たとえその手に剣がなくとも。
――間一髪のところで難を逃れ、戦跡となった森で、俺は自分の至らなさに、何度目かのため息を吐いている。
「……なんで、俺が勇者なんだ?」
リィナの治療を受けつつ……俺の口を衝いたのは、かねてから抱いていた純粋な疑問だった。
どうして、自分が勇者としてこの世界に呼ばれたのか。
俺に、世界を救えるだけのチート能力はない。
世界最強の力も、その境地に至るための才覚もない。
大魔法を扱えるだけの魔力を持ちながら、そのための技量は一向に身につかない。
魔力で何かを形作ることさえもままならず、高度魔術の発現には失敗し、無理な行使の代償として行動不能に陥る有様。
無様極まりない――。
若いが魔女であるリィナの目には、今ここにある全てがそう映るだろう。
無様に魔力を爆発させ、無様に魔力流出に陥り、無様に弱音じみた台詞を吐く中年。
「はっ――」
……才気溢れる美しい少女の目に映る俺の姿は、醜悪の一言だろう。
そんな風に考え、俺は自嘲したりもする。
実際、急にうじうじとしだしたおっさんを前に、彼女は呆れていたかもしれない。
……だが、それでも。
リィナは、俺のみっともない自嘲に続いて嗤ったりはしなかった。
「あのね。わたしは勇者になれないんだよ。
だってさ、勇者っていうのは――」
ただ、そう言って彼女は言葉を続けた。
「勇者っていうのは、魔王を倒すべきだって知っている人のことだよ」
……なんだそれは。
そんなの俺だけじゃない。この世界の誰だって知ってるだろ――と、思わず苦笑しそうになった。
だが笑みを形作る前に、リィナが真剣な顔をしていることに、俺は気付く。
「……たいていの人は、忘れていくし慣れていくものだよ。
たとえば……いつか必ず死ぬってことを常に意識している人があまりいないように。
みんな……魔王っていう理不尽を、ある意味で受け入れてるんだと思う」
「そう……かもな」
いや、間違いなくそうだろう。
魔王という明確な脅威がありながらも、人々が気にかけるのは結局いつも、目先にあるものだけだ。
……だが、それも仕方のないことだと今は思う。
生まれた時からすでに、彼らの世界には魔王が存在している。
彼らにとって魔王によって引き起こされる脅威は、この世界で生きている限り排することのできない、ほとんど自然災害のようなものなのだ。
「だけど、
「それは――」
それこそ違う――と、今度こそ苦笑が浮かんだ。
確かに、俺は魔王という存在に慣れないかもしれない。
ここは異郷で、自分の居場所じゃない……その言いようのない違和感は、どこで何をしていても、どんなに長くここに居ようと、俺に付き纏ってくるからだ。
……でも、だから敵に立ち向かえるかと言えば、それはまた話が違う。
白状してしまえば、この約二十年、俺は何度も勇者としての役割を放棄しようとした。
冒険者としてだらだらと日銭を稼いで生活していた時期もあったし、片田舎でスローライフなんてものを送ろうとしたこともある。
これまでずっと、魔王討伐にひたむきに取り組んできた――なんて、口が裂けても言えない。
……それでも結局、リィナの言葉を否定できなかったのは。
今、こうしてここで戦っていることこそがその証左だと、彼女が言外に言っているのが分かったからだ。
「ユウキは、別に立派なわけじゃないし、たぶんもの凄く勇敢でもない。世界一強い人はきっと他にいて……私のほうが、ユウキよりはそれに近いかもね」
自画自賛でも、俺に対する揶揄でもない。
単なる事実をリィナは口にして、続けた。
「でも私は、ユウキがいなかったら、ここに来ることも、ここで戦うこともなかった。……たぶん、そうしようとすら思わなかった」
俺はわずかに、顔を上げた。
魔力の残滓が漂うこの森には今、焦げた木々と魔物の骸が散乱し、かつての静寂は戦いの傷跡に覆われていた。
「私には力があっても、勇者にはなれない。
世界で一番強い人も、一番勇敢な人も、強大な魔女も、勇者にはなれない」
そう言いながら、俺の腕に治癒魔術をかけている彼女の指に、少しだけ力が籠もったのが分かった。
「今ここで、私と一緒に戦っている人が――。
誰がなんて言ったとしても、その人だけが、勇者なんだよ」
それからリィナは、語ってしまった気恥ずかしさを誤魔化すみたいに、「……ってか、いいかげん治癒魔術くらい覚えてよ。勇者サマが一番怪我するんだし」と文句を続け、俺も弛緩した空気の中、何か適当な軽口で返した――。
……だからきっと、リィナは知らないだろう。
その光景が、走馬灯に浮かぶほど、俺の中でかけがえのないものになっていることを。
……俺は、異世界から召喚された主人公としては、下の下もいいところだった。
どうして自分なんかが勇者なんだと、周りと同じく懐疑し、時に同じく嘲笑に混じった。
この世界に馴染めず、元の世界に帰りたいと、