第6話:貴様らこそ外道の極みだろう!

「それで、ツヴァイ・・・・さん。妹さん・・・の具合はどうだい?」


 家の主人に問われて、俺は苦笑しながら答える。


「……おかげで、熱は下がりました。ありがとうございます」

「それはよかったわ。女の子は、体を冷やすものじゃありませんからね。ツヴァイさん、お兄ちゃんなら、ちゃんとその辺を考えて面倒をみてあげないと」

「……本当に、至らぬばかりで」


 夫人に言われて恐縮しながら、薄い豆のスープを口に運ぶ。塩味以外はほとんど感じないが、温かいものを食べることができるというだけで、今は十分だった。


 このご夫婦には、俺自身は「ツヴァイ」と名乗っていた。単純だが、偽名だ。エルマードの方は弟を偽装するつもりだったが、あっさりと見破られた。濡れた体に張り付く服の様子、そして股間を濡らす赤いシミ。ご夫人の目を誤魔化すことなどできなかった。

 隣でうれしそうにもぐもぐやっているエルマードの頬は、一時は死んでしまいそうなくらいに青白かったが、今はすっかり赤みを取り戻している。


 冷たい雨に打たれ続けたせいだろうか。エルマードが「寒い、寒いの……」と言いながら熱を出したため、やむを得ずハンドベルクと分かれて騎鳥シェーンを駆り、彼女を抱えて街道に出て、小さな開拓村に飛び込んだのが一昨日。

 村のはずれ、ほかの家々とは離れた、森のほとりにあったこの家に、俺たちは転がり込んでいた。


 ずぶ濡れの俺たちを、驚きながらも迎えてくれたのが、この夫婦。粗末な板張り小屋で部屋も一つだけ、かまどが暖炉を兼ねるという具合だったが、特に夫人が温かく受け入れてくれた。


 当然ベッドも一つしかなかったが、夫人はその提供すら提案してくれた。しかし、お腹の大きなご夫人をベッドから追い出すなどできるものか。藁の束をベッドがわりに使わせてもらうことにしたら、それならとかまどでひと晩、火を焚くことを許してくれたのだ。


 ──妹さんが月のもので苦しんでいるうえにこんなに熱を出しているんだから、変に遠慮するものじゃないの! 何かがあって子が産めなくなったらどうするの!


 夫人にぴしゃりと言われ、俺はひたすら恐縮していた。ご夫婦の服を借りて、俺たちはようやく人心地ついたというわけだ。


 服を借りたといっても、ご夫婦にとって一着しかない予備の服。その色褪せ、擦り切れたありさまから、ご夫婦の苦しい台所事情が見て取れる。それでも俺たちを受け入れてくれたことに、感謝しかない。


当て布・・・は足りていますか?」


 夫人に優しく問われて、エルマードが頬を染めて、うつむき加減に「……はい。ありがとうございます」と答える。


 この家に飛び込んだ夜、手当てに使うようにと渡された布の束。女性というものは毎月、この「手当てのための布」がとても大切らしい。男所帯でずっと気にしたことがなかったのだが、ということは今まで、エルマードはどうやって乗り切ってきたのだろう。だが自分の無知をさらけ出すようで、結局聞けずじまいだ。




 翌日、世話になった礼にと、薪割りをした。この家に転がり込んでから三日目、ようやく青い空と共に顔を見せた太陽は、ずいぶんと温かく感じる。


 家の主人が森に木を切りに行く前に渡されたナタはよく使い込まれていて、大切に使われてきたことをうかがわせる。そういえば、郷里くにの領民たちはいま、どうしているだろうか──そんなことを考えながら割り続けていたら、いつのまにか薪の山ができてしまった。


「お兄ちゃん、おかえりなさい!」


 薪を脇に抱えて戻ると、エルマードが夫人と一緒にかまどの前で何かを煮ていた。


「えへへ、お料理、教えてもらっちゃった」

「教えるほどのことでもありませんよ。むしろ、あなたたちは今まで何を食べていたんですか」


 どうも、雑穀を挽いた粉を水で練ったものを適当にちぎって放り込む、団子のようなものを具にしたスープらしい。ああ、そういえば俺の家の領民も、そんなスープを食べていたことがあったか。


「どんな味かな? たのしみ!」


 うれしそうに鍋を見つめるエルマードに、俺はなんとも言えない思いになる。こんな幼さすらみせる少女が、かつて彼女を養う男のために賞金首を殺していたなどと、にわかには信じられない。


