その手にあるのは。


 馬車に乗り込むと、そこには先客がいた。


「……忘れ物ですよ」


 座席に座っている少女はむくれている。

 ヴァイアであった。


 思わず泣きそうになった。

 ヴァイアが(ほぼ間違いなく奴隷契約の影響で)我が輩に好感、好意を抱いているとは言っていたものの……今まさに、それを行動にして示してくれたからである。


 ……しかしやはり、連れて行くわけにはいかぬのだ。

 我が輩は心を鬼にした(もうお分かりだとは思いますがこのファンタジーでは鬼とかの和風モチーフも普通に出てきます)。


「戻れ」


「戻りません」


「……命令する。“屋敷に戻れ”」


 奴隷契約において、主人の言葉は絶対である。

 少女の柔肌の下で呪術回路が作動し、自由意志を奪う。


「――戻り、ません」


 なんと。

 ぐ、と奥歯を噛んでヴァイアは抵抗した。


 意志の強さなどと、そういう次元の話ではない。


「……やめろ。従うんだ」


「いや、だ……!」


 呪いは魂に作用する。

 それをはねのけるという所業は、例えるなら不随意筋である心筋で力こぶを作ろうとするに等しい。


 当然、無理な「魂の抵抗」は反動を引き起こす。

 身体的にも、精神的にも。


「があッ……」


 およそ美少女から出てはいけない音が、ヴァイアの喉から鳴った。

 右目の涙腺、そして鼻から透明な液体と共に血が流れていく。


「ううぅ……」

 

 それでもヴァイアは抵抗をやめない。


 流れる血は身体へのダメージ。

 そして透明な液体は涙……精神へのダメージの表れだ。

 

 ……これ以上はまずい。

 命に関わる――いや、すでに関わっている……!


「わ、分かった! もうやめろ! 命令は取り消す!」


「――――」


 苦悶に歪む顔が、我が輩のその一言で緩む。

 それから座席にもたれかかるようにして、ヴァイアは荒い息を吐き続けた。


 ひとまず、ほっと安堵の息を吐く。

 

 魂への負荷は、恐怖という形で変換される。

 恐怖とは、全ての生命が忌避する、最も厄介な感情である。


 それに長く晒されれば、ものの十数分で脳はその苦しみから逃れようと発狂の道を容易く選ぶ。


 ……しかし、たった一度の命令違反でここまでの反応とは。

 やはりヴァイアにかけられた奴隷契約の呪いは、何かがおかしい。


「やれやれ……」


 安堵したような表情のまま意識を失ったヴァイアを、これ幸いと放り出して置き去りにするかどうか……一瞬だけ逡巡した我が輩を乗せた馬車は、やがて目的地へ向けて走り出したのだった。


***


 地理にあまり詳しくなくても分かることだが、新たな赴任先であるアラニードまでには相当な長旅を要する。

 

 ……そんなわけで、我が輩は眠りに落ちることにした。


 馬車の旅は過酷である。

 それがどれくらいのものかと言うと、激安深夜バスで足を組んで領土を侵してくる上に消灯時間にスマホをいつまでも弄るタイプの、小汚いおじさんが隣の席だったときよりも過酷である。


 貧弱なサスペンションが地面の凹凸をダイレクトにケツに伝えてくれる上に、車内に満ちる特有の臭いが吐き気を助長してくるのだ。

 

 さらに言えば、我が太ももの上に頭をのせているヴァイアの存在である。


 美少女というものは、寝顔までもが美少女なのだ。

 我々凡人が意識的に表情筋に力を入れ、目を大きく開けて少しでも理想の顔を演じようとする努力を嘲笑うかのように、脱力しきった状態の少女の顔に間抜けさの文字はなく、ただそこに存在するだけで美を振りまいており、なんなら起きている時より無防備でえっちすぎる。

 

 こんなものが膝元にあると想像してみてほしい。

 早いところ意識を手放さなければなにをしでかすか分からないというのは、なにも我が輩に限った話でもないだろう。

 

「…………」


 我が輩は目を閉じる。

 眠りに落ちようと意識すればするほど、嫌がらせのように思考は加速していく。



 ……北方に赴任すれば、間違いなく死ぬ。

 いや、殺されるだろう。

 

 かの土地の役人は腐りきっている。

 仮にその是正を図ったとしても、単騎で強固に固められた人間関係、利害のネットワークを打ち崩すのは至難の業だ。

 おそらく、その途中で死を迎えるのがオチだろう。

 

 では、腐った役人側につき、取り入るのはどうか?

 おそらく、赴任した領主が最も多く取った行動であり――残念ながらこの場合も、我が輩は死ぬ。


 なぜなら国の監査が及んだ際、不正の温床としてやり玉に挙げられるのは決まって領主だからだ。

 甘い蜜を吸っていた悪の親玉として、我が輩は極刑に処されるだろう。先人がそうであったように。


 ……要するに、国のお偉方と北方はグルなのである。

 名目上の監査はするが、改善など誰も望んでいないのだ。

 

「……であるならば」


 我が輩のやるべきこととはなにか?

 

 手札にあるのはわずかな金、手荷物……そして、奴隷の少女だけだ。

 

 そう、この少女はまだ「魔女」ではない。

 魔女の素因を受けただけの、妙な呪いをかけられた美少女なのだ。

 

 守ってやりたい。


 どうせ尽きる我が命である、せめてヴァイアは……とは思うものの、状況が悪すぎる。


 美少女に加え、我が輩の所有物であり、ウィークポイント。

 どう転んでも慰み者ルート不可避である。


 ヴァイアが魔女として、まあ成長だか覚醒だか分からんがとにかく十全になってくれれば間違いなく取れる手段も増えるのだが……今のところ、何かしらの戦力になるかどうかすらも分からん。

 

「……うーむ」


 やはり、ここいらで路上放棄するのがヴァイアの幸せだろうか――。

 

 

 そう考えた、そのときだった。



「うおおおおおおッ!?!?」


 ――世界が、ひっくり返った。

 もの凄い音と衝撃。


 我が輩は宙に浮きながら、眼下に広がる草地と木の幹を眺め、あ、馬車から放り出されたんだ、とやたらのんびり思い、そして。

 

 

 ……暗闇が、おとずれた。

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