第12話:全部終わったら、俺の家に来い
しばらく、三人で気まずい沈黙のまま、無言でお茶を飲み続ける。エルマードは何かを訴えたそうにこちらをちらちらと見上げては、目が合うとすぐさま目をそらしてしまうものだから、どこかやりにくい。
いや、俺のせいだっていうのは分かってはいるんだけれど……。
「……それにしても、この庭園はとても美しい。さぞ優秀な庭師を抱えているのだろうな」
我ながら取って付けたような言葉に、メイドは「ありがとうございます。旦那様もお喜びになるでしょう」と、にっこり微笑んだ。
「ところでレギセリン卿は、農業だけでなく鉱山を拓くことについては?」
「いえ、先々代がそれで田畑を荒廃させてしまったということがありまして。以来、そういったことにはあまり……」
「田畑を、荒廃?」
「銀が取れる可能性、という山師の話で山を掘った結果、ほとんど何も採れなかったうえに、下流の川がひどい毒水になってしまった、とのことです。そのため、エィーガー家が持てるだけの財を投入し、領主自ら
淡々と、薄く微笑みながらそんな話をするメイドに、俺は驚いた。
「……山を掘るっていうのは、そういう危険もあるのか」
「ですが、そのような歴史があるからこそ、いまの『麦穂たなびくレギセリン』が出来上がったのも事実でございます」
「なるほど。過去があるから今がある、ということか」
「そう考えていただければ幸いにございます」
人に、
嘆息しながら話を聞いていると、俺の方をじっと見つめているエルマードに気づいた。
「……エル?」
「ひぁう⁉︎ あ、いえ、その……!」
ひどく慌てて目をそらすエルマードに、俺は苦笑する。
「エル、この間から変だぞ? どうした、さっきから」
問われたエルマードは、しばらくしどろもどろになっていたが、やがてボソボソと話し始めた。
「……ぼ、ボク、こういう、難しい話、分からなくて……。だから、その……お役に立てなくて……」
「なんだ、そんなことか。気にするな、安心しろ」
そう言って、エルマードの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「お前は今、美味いものを食って幸せを感じていればそれでいいんだ」
「はぇ……?」
撫でられてから、すぐ隣にメイドがいることに気づいたのか、またさらに真っ赤になって頭を押さえるのが、また小動物のような愛らしさがある。
「ご、ご主人さま……! ボクは、ボクは……!」
「いいんだよ、それで」
メイドが何やら微妙な顔をしているが、さっき、その目の前で「
「エルはエルの良さを発揮してもらう瞬間がある。今ここで全能を発揮できなくてもいいんだ」
「でも、でも、お役に……」
「立っているぞ。俺がお前の愛らしさを堪能するために今、お前はここにいるんだ。だからもっと椅子を寄せろ、近くに来い。美味そうに
我ながらめちゃくちゃなことを要求しているとは思う。今、俺の言葉を受けて目を白黒させているエルマードを見れば、一目瞭然だ。
だが、母を早くに失い、彼女を拾った男からは道具扱いされ、さらにはたぐいまれな
恐る恐る
「隊長。どう思いやすか」
「どうもこうも、限りなく黒に近いだろう」
屋敷から
「元は銀鉱脈を求めていたらしいが……それが今度は、
「それにしても酷いもんですね、これは」
「酷いどころではありません! というより、なぜこんなことになっていると、あなた方が知っていたのですか!」
それほど高い山ではないが、荒涼としたこの山はどうしたことか。近隣の山々が青々と木々を茂らせているというのに、このあたり一体は見事に木の一本もない。
「こんなことになっているなど、報告にありませんでした! なぜあなた方は、このありさまに気づいたのですか!」
さっきから騒がしいのは、俺たちとついてきた地質調査官の男だ。ゲオログといったか。
「報告が全てでもないだろう」
「しかし……こんな、大規模な!」
うるさいゲオログの声を意識から放り出しながら、ロストリンクスに確認する。
「隊長、そいつを擁護するつもりはありやせんが、確かに、地図によればここは採掘場として指定されている場所とは違いやすが……」
「だから黒なんだろう?」
「黒……って、なに?」
エルマードが首を傾げる。
「限りなく怪しい連中ってことだ」
背後で騒ぎ続けるゲオログを無視して、俺はエルマードの頭をくしゃくしゃと撫でながら、露天掘り現場を指で示す。
「エル、見えるだろう、あの山の様子。だが、こっちの方が標高が高いから、麓からはこれほど荒廃した様子は見えなかった。そういう場所を狙って、あいつらは採掘をしているように思われるってことだ。昨日見た採掘現場を覚えているか?」
「うん。なんか、大きな水たまりとかがあった!」
「そうだ。やはり山を掘るっていうのは、いろいろと影響が大きいからな」
実は、地図通りならばもう少し沢を下った先が採掘現場だった。実際にそこでも採掘していたし、そこでは採掘した鉱石を精製する時に出る
「だがゲオログさんよ。川の水の濁り、気が付いていたかい?」
「川の水ですと? ……ああ、あなたが言っていた、あれですか」
「そうさ。普通、山の川の水ってのは澄んでいるもんだ。それくらいは当然、分かるだろう?」
