第5話:そういうことにしておいてくれ

 俺がぶん殴った左頬を腫れあがらせている白衣の男は、フェルマンと名乗った。もともとは、法術の研究者だという。

 ネーベルラントの西方地域の出身だそうだ。王都で法術の効率化について研究をしていたらしい。


 それが、この「乙型おつがた」の直列接続による錬素オド生成の増幅の研究をするように命じられたのだという。人体を解体して装置と化す悪魔のような研究には当然のように抵抗したのだが、老いた母のことを考えると、抵抗しきれなかったそうだ。


 だからと言って、若い女性の命を奪って実験を繰り返したことを帳消しにするつもりなど微塵もなかった。


「フラウヘルト、『例の家』、お前の伝手つてだとはいえ、くれぐれも粗相のないようにな?」

「任せてくださいよ、隊長」

「ロストリンクス。あとは頼んだぞ」


 俺の言葉に、ロストリンクスが静かに頷く。その隣でフラウヘルトが笑った。


「隊長こそ、変に先走ったりしないでくださいよ? 慌てる男はモテませんよ?」

「さすがにこの状況で、派手に何かをやらかすことはできないさ」

「なに言ってるんですか。これを機会に、うるさくて爺さんが寝られないくらい、エルちゃんを可愛がるつもりなんでしょ?」

「女たらしのお前らしいやっかみだな、全く。……ディップたちの様子を確認したら、俺たちもそちらに向かう。そちらも十分に気をつけろ」


 大きなわらの山と、フラウヘルトとノーガン、そして捕虜とした五人を乗せた牛き車が、ゆっくりと動き出す。


「隊長、お気をつけて。ここしばらく暴れているせいで、おそらく隊長の似顔くらいは出回っているはずですんで」

「なんだ、ノーガン。身に覚えがありそうな忠告だな?」


 俺の言葉に、ノーガンが笑う。

 乱闘騒ぎといえばノーガン、俺の部隊に来る前は営倉えいそう送りになったことも片手では済まないというこの男だ。きっと実体験に基づく忠告だろう。


「本当に、お気をつけて。自分らは、先にゆっくりさせてもらいますよ」

「ああ。『例の家』の令嬢は美人ぞろいだそうだからな。骨抜きにされるなよ?」


 フラウヘルトの幅広い伝手つてのひとつに、「例の家」がある。世襲男爵家であるその家は、長引くこの戦いの中、兵力こそほとんど出していないものの、豊かな穀倉地帯を擁しており、兵站の面でネーベルラントを支えている貴重な存在だ。

 その家で、今回捕らえた五人を、じっくりとそこで尋問するつもりだった。


 ネーベルラントとアルヴォイン王国、そしておそらく研究成果の美味い汁をすすろうとしているヴェスプッチ合衆国。これら三国が中心となって開発している歩槍ゲヴェアがもたらしかねない国土の破滅、そして女性の命そのものを兵器として戦火に投げ込む恐るべき「ゲベアー計画」。


 もはや、量産体制を築くための研究計画まで進んでいるとなれば、俺たちのような末端の人間がいくら工場を潰して回ったところで、焼け石に水だろう。政治力が必要だった。

 もちろん、『例の家』が握りつぶしてしまえば、それで終わりだ。俺たちが頼れる伝手つてなど、それくらいしかない。俺の家も一応は領主貴族だが、吹けば飛ぶような小領主。そもそも頼る以前の問題だ。