「これを食べたら立つ、というお話でしたからね。本当は妹さんの身体のことを考えたら、もっとゆっくりしていってもらってもよかったのだけれど」


 そう言って、夫人は残念そうに笑った。


「すみません、叔父が街で待っていますので……」


 ここ数日、何度も繰り返した嘘。両親が病で亡くなったため、家を処分し、街に住む叔父の家に向かっている──それが、俺たちの筋書きだった。

 森ではハンドベルクが待っている。早く「例の家」にたどり着きたかった。


「さあ、たんと召し上がれ」

「えへへ、いただきまーす!」


 エルマードが、食前のお祈りもそこそこに食べようとするものだから、頭をはたいて祈りを始める。


「いったぁい……うう、お兄ちゃんのいじわる……!」

「神々への礼を欠かすお前が悪い」

「ふふ、エルちゃん。お料理は逃げないから、お兄ちゃんの言う通りになさいね?」


 エルマードは少しだけ頬を膨らませたが、それでも夫人から「ね?」と微笑みかけられ、うれしそうに「はぁい!」と返事をして、祈り始めた。


「えへへ、おいしい!」

「そう? 大したものじゃないんだけれど……喜んでくれてうれしいわね」


 夫人も微笑みながら食べる。エルマードは家族のぬくもりを十分に得られぬまま親を亡くし、あとは転々としてきたという。もしかしたら、少しはそれを味わうことができているのだろうか。


 雑穀を練ったものをちぎって入れただけの団子は、若干のもちもちした感触、そして口の中で崩れていく感触が、小麦の生地を使ったものとは違っていて、それほど美味いものではなかった。


 だが、このいかにも貧しげな開拓村では、きっとごちそうの類なのだ。夫人は、これから出立する俺たちのために、こうして振舞ってくれたのだろう。ひとさじひとさじ、じっくりと味わう。人の温かさ、心のぬくもりを感じながら。


「おじさまも、一緒に食べれたらよかったのに!」

「夫の分はまた作りますから、あなたたちはお腹いっぱい食べるんですよ」

「すみません。またいずれ、このお礼は必ず……」


 言いかけると、夫人は微笑みを浮かべながら手で制する。


「お礼だなんて。困ったときはお互いさまなのですから、そんなこと、考えなくていいのよ」

「いえ、それではあまりに──」

「そんなことよりも、あなたはお兄ちゃんとして、エルちゃんを大事にしてあげることだけを考えなさいな。そこの当て布・・・は、エルちゃんにとってもうしばらく必要でしょうから、持って行ってね。私は、当分必要ないですから」


 ご夫人が、玄関の入り口に置いた当て布の束を指差した。ご夫人は出産まで、あと二カ月足らずだという。確かに、当て布はしばらく不要なのだろう。だが、この苦しい台所事情なら、おむつ代わりにもなりそうなのに。


「エルちゃん。お代わり、食べるでしょう? 体調が優れなくても、ちゃんと食べて、栄養をつけてね」

「うん!」


 エルマードがうれしそうに皿を差し出し、夫人が受け取って席を立った時だった。


『動くな!』

『そこの二人、大人しくしろ!』


 大きな音と共に扉が開いたと思ったら、王国兵がなだれ込んでくる!

 俺はとっさに腰に手をやったが、拳槍ピストールは相手に警戒させないために、ハンドベルクに預けてきたことを思い出して歯噛みする。

 あまりにも狭い家の中、立ち上がる時間すら与えられずに歩槍ゲヴェアを突きつけられた俺たちは、座ったまま、何もできなかった。


 油断した! もう少し──もう少しだけと思ってしまったことが仇になったか!


「へ、兵隊さん。何かの間違いではないですか? 僕たちは……」


 とっさに笑顔を浮かべてごまかそうとしたが、上官らしき男が懐から取り出した紙と俺たちとを見比べ、満足気にうなずく。


『男のほうも、チビのほうも、似顔通りだ。銀髪と金髪……のはずだが、髪は染めているようだな。だが間違いない。アインとエルマードの二人だ』


 チッ……思わず舌打ちする。似顔、か。別れ際にノーガンが忠告した通りだった。当たり前か、収容所を脱走してから、もう時間もだいぶ経った。似顔が出回って当然だろう。

 だが、なぜ、ここ・・でなんだ? 街は避けてきたはずなのに。


『オレたちは運がいいようだ。二人まとめて手に入ったのだからな。よし、縛り上げて連れて行け』


 命じられた兵たちが、俺たちを囲む。ここまで来て……! 噛みしめた奥歯がきしむが、抵抗しても体に穴を開けられたうえで連行されるのがオチだろう。もしかしたら、俺の方は暴れるなら躊躇なく射殺し、エルマードだけ連行されるかもしれない。