先日、このレギセリン領に辿り着く直前に渡った川もそうだったが、山の川というのは、雨が降らなければ基本的にはとても美しく澄んでいるものだ。山がよほど荒廃していなければ、多少の雨で水が濁ることもない。それは、俺の
「……なるほど、雨が降ったわけでもないのに川が濁っていた……で、ですがそんな些細なことが……!」
「些細かどうか──その答えがこれだろう?」
ゲオログの奴は、なぜだか歯を食いしばるように俺をにらみつける。
いや、あんたは専門家なんだろう? そんな顔をするなよ。
「……ここはまだ、レギセリン領──じゃな?」
ハンドベルクが地図を見ながら言う。
「当たり前です! あの向こうの
「では、こいつらは……」
「し、知りませんよ! 誰なんです、あの現場の男たちは!」
ゲオログの言葉に、狙撃用のスコープをのぞいていたフラウヘルトが答える。
「一通り見てみたけど、所属や階級が分かるような服を着ている人間はいないみたいだね。周到なことだよ」
「つまり、どういうことなんですか!」
「脳みそまで筋肉のノーガンにも分かりやすく言うと、つまり、たとえとっ捕まえても、自白するまではどこの誰だか分からないってこと」
フラウヘルトの言葉に、ノーガンが「なんだと?」と目を剥くが、それを抑えてハンドベルクが顎を撫でながら続ける。
「それに、下っ端の作業者を捕まえて吐かせたところで、自分たちが何を掘っているかなんて、知らぬかもしれんしのう」
「だったら、とにかく白状する奴が出るまで捕まえればいいでしょう!?」
こともなげに言うゲオログに、俺はため息をつく。
「多勢に無勢だ。こっちは六人だぞ? それに鉱山で働く、気の荒そうな連中だ。俺たちが単純に腕力でどうにかできるとも思えない」
ロストリンクスも無言でうなずく。外野がやかましくとも、副長が同意してくれれば大丈夫だろう。それよりも、確認しなければならないことがある。
「俺たちが確認すべきことは、あくまでも
「はぁい!」
エルマードが背中のザックを下ろすと、青白く輝く結晶と、複雑な紋様が刻まれた
「えっと、昨日みたいにすればいいんだよね?」
「ああ。この土地の
「うん!」
エルマードが平らな場所に
徐々に紋様の線が青白く輝き始める。あとはしばらく置いておけば、この土地の潜在的な
「ああ、もう、じれったい……!」
「ゲオログさんよ。あんたも専門家なら、こういう調査が大事ってのは分かってるだろう?」
「そうですが、あなたたちは戦争屋なんでしょう!? さっさとやっつけてきてくれませんか!」
「だから多勢に無勢だって、隊長が言っただろうが」
ノーガンが、憮然として答える。とりあえずゲオログのことは、ノーガンに任せて放っておくことにした。
「それにしても、まさかこんな大っぴらに露天掘りをしているとは思わなかったな」
「そうなの? 普通はどうするの?」
エルマードが振り返って聞いてくる。
「よく聞くのは、天然の水没洞窟の中にできている、ってことかな」
「水没洞窟?」
「ああ。基本的には、水の中で結晶が育つと言われている。真っ暗な洞窟に広がる水溜まりのなかで、淡い青色に光っているんだ」
良質な湧き水の近辺は、良質の
ただ、それを採掘するとなると、当然、良質の水源を汚染することになるわけだ。山と森に囲まれたうちの領内は、そういう意味では良質の鉱脈に恵まれている可能性を持っているのだが、それゆえに父は、
「やっぱり、良質の水源を破壊するのは、結局は自分たちの首を絞めかねないからな」
このレギセリン領でも、水源を破壊したために大変な苦労をしたようだし、やはり父の判断は正しいのだろう。
「じゃあ、この露天掘りってのは……」
「とても褒められたやり方とは言えないな。水源を破壊し、おまけに鉱石を根こそぎって意図がありありと感じられる。少なくとも、俺の領内ではとても認められないだろう」
我が家のあるヴァルドグレイブ領の
とはいっても、なにせ俺もヴァルターリヒト家の人間。子供の頃、何度か視察に連れて行ってもらったことがある。明かりを落とすと、どこまでも透明な美しい洞窟湖の底で、幻想的な青い光が、あちこちで淡く輝くのだ。天井にもわずかに光るものがあるから、まるで夜空の中に浮かんでいるような気にもなってくる。
音ひとつない漆黒の闇の中で、淡く輝く青い光。実に神秘的な空間だった。
「だからこそ、美しい森や湖が保たれてきたのかもな。本当に綺麗なんだぞ?」
「そうなの? ボクも見てみたい!」
「全部終わったら、俺の家に来い。連れて行ってやろう」
頭を撫でてやると、嬉しそうに俺を見上げる。フラウヘルトの奴が、小さく口笛を吹いた。
「隊長、『俺の家に来い』ってつまり、
彼のニヤニヤした顔を見て、気が付いた。
女の子を、貴族の俺が、家に連れて行く。
しかも
ああ、もう、どうにでもなれ。
「そのつもりだが」
精一杯、平静を装って答えると、フラウヘルトが再び口笛を吹く。
「やりますねぇ、隊長。まさか明言するなんて。僕はちょっと見直しましたよ?」
うるさい。
いいんだよ、エルはもう、俺が引き取ると決めたんだから。
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