「フラウヘルト、それこそお前が一人娶るくらいの勢いで拝み倒してくれよ?」

「残念、隊長。僕は一人の女性に独占されるには惜しい存在なんですよ」

「……そのうち背中から刺されるぞ」

「それはいいね、それは僕の理想の人生計画のうちの一つですよ」




 遠くなっていく牛き車を見送った俺たちは、きびすを返すと路地の裏に向かった。


「さて、まずはディップたちの様子だな。多少は傷が癒えているといいんだが」

「ディップにはドルクがついておったじゃろ。信じるしかあるまいて」


 ハンドベルクが微笑む。


「お前さんも、無理せんことじゃ」

「これくらいは平気だ」


 先日の戦闘で負傷した左腕は、弾が掠めて肉がえぐられた程度だ。戦闘後にハンドベルクから適切に応急処置をしてもらったこともあってか、膿んだりもしていない。

 エルマードなど、その処置の様子を食い入るように見つめていた。「だって、ボクもご主人さまのお世話、できるようになりたいもん!」ということらしい。


 そのエルマードは現在、髪を褐色に染めている。さすがに金色の髪は目立ちすぎるからだ。俺も同じように染めた。


「昨日言ったように、俺たちは歳の離れた兄弟だ。収容所では男で通していたんだし、できるな?」

「うん」

「そうだな……俺のことは『兄貴』、とでも呼んでくれ」

「兄貴……?」


 エルマードは少しためらったあと、素晴らしい考えを思いついたように微笑んだ。


「えっと……アインお兄さま!」

「……は?」


 なんだか馬鹿丁寧な呼び方に、俺は虚を突かれた思いだった。しかしエルマードは、はにかみながら繰り返す。


「お兄ちゃん……お兄さん……。うん、やっぱりお兄ちゃんかな? アインお兄ちゃん……。なんだか、くすぐったい気がするね。アインお兄ちゃん……えへへ」


 おい。なぜそこで頬を染める。




「隊長、見違えたっスよ」


 ベッドに横たわるディップは、開口一番、軽口を叩いた。


「ずいぶんと野生的になって。焦げたんスか?」

「ああ、焦げたよ。全く、とんでもない爆発に巻き込まれかけた」

「お前さんが小麦粉を発破に混ぜたからじゃろうが」


 なんだかずいぶんと会っていない気分だった。ドルクから白湯さゆの入ったカップを受け取ると、それをすする。


「どうだ、ドルク。ここの暮らしは」

「オレたちのほうは、まあまあといったところです。ディップの傷は今のところ安定してますから、このまま潜伏していれば、なんとか……」


 ドルクは、鎧戸の隙間から外を見ながら答えた。


「……あの時は、どうもすみません。頭に血が昇ってました」

「気にするな。こちらこそ、ドルクにはディップの面倒を見てもらっていて、ありがたいと思っている」


 頭を下げるドルクに、俺も彼の貢献を労う。ドルクは、元々は俺の隊にいたわけじゃない。にも関わらず俺の婚約者奪還作戦に乗ってきてくれた貴重な人間だし、今もディップの面倒を見てくれている。ありがたい話だ。


「ディップ。怪我については、焦らなくていい。どうやら長期戦になりそうなんだ。いずれ働いてもらうつもりだから、その時まで牙を研いでおいてくれ」

「へへ……隊長、そんなこと言っていいんスか? おれっち、そのまま食っちゃ寝暮らしで使い物にならなくなるかもしれないスよ?」

「その時はその時さ。ベッドから叩き出してやるからそう思え」

「おお、怖いっスねえ。我らが隊長殿は」


 


 月明かりを避け、森の中を騎鳥シェーンの背中で揺られながら進む。


「ディップ、ケガ、治るんだよね? アイン……お兄ちゃん」

「……そうだな。治るさ、怪我は」

「よかった! 元気になったら、またお兄ちゃんのこと、手伝ってくれるよね?」

「当然だ、またこき使ってやる」


 後ろからしがみついているエルマードの声は、どこか嬉しそうだ。だが俺は、並走するハンドベルクと顔を見合わせた。

 ハンドベルクは、ディップの様子を見て、改めて、彼の体が元のように戻ることはないと言っていた。もちろん、失われた右腕が元に戻ることがないのは当然だが、それ以外にも、傷が重すぎたのだ。


