第7話:お前は心優しい女の子で、俺の
俺たちを襲撃した王国兵の連中が乗って来たらしい
本当は、世話になった夫婦くらいは、埋葬してきたかった。だが、騒ぎを聞き、ひと段落ついたと思ったのか、村人たちがおそるおそる、こちらにやってきたのだ。
──
「……お兄ちゃん、ボク、やっぱり、化け物なのかな……?」
背中に顔を押し付けるエルマードの沈んだ声が、胸に痛い。
王国兵たちのものであったらしき
『た、助けてくれ、捕虜になる! い、い、命だけは……!』
涙と鼻水を垂れ流しながら訴えるクソ隊長の喉元に、
『エリーンさんもそう言ったよ……お腹の赤ちゃんだけは、ってな。彼女のために、貴様は何を命令した』
わざわざ王国語で尋ねてやった俺に、クソ隊長の野郎は言い張りやがったんだ。
『しっ、知らん! あれは部下が勝手にやっただけだ、私は仕事をしろと言っただけで……!』
『エルを凌辱させようとしたのはなんだ?』
『そ、それも知らん! 私はそんなこと、命じていない! 私は……そうだ! 少々痛めつけろと、それだけしか言っていない! 覚えているだろう⁉』
その命令で少女を凌辱しようとする部下がいて、それを止めない上司。
つまり、今までも同じことをしてきた、というわけだ。
ああ。
だが、
「カーッ!? ハーッ⁉」
切り裂かれた喉をかきむしるようにのたうち回るクソ野郎を見下ろす俺。その横を、空中を横切るように飛んでいき、森の木に背中から叩きつけられて半分にへし折れる王国兵。
獣化したエルマードの鋭敏な耳は、俺たちの世話をしてくれたエリーンさんも、そのお腹に宿っていた赤ちゃんも亡くなっていたことを、彼女に理解させてしまった。悲しみと怒りに燃えた彼女は、だから先日の戦いのときとは打って変わって、一人の王国兵も逃さなかった。
いや、正確には、全て俺がとどめを刺した。
騎士とは戦い、主君の敵を討ち滅ぼすのが仕事だ。
それは俺の役目だ、彼女にさせるわけにはいかなかった。
そして、血塗れの虐殺者の誕生だ。
「ば、化け物!」
「人殺しだ!」
俺たちは、村人に追われるように森に逃げ込んだ。
彼女の淡い金色の髪は目立つからと褐色に染めていたはずなのに、獣人化したときに、なぜか金色に戻ってしまった。だから今も、金色だ。
そしてもう一つ気が付いたんだが、ひとに戻った今も、髪が少々伸びている。彼女は確かに髪が肩にかかる程度の長さだったはずだが、今は明らかに背中に届く程度の長さになっている。もしかしたら、獣人化するときに伸びた分が影響しているのかもしれない。
ヒトに姿を変えることができる
人の姿のときには俺たちの誰にも腕相撲で勝てない彼女だが、獣人の姿になると、途端にすさまじい力を発揮するようになる。成人男性の顎の下を掴んで片手で吊り上げ、そして投げ飛ばすことができるのだ。
化け物──確かに、その特性といい、怪力といい、そう呼ばれてしまうのも無理からぬことだと思う。
だが、俺は知っている。
本当は寂しがり屋で、人懐こくて、甘えたがりな、一人の女の子に過ぎないのだ、ということを。
「──エルは、化け物なんかじゃない。心優しい女の子だよ」
「……でも、ボク、どこに行ってもそう言われるの」
「エル。何度でも言うが、君は化け物なんかじゃない。お前は心優しい女の子で、俺の……」
思わず言い淀んでしまう。
「……ボク、ご主人さまの……?」
「大切な──ひと、だ」
仲間、と言いかけたけれど、あえてひっこめた。
エルマードの顔が、すこし、強く押し付けられたのが分かる。
「……ボクもね、ご主人さまのこと……大切なひとって、思ってるよ……」
「それは光栄だな」
俺は笑う。
「……ご主人さま、信じてないの?」
「信じてるさ」
正直に言えば、一時期は疑っていた。彼女はどうやってか、目の前の人間を手玉に取ってしまうような怪しい魅力がある。そんな行動を見せられたら、彼女の言動が本心なのか、疑いたくもなろうというものだ。
だが、今は違う。
彼女は、俺にとって、大切な──
来るときに付けた目印を頼りに森を駆け抜ける。
「このあたりのはずなんだが……」
こういう森の中でむやみに動けば、互いに合流するのは不可能になる。だから待ち合わせ場所から動かないのは鉄則だ。
確かにこの辺りだったはずだが、ハンドベルクの姿はない。
「……ボク、においでさがそうか?」
「待て、あった。……これだ」
よく見ると、見覚えのある木の根元に、ナイフで刻まれた印がある。よく見ないと見落とす奴だ。
「……なるほどね」
「どうしたの?」
エルマードが不思議そうにのぞき込んでくる。
「ああ、これはちょっとした目印でね。この、木の根に刻まれた印は、それぞれ敵襲、撤退、目的地を表している。おそらくハンドベルクは、王国兵の動きを察知したんだろう。先に行っているということだ」
「え? ……じゃあ、この辺り、もしかしたら王国兵が……?」
「いつハンドベルクが気づいたのかは分からないが、いるかもしれないな」