 連中が、俺たちを「生け捕りにする」ことに価値を見出している以上、今は抵抗しない方がよさそうだ──そう思い、エルマードに目くばせしたときだった。

 兵士の一人が、エルマードの肩を掴み、椅子から立たせる。その乱暴なやり方に腹が立ったものの、周りは全員、歩槍ゲヴェアを構えているのだ。抵抗しない方がいい。奥歯を噛みしめ、こらえる。


 すると、夫人が立ち上がった。兵の手を掴み、訴えたのだ。


「ちょっと兵隊さん! 何かの間違いじゃないんですか? 兵隊さんたちが捕まえなきゃならないようなことを、いくらなんでもこの子たちが──」


 ──乾いた破裂音が三発、響く。

 聞き慣れた発法はっぽう音、見慣れた青い光。


「……え?」


 何が起こったのか、分からなかった。

 信じられないものを見た──そんな表情で、そのまま膝を折るように崩れ落ちる夫人。


「おばちゃん! おばちゃんっ‼」


 エルマードの悲鳴。


『孕み女は的が大きいからな。よく当たる……』


 拳槍ピストールを下ろしながら、こともなげにつぶやく隊長らしき男。


『お前たち、さっさと仕事をしろ』

『あ、了解、隊長アイ・サー!』


 床に崩れ落ちた夫人は、まだ息があるようだった。一発が食い込んだ胸よりも、もう二発が撃ち込まれたお腹を抱え、苦し気に「赤ちゃん……赤ちゃんが……」とうめく。

 その彼女を囲み、──よりにもよって、腹を蹴る王国兵ども!


「貴様ら、それでも人間かっ!」


 思わず掴みかかろうとした俺を、両隣から兵がつかみかかってきて、俺は床にねじ伏せられる……!


「お兄ちゃん!」


 視界の端で身をよじるエルマードが髪を掴まれ、平手打ちをされる。


「エル⁉ ちくしょう、貴様ら!」


 必死に振りほどこうとした俺の頬に、隊長らしきクソ野郎の革靴がめりこむ!


「がふっ⁉」


 続くエルマードの悲鳴。

 お腹の赤ちゃんだけは、と懇願する夫人のか細い声は、すぐに聞こえなくなった。

 そしてクソ野郎は、拳槍ピストールを突きつけて冷淡に続ける。


『貴様は、最悪の場合、死体でいいとの命令を受けている。だがその場合も、死体を持ち帰れとの命令だ。そして、一人分の死体袋というのを担ぐのは、大変に面倒なのだ。理性ある行動を心がけてくれると、こちらとしても面倒がなくていい」


 そう言って、隊長はさらに拳槍ピストールを押し付けてくる。


「お兄ちゃん⁉ お兄ちゃんっ!」

『黙らせろ』


 平手打ちの音──エルの悲鳴! さらに平手打ちの音!


「やめろ、貴様ら! やめろおっ!」

「どうかね? 理性ある行動──双方にとって、利益のある提案ではないかな?」


 わざわざネーベルラント語で、あざ笑うように隊長は問いかける。

 理性……理性だと?

 雨に濡れた俺たちを受け入れ、特にエルマードの体調を気遣ってくれた夫人。

 今の今まで、温かいものを振る舞い、貧しい暮らしの中からエルマードのために当て布を分けてくれるという心遣いまで示してくれた夫人。


 妊婦を無慈悲に撃ち、蹴り殺した連中が、どの口で理性を語るというのだ!

 今も少女を押さえつけ、痛めつけている貴様らのどこに、理性があるのだ!


「おっと、動かないでくれたまえ。私は臆病でね。引き金が軽い自覚があるのだよ」

「何が臆病だ、この鬼畜野郎!」


 叫んだときだった。


「へ、へへ……。兵隊さん、どうです? 賞金首でしたでしょう?」


 外から声を掛けてきた者がいた。

 ……ああ、信じたくはなかった。

 外で揉み手している、男の顔を。


「……あんた……!」


 そう、この家の主人だったのだ。彼が、俺たちを売ったのだ……!


「悪く思うなよ? エリーンの出産も近いんだ。カネが……必要なんだよ、オレたちにはな」


 自分が何をしたのか、分からないのか!

 三発の音が何を意味するのか、想像できないのか!

 貴様がこいつらを呼び寄せたせいで、そのエリーンさんは、もう……!