 身軽さと、それを生かした諜報活動が、彼の持ち味だった。おそらくそれはもう、永遠に発揮されることはないだろう。だが、それを嘆き続けたところで、何かが好転するわけでもない。受け入れるしかないのだ、運命を。


「この調子なら『例の家』までに、五日もあれば着くじゃろうな」

「ハンドベルク、それは期待しすぎってものじゃないか? 悪いが俺は、博打の神からあまりよく思われていないみたいでな」

「なあに、捨てる神あらば拾う神ありというもんじゃ。信心が己を救う。ワシは欠かしたことはないぞ、芸術と職人の女神キーファウンタ様への信仰をな」


 軽快な足音を立てて森の中を疾走する騎鳥シェーンが二羽。できることなら、そうあって欲しい。


 だが、世の中、そううまくはいかないものだ。

 例えば、天候とか。




 行程三日目から降り始めた雨は、断続的に降り続いている。時折激しく降り注ぐ雨は、まるで弾丸をばら撒いているかのようだ。すでに予定の五日は過ぎ、今日で七日目。それでも「例の家」までは、まだ遠い。


「エルマード、体調はどうだ」

「……ごめんなさい……」


 冷え切った身体を震わせているエルマードの唇はすっかり青ざめていて、彼女がかなり堪えた様子だというのが分かる。


「いや、いい。隊員の健康状態のチェックを怠っていた俺の責任だ」

「……でも……お兄ちゃんを困らせるなんて……ボクは……」

「いいから休んでいろ」


 雨の草原を駆け抜けているとき、彼女が騎鳥シェーンの背から落ちかけて、俺は必死にその腕を掴んで落鳥を食い止めた。その時、彼女の下半身が真っ赤に染まっているのを見て、「いつの間に撃たれた⁉︎ それともどこか、傷が開いたのか⁉」と一層慌てたものだった。


「……ごめんなさい……。ボクのせいで……また、遅れちゃう……」

「いい。お前が郷里さとの未来を担うことができる証拠だ。それよりもっと火の近くに寄れ。いつまでも腰を冷やしていては、身体にさわる」


 ぐすぐすとしゃくりあげる彼女の濡れた髪を撫でながら、俺は務めて平静を装った。男のふりをしていても、こういう時、女の子なのだと思い知らされる。


 たまたま具合のいい巨木の下が見つかったから、こうして今は雨をしのぐことができているが、たしかに女に戦場は過酷だと思い知らされる。

 ミルティは──俺の元婚約者は、そんな素振りを見せなかった。田舎の豪農の娘として、畑仕事をいとわずよく働く娘だったという。そこらの貴族のご令嬢なんかとは格が違うのだ。だからこそ、よくついてきてくれたのだろう。


 ……いや、きっと違う。

 ずっと、耐えてきてくれたのだ。俺のそばにいるために。

 そんなことにも、俺は気づかなかった。至らぬ男だった。


「エル、気にするな。お前は俺たちの、大切な仲間なんだからな」


 小さくうなずくエルマードの頭を撫でてやっていると、木の枝を折って火にくべていたハンドベルクが、苦笑した。


「隊長。ワシに気兼ねせんでええ。惚れた女だと言ってやりなされ。そのほうがよほどチカラが湧いてくるというもんじゃ」

「……そういうのはやめてくれ。なんだか気まずくなる」


 俺の言葉にからからと笑ったハンドベルクは、「どれ、少し小ぶりになってきたようじゃから、燃やすものを探してくるとしよう。雨に濡れているから、少々時間がかかりそうじゃな」と、わざわざ言って森の奥に消えていく。


 苦笑いしてエルマードを見ると、焚火の加減か、いくぶん頬を赤くして、俺を見上げていた。


「……そういうことにしておいてくれ」

「そういう、こと?」


 お前のことが、大切だということだよ──そう言いたかったけれど、小首をかしげる彼女に、俺は言葉にしづらくなってしまった。


 そっと、その頬に手を添える。

 雨に濡れた唇は冷えていたけれど、その奥は、とてもあたたかかった。

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