戦争では、すでに多くの貴族──未来を嘱望されていた青年将校が亡くなっています。少し前までのように、身代金を支払えば客人待遇をされた時代は、もう、終わりました。弾が当たれば、老いも若きも、貴族も平民も関係なく、みな成す術もなくたおれてゆく時代です」


 俺の手に指輪を戻しながら、エィーガー氏は微笑んだ。


「そのような時代にあって、一人の青年貴族を救うことができた。もちろん、その部下の面々も。喜ばしいことです」

「本当に、世話になります。この御恩は、必ず……」

「いえいえ、同じ王をいただく貴族として、当然のことをしたまでのこと」


 ──同じ王をいただく貴族として。

 その言葉が胸を穿うがつ。


 王立の法術研究所が、今回のゲベアー計画の原案を出し、進めていったのだ。女を生きたまま解体し、箱詰めにし、そして戦場で消耗品として扱う、悪魔の研究。

 つまり、敵はアルヴォイン王国だけではない。我らが祖国たるネーベルラント自体も、俺たちの敵なのだ。


 だが、そんなことを口に出して、それが即、信じてもらえるかといったら、そんなことはないだろう。良くて一笑に付されて終わり、悪ければ国を乱す狂人扱いされかねない。


 では、どうすればいい?

 俺は、安寧を得るためにここに来たんじゃない。

 戦う力を得るためにここに来たのだ。

 俺の婚約者をヒトでないものにした悪魔の研究に、鉄槌を下すために。

 俺を慕い、従者になりたいと無邪気に喜ぶ少女の未来を、自由にするために。


 ただ、今それを言うのは時期尚早しょうそうだ。もう少し、機を見てからのほうがいいだろう。だったらまず、領土の安定経営の直接の脅威になりかねないことを持ち出せばいい。


「ありがとうございます。私も高貴なる者の義務を全うすべく、傷が癒え次第、再び槍を取る所存です」

「御無理なさらずとも……。話はあなたの部下からある程度、伺っております。捕虜になっても部下と共に見事に脱出し、王国の兵站基地にされたアテラス駅を爆破して、王国に目にものを見せる活躍をなさったそうではないですか」


 その話は、どうにも苦しい。俺はその時、罠を仕掛けたつもりが逆に罠にはめられてしまっていた。そして、そのせいでライヴァとかいう王国の騎士に重傷を負わされてしまい、仲間にも迷惑をかけてしまった。


 考えれば考えるほど、無理無茶無謀を押し通した作戦だった。あの作戦で死者が出なかったことが奇跡みたいなものだ。


「私の活躍については、部下たちの準備あってこそです。彼らにはずいぶんと助けられています」

「なるほど、それはうらやましい。我がレギセリン領もヒトが少ないのでね。後継の意識を高く持たせようとしてはいるのだが、なかなかこれが難しい」


 そう言ってエィーガー氏は小さく笑うと、カップを手に取りお茶をすする。


「この戦争は本当に、私の若い頃とは質が変わってしまった。めまぐるしく状況が変わっていく。今や騎士が技を磨くよりも、平民の無慈悲な鉛玉が全てを決める……。恐ろしい時代になったものです」


 その言葉に、俺は渡りに船を得た思いだった。

 その無慈悲な鉛玉を飛ばす技術の、その根幹の技術。

 そのせいで、いま、静かに多くの国が沈黙に見舞われようとしている!


「そうですね。実は今、私は郷里の……ひいては、ネーベルラント全体の未来を揺るがす問題についてうれえています」

「貴族があまりにも多く凶弾に倒れた、ということでしょうか?」


 エィーガー氏は首をひねった。

 違う、そうじゃない。

 そんなことは些細な問題だ。


 土地から魔煌レディアント銀を採掘しすぎた結果、魔素マナを失い、魔素マナ|枯れという現象を引き起こし始めている場所が、あちこちに出現し始めているということ。


 それは決して、このレギセリン領でも対岸の火事とばかりに高みの見物をしているだけで済むはずがないのだ。

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