第8話:奴ら、ネーベルラントの人間だ

「えへへ~、お魚お魚! ボク、お魚大好き!」


 幸せそうに焼き立ての魚にかぶりつくエルマードに、俺も笑いながら魚を食う。


「ね、ご主人さま! エィーガーさんちって、どんなところなの?」

「……そう、だな。俺もそれほど詳しいわけじゃないが……」


 エィーガー世襲男爵領「レギセリン」──有数の穀倉地帯であり、その取引は活発で、街も大きいようだ。土地そのものはそれほど広くなく、人口もそれほど多くないらしいが、小麦の高い生産力を活かし、多くの国に輸出しているという。そのため、一介の男爵領ながら、貴族の間でも比較的強い発言力を持っているそうだ。


「……とまあ、これくらいだ。『麦穂たなびくレギセリン』というと、なかなか有名らしいぞ。話によると、アルヴォインの王室とも取引があるらしい。全部、父の受け売りだけどな」

「そうなんだ。でも、崖の上から見た様子だと、有名なの、分かる気がする」

「あと、なぜか領内では女性の発言権がことのほか強いそうだ。ここから嫁を取ると尻に敷かれるというのも、有名な話だ」

「そうなの? だったらボク、そこでご主人さまと添い遂げたい」

「なんだそれは」


 二人して、ひとしきり笑う。ああ、こんなくだらないことで笑い合えるのも、いつ以来だろう。


「……それで、とにかくエィーガーさんちに行けば、なんとかなるの?」

「今回の戦争には一貫して反対の意思を示して、自衛と兵站へいたんの協力以外には、兵もあまり出していないそうだ。ネーベルラントはもちろん、王国にも一定の影響力を持つ貴族であり、戦争に反対の意思を明確にしている──そういう意味でも、頼れるかもしれないってことだ」


 実は正直に言うと、自分が軍属として戦っていたときには、国境防衛の様相を呈してきた戦争だというのに兵を出さないエィーガー家に、苦々しいものを感じていた。だが、この戦争の裏の顔を知ってしまった今、その姿勢がかえってこちらの助けになるかもしれないというのだから、人生分からないものだ。


「とにかく、行けば分かる。この川を渡れば、いよいよエィーガー世襲男爵領レギセリンだ。まあ、エィーガー家より他に頼る先が限られているという現実もあるが」


 そう言って、魚を取ろうと手を伸ばしたときだった。

 すぐ耳元を、弾がかすめる音!


 本能的に、焚火を蹴散らしながらエルマードを抱きかかえて地に伏せる!


「ご、しゅじん、さま……⁉」

「ここまでくればと思ったのに!」


 連続する発法はっぽう音! 

 機械化マシーネン歩槍ゲヴェアじゃない、川を背にした森の奥から、複数の兵に狙われている!

 悲鳴を上げて倒れる騎鳥シェーン

 装甲の無いところを撃たれたのか、しばらく悶えたあと、動かなくなった。

 ちくしょう、レギセリンまで目の前だってのに! まさか、こんなところで足を奪われるとは!


「くそっ、せめて川を渡ってから休憩にすべきだったか……エル! 鳥の陰まで走れ!」

「ボク、戦う!」

「馬鹿、こんな広々としたところじゃ、お前の良さが活かしきれない!」


 すぐ目の前の小石が弾ける!


「……やられっぱなしだと思うなよ!」


 王国ご自慢のエンフィールズ拳槍ピストールを腰から抜くと、伏せたまま森に向かって撃つ!

 こちらからの反撃に、多少は警戒したのだろうか。射撃の間隔がまばらになった。

 ……よし、少しは隙ができた!


「今だ、エル!」

「はぁいっ!」


 無我夢中で鳥の死体まで走る!

 死体の陰に隠れながら必死に取りつくと、くらにくくりつけていた歩槍ゲヴェアを外す。


 鳥の体の装甲が、弾丸を受けて鋭い音を立てる。この鳥に軍装騎鳥クリクシェンとして着けられていた装甲が無かったら、危なかったかもしれない。軍装騎鳥クリクシェンとして鍛えられた大柄な体躯も、俺たち二人が隠れるには都合がよかった。


「ご主人さま……大丈夫?」

「これでも前線で『隊長』ってやつをやっていたんだ、このくらいは日常茶飯事だったさ」


 エルマードのぬくもりを懐に感じながら、射撃の角度を推し量ると、連中の射撃の合間を見計らって反撃に出た。


「これでも喰らえっ!」


 「乙型おつがた金物かなもの」の研究施設から分捕ってきた機械化マシーネン歩槍ゲヴェア、ヴィッカース・ベルチェーが火を噴く!

 森で別れたハンドベルクが、木の上に縛りつけるように隠しておいてくれた装備の一つ!


 ダガガガッ──! ばらまかれる弾丸、森の奥から上がる、いくつかの悲鳴。

 まさかこちらが機械化マシーネン歩槍ゲヴェアで武装しているとは思わなかったらしい。「話が違う!」などと金切り声が聞こえてきた。

 その声を頼りに、さらに弾をぶち込む!