それを聞いたエルマードが、なんの躊躇もなくすっぽんと服を脱ぎ捨てる。エリーン夫人から借りた──そのまま形見になってしまった──
「エル! 何をやってるんだ!」
「だって、狼の姿ならボク、戦えるから」
「ま、待て! この薄暗い森の中で、金色の毛並みは目立ちすぎる。それに、獣人の姿だと捕捉されたらすぐ攻撃されかねないが、人の姿なら捕まってすぐにどうにかされるってわけでもない。まずは今のままで、『例の家』まで駆け抜けることを考えよう」
その言葉に納得してくれたのか、少しだけ俺を見上げていた彼女は、うなずいて服を着てくれた。やれやれだ。
再び
「──そういえば、エル」
「んう?」
「その──あの家を出る前の時だ。やけに、狼の姿になるのが早くなかったか?」
家を出る前の時──王国軍の兵士たちに反撃をするときのことだ。あの時、王国兵たちが手にしていた
エルマードに獣人の姿に戻るように頼んだが、その時の変身が異様に早かったのだ。俺は彼女が獣化するところを何度か見たけれど、あれほど早かったのは初めてだった。
「あれは、何かコツでもあるのか? それとも、本当はいつもあれくらい早く変身できるけれど、早く変身すると消耗しやすいとか、そういう制約みたいなものがあるのか?」
「んー? 分かんない。あの時のボク、そんなに早かった?」
繰り返し尋ねてみたが、本人には、早かったという自覚はなかったようだ。火事場の馬鹿力というやつだったのだろうか。
森を駆け抜け、岩場を跳び越え、草原をひた走り、崖の上から見下ろすのは、一面の豊かな麦畑。
エィーガー世襲男爵領。それほど広いわけではないが、森を切り拓き、運河を引き、豊かな穀倉地帯を生み出したという。男爵でありながらその穀倉地帯が生み出す富によって、なかなかの発言権を持つ──らしい。
どうせ自分には社交界なんて関係ない、などと不貞腐れず、もっと社交に首を突っ込んでおくんだった──自分の不勉強が、いまさらながら恨めしい。
「ふわぁ……何これ、ボク、見たことないよ! すっごくひろーい!」
「安心しろ。俺も初めて見た。……正確には、この崖から見下ろしたのが初めて、という意味だけどな」
ここにたどり着くまで、本当に大変だった。特に最後の警戒線を突破する際は、本当に緊張した。もうだめだ、と思った時には、エルマードが「おじさま、ボク、あっちに行きたいの」という、あの謎のおねだりがものを言った。最初からそれに頼ればよかった、と思うくらいに。
それでも、後ろから撃たれてもう少しで死ぬかと思ったけどな!
だがもう、ここは確実にネーベルラントだと言える。境界線を突破した俺たちを追う王国兵は、もういない。
「……あの、ずっと向こうのお屋敷が、『例の家』ってやつ?」
「あれはエィーガー世襲男爵の住む屋敷だ。そっちではなくて……あの、赤い屋根の屋敷が見えるか?」
「うん。……ちっちゃい塔がある、あの家?」
「そうだ。あの塔が目印だ」
「家っていうか、砦みたいだよ?」
「その通りだ」
エルマードが首を傾げるのを見て、笑いながら頭を撫でる。
「あれは、監獄なんだ」
「……え? ボクたち、何か悪いことしたの?」
目を丸くする彼女に、俺はつい、吹き出してしまった。
崖を下り、川で鳥に水を飲ませ、一息つく。本当に、今日まで気が休まる時がほとんどなかった。こうして休憩できる時間がもてるというのが、本当にありがたい。
「おっ……エル、魚がいるぞ?」
「ホントだ! 食べれる?」
「川魚に毒があるなんて聞いたことがないから、味はともかく、食えるだろう」
聞いた途端に、エルマードの奴、さっさと服を脱ぐと四つん這いになって、獣人化を始めやがった。
まったく。そんなことで、よく今まで秘密にしてこれたな。
バシャッ──エルマードの手が水中をえぐるたびに、魚が河原に打ち上げられる。
「釣り竿いらずだな」
「えへへ、ボク、すごいでしょ!」
「ああ、すごい。お前は大した奴だよ、エル」
狼と人との合いの子のような顔つきだが、元がエルマードだと分かっているからだろうか。表情の変化がよく分かる。
とりあえず彼女が楽しんでいる間に、俺は枯れ枝を集めてくることにする。
「その辺にしておけ。火を起こすから、上がってこい」
「はぁい」
水から上がったエルマードが、全身をぶるぶると震わせて水を跳ね飛ばす。お前、俺がそばにいると分かっていてそれをやるのか?
気のすむまで水気を飛ばした彼女は、そのまま人の姿に戻る。もう何度も見た姿ではあるが、それでも一糸まとわぬ白い肌を陽光に元に晒されると、こちらがドキッとしてしまう。
「ご主人さま! ボク、枯れ枝、もっと集めてくる!」
「そうか? じゃあ、頼む」
「うん! まかせて!」
言うが早いか、あっという間に駆け出していくエルマードに、俺は苦笑するしかなかった。
まったく、可愛い奴だよ、お前は。
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