闖入者。

 

 ずいぶん長く、星空を見ていた気がする。

 

 目は開いているのに、疲れ果てた意識が受け取らなかったような感覚。

 自分の中に、ようやく魂が戻ってきた感じだ。


「…………っ」


 仰向けに寝ていた身体を起こす。

 ……途端、脳が揺れるような感覚に襲われるが、先ほどまでよりは確実にマシになっていた。


「……そうか。

 決めたんだな」


 座り込んだまま、数メートル先で伏している【アデルフィーラの片割れたち】に目を向ける。


 その白いモンスターに、今や神々しいまでの発光はない。

 斃され、星々を映す水面に転がっているばかりだ。

 

 そして、それを成した少女が、刀を手にしてそこにいた。


 ……どうやら、戦いの決着は今ついたところか。

 もしくは、そのままの姿勢でしばらくそこに立っているのか……。


 いずれにせよ、俺の気が遠くなっていたのは、実際のところそう長い時間ではなかったのだろう。


「――――」


 立ち上がろうとしたが、うまく力が入らない。

 ――そんな俺の傍らに、音もなく誰かが降り立った。

 

 それは、例の少女だった。


「まだ終わってないよ」


 そう言ってそいつは、俺を一顧だにすることなく、湖の中心へと歩いて行く。

 それから少女は、切り裂かれた【片割れたち】の残骸に、無造作に触れた。


「――――」


 まるで粘土か、砂遊びをするように。

 やがて立ち上がった少女は、【片割れたち】から取り出した紫色の何かを抱えてリィナに言った。


「おねーさんを、元の世界に帰してあげる」

 

 その細い腕の中で、紫色の塊は、なにか大切な臓器のように脈動し、粘液のようなものを吐き出し続けている。

 粘液は少女の白い服を汚し、足元の水面に水彩絵の具のように溶けていく。

 

 それを見ながらも俺は……気持ち悪いと感じてもいいはずなのに、そうは思えなかった。

 


「だからねっ、これで本当におしまい!

 ……おねーさんが、この子を殺して」


「――――」


 結局のところ何が目的で、何が起きるかも分からないのに、「だめだ」と何故か叫びそうになった。

 本能に訴えかけるような、強い衝動。

 ……だが結局、その声は出なかった。

 

 

 ――。



 それ以上に……静止の声を掻き消すように、俺の心はそう叫んでいた。

 なぜ、という疑問さえ浮かぶ余地なく。

 を殺せば、リィナが帰れるから――そんな理由を抜きにしても、俺はの死を願っている……。

 

「――――分かった」


 リィナは頷いて、手をかざす。

 ……一瞬だけ、彼女は俺を見た。


「――――」


 だけど結局、何も言わずに少女に向き直る。


 ……俺には、その気持ちが痛いほど分かった。

 だから、俺も何も言わなかった。


 魔力が込められていく。

 僅かな迷いか、魔力が尽きかけているせいか……らしくないほどの時間をかけて、生命を奪う闇の塊がやがて生まれて。

 

 

 ――――目映い光と共に、轟音が鳴った。



 咄嗟に目を瞑り、それからリィナを見た――。

 だが、彼女はまだここにいる。

 そして……今まさに落ちようとしていた闇は、消えている。


 少女が抱える紫色のなにかにも、変わった様子はない。

 リィナが引き起こしたことではないのは、それで分かった。

 

「――――な」


 一体何が、と辺りを見回し……俺は、間抜けなほど時間をかけて、ようやく気が付く。


 数メートル先の、湖の中心――そこには今、の人影があった。

 

 紫色の臓物を抱える少女と、リィナ。


 ……そして。

 おそらくは光と轟音と共に現れた、もう一人がそこに立っていた。


 光源の力を借りずとも浮かび上がるような、純白のシルエット。

 ゆったりとわずかな風に靡くローブが、修道女姿に似た格好の少女をかたどっている。


 その闖入者の姿に……俺は、見覚えがあった。

 そして間違いなく、唖然と彼女を見ているリィナもそうだろう。


 ……あり得ない。

 彼女が、ここにいるわけがない。

 リィナに続いて異世界から誰かが来るとしても、この人だけはあり得ない――。



 だが……そう執拗に首を横に振る思考を押しのけて、俺の声はその影を呼ぶ。



「…………聖女様?」


 声は、おそらく彼女たちには届かなかっただろう。

 その、白いローブを着た少女が発した言葉に被されて。



「――駄目だ。リィナがそれを殺してはいけない」


 まるで、それを伝えることだけが自分の役目だとでも言うかのように。


 少女はそう告げて、その場に崩れ落ちた。

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