「どこが無力な逃亡兵だ! どこが貧弱な武装だ! 機械化マシーネン歩槍ゲヴェアなんて聞いていないぞ!」


 悲鳴を上げながら、無様にがさがさと音を立てながら逃げていくようだ。

 弾倉を交換してさらにぶち込んでやると、静かになった。


「はぁっ、はぁっ……くそっ、油断していた……!」

「王国の兵隊さん、ここまで追ってきたの? すごい執念……」


 エルマードが、ため息をつきながら言う。


「……違う」


 俺こそ、ため息をつきながら答える。


「エル、気づいていたか? 連中の発法はっぽう音──あれは、王国の歩槍ゲヴェア……リエンフィールズじゃなかった」

「え? じゃあ、なに?」

Karカラビナ98クルツ歩槍ゲヴェア──そして連中がしゃべった言葉が何語・・だったかを思い出せ」

「……え? それって、まさか……」

「ああ」


 戸惑うエルマードに、俺は改めて深々とため息をついてしまった。


「奴ら、ネーベルラントの人間だ」




 川底まで美しく透き通る川を、肩まで水に浸かりながら、なかば泳ぐようにして渡る。逃げた連中が本当に逃げているならいいが、仲間を呼びに行かれたのなら厄介だ。少しでも早く、あの場を離れるに越したことはない。


「エル、大丈夫か」

「うん、なんとか……」


 泳ぐという技能は、漁師か軍属以外ではまず身につけない。エルマードもその例に漏れず、泳ぐことはできないらしかった。だから、俺の肩にすがりつくようにして一緒に渡っている。もはや彼女の足は、川底に届いていないはずだ。


「ご主人さま……怖いの……!」

「大丈夫だ。しっかり腕でしがみついていろ」

「う、うん……」


 水中で抱き寄せながら、震える彼女をなだめる。足がつかないというのは、きっと泳げないエルマードにとって恐ろしいことなのだろう。だが、ここで変に抱きつかれると、こっちまで身動きが取れなくなる。声をかけながら、ゆっくりと渡る。


「エル、大丈夫だ。俺がずっと一緒だ」

「うん……ご主人さま……!」


 そんなわけで、最も深いところでは流れに身を任せつつ泳ぐなどして、対岸までたどり着くまでに半刻ほどかかった。森の陰まで重い服を引きずるようにして駆け込むと、二人で服を脱いで水を絞る。


「えへへ、ご主人さまの体、つめたーい!」


 ぺたぺたと胸板を触ってくるエルマードに苦笑しながら、俺は可能な限り水を絞った服を、彼女に渡す。


「エルもすっかり冷え切ってしまったな。……腹の具合はどうだ?」

「お腹? 前よりはずっと平気だよ?」


 エルマードは笑顔で言うが、それでも彼女の白くなめらかな内股をうっすらと流れる淡い赤い筋が、彼女の不調を物語る。

 予備の当て布も全てずぶ濡れで、着けても下腹を冷やすだけのようにも思ったが、それでも着けないよりましだろう。


 かえすがえすも、騎鳥シェーンを失ったことが惜しまれる。さらに言えば、騎鳥シェーンの脚なら今日の日中に間違いなく目的地まで辿り着いただろうに。

その道のりを、これから徒歩で踏破しなければならないとは。


 それに、今のことを考えれば、たとえこのエィーガー領内であっても、油断はできない。騎鳥シェーンならば追跡されても振り切ることができるだろうが、徒歩ではそれもできない。日が沈むのを待って行動するしかないだろう。


 くそっ、あの連中。次にまみえることがあったら、顎の骨が砕けるまでぶっ飛ばしてやるからな!




「隊長! ご無事で何よりです!」


 夜通し、身を隠しながら歩き続け、着いた時には明け方頃。大地と空の境が徐々に明けてくる頃、城門の上の張り出し櫓バルティザンから見張っていたロストリンクスたちに発見された俺たちは、彼らに出迎えられ、ようやくエィーガー家の所有する監獄・・に到着することができた。


 しばらく、門の詰め所のようなところで待たされた俺たちは、ロストリンクスたちの案内で門をくぐる。


「ふわぁ……なんだか牢屋みたいなところ……」


 エルマードが、門や塔を見上げながら嘆息する。


「牢屋みたいって……監獄塔なんだ、当たり前だろう?」

「え? あれ、本当だったの?」

「なんだ、俺が嘘を言うとでも思ったのか?」

「え、あ、あの、そうじゃなくて、その……えっと、……冗談?」

「そうか、俺はエルに間違ったことを吹き込む男だと思われていたんだな」

「ち、違うの、ボク、そんなこと……!」


 顔を真っ赤にして訴えるエルマードの頭をわしわしと撫でながら、俺が「分かってるよ」と微笑みかけると、フラウヘルトがニンマリと笑みを浮かべた。


「……なんというか、関係が随分と変わったみたいに見えるよ、隊長?」

「そうか? 変わらないだろう?」

「僕には、ずいぶん変わったように見えるね。さては隊長、ついに……?」

「変な詮索をするな」


 俺は笑って返しながら、館の主人の方に向き直る。通されるまでに時間がかかったのは、彼の馬車の到着を待っていたからだった。


「お出迎えいただき恐縮にございます、レギセリン世襲男爵トニィスコルト・デン・エィーガー様」


 俺の最大級の礼に対して、主人は苦笑しながら首を振る。


「勘弁してほしい。そちらこそヴァルドグレイブ深林伯アルタコープ・フォウン・ヴァルターリヒト様がご子息、アインツァイト・ヴァルターリヒト様ではないですか」

「いや、深林伯などと言っても、実質はただの森の中の田舎貴族。ひるがえってそちらは、『麦穂たなびくレギセリン』を治める賢君として、その名を轟かしておられるレギセリン卿。ぜひ、お力をお貸しいただきたく」


 あくまでも礼を尽くして俺はひざまずく。今後、力を借りる相手だ。未来を切り拓くためならば、靴だって舐めてやる勢いでこうべを垂れた。


「……頭をお上げください。多少なら話は伺っておりますとも。どうぞ、こちらへ」


 かくして俺たちは、ようやく目的の地にたどり着いたのだった。

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