「へへ、兵隊さん……。オレの手引きのおかげで、アンタたちは丸儲けだ。なあ、通報の手数料って奴を……」

『おい。ネーベル豚の言葉は私には分からんが、豚は何かを欲しがっているようだ。くれてやれ』


 直後に至近距離からの発法音、一発。

 べしゃり、という硬い何かが爆ぜ飛び散るような音。


 ……ああ!

 くそっ!

 くそったれめが!

 俺たちを売った主人も主人だが、だからと言って許されるのか、これが! この結末が!


『ふむ。貴様は所詮、理性無きケモノか。よろしい、ケモノには躾が必要だが……貴様は自分が痛めつけられても、死ぬまで大人しくなるような型ではなさそうだ。そういう輩は、外付け・・・の制御装置に頼るのがいい』


 クソ野郎はそう言うと、エルマードを押さえつけている兵士たちに命じた。


『少々そのチビを痛めつけてやれ・・・・・・・。こいつが大人しくなる程度にな』

了解、隊長アイ・サー!』

『へへ、さすが我らが隊長だ!』


 ガタン、ガタンと何かが倒れたりする音。

 平手打ちや拳の音。

 エルマードの悲鳴。


 王国兵の『大人しくしてろ!』『すぐに終わらせてやるからよぉ』などという、下卑た声──!


「お兄ちゃん! お兄ちゃん、助け──むぐうぅっ! ふぐっ! んうぅぅっ!」

「やめろ、貴様ら! 何をする、エルに触るな!」

『君が悪いのだよ、反抗的な態度を示すからね。君のせいで、そこの善良な夫婦は死んだのだ。君のせいでね。今また、妹くん……という設定・・かい? 彼女がひどい目に遭ってしまうのだ。やはり、君のせいでね』

「貴様らこそ外道の極みだろう! 『ゲベアー』なんてものを作り上げておきながら!」


 その瞬間だった。

 クソ野郎の表情が変わった。


 発法はっぽう音、同時に右腕を貫くけつくような痛み!


『こいつは危険だ。こう標的ひょうてき──いや、乙型おつがた金物かなもののことも知っているかもしれん。先日の研究所爆破事件にも関わっているに違いない。連れ帰って情報を吐かせるぞ。……その前に、いくつか絶望を味わってもらうがな』


 粘りつくような笑みを浮かべるクソ野郎が、意味ありげに視線を俺の背後に向ける。


 『くそっ、大人しく脚を開け!』という罵声。

 『小娘相手にいつまでもナニやってんだ』という嘲笑。

 殴りつける音。

 口をふさがれているらしいエルマードの、くぐもった悲鳴、泣き叫ぶ声。


「エル────っ‼」


 俺は彼女を守ってやると、そう誓ったはずのに!

 なぜこんな、こんな不甲斐ないことになるんだ!


 怒りと悲しみと憤り──胸を焦がすやり場のない激情で目の前が真っ赤になったような瞬間だった。


 目の前に星がチカチカと瞬くような感覚──

 下腹からたぎってくる異様な熱さ、抑えられぬ衝動──!


『な、なにが……ぬおっ⁉』


 王国兵たちが持っていた歩槍ゲヴェアの機関部が、予備弾倉が、青白く輝いたと思ったら一斉に破裂する!


 王国兵どもは、突然の爆発に倒れ伏す。何が起きたのかよく分からなかったが、これこそ天の助け! 俺は素早く立ち上がると、俺を押さえていた王国兵どもの顔面を蹴り飛ばし、テーブルの上に押し倒されていたエルマードの元に駆け寄る!


「エルっ!」

「お、にい……ちゃん……?」


 彼女こそ目も虚ろで、目の前で腰の弾倉が破裂した男が吹き飛ばされたことに、何が何だか分かっていないといった様子だった。

 はだけられた服を下ろしてやりながら、俺は彼女を抱き起こす!


「エル、しっかりしろ! アレ・・だ、できるか!」




 うめきながらも起き上がってきた王国兵たちの、俺たちを見る目は、最高に滑稽だった。


『こ、金色こんじきの怪物……ッ!』

『う、ウルアルト城の化け物が、なんでここに……!』


 エルマードのことを知っているらしい。戦った連中は殺したわけじゃないから、そこから話が広がったか。


「誰が化け物だ。こんなに美しい毛並みの獣人族ベスティリングなんて、ほかに見たことがあるか?」

「ヒッ……助け……!」


 助けて、か。


 エルは辱められる一歩手前だった。

 世話になった女性は、貴様らに寄ってたかって腹を蹴られてとっくにあの世だ。

 俺たちがどう行動するか、貴様らの行く末がどうなるか、推して知るべしだと思わないか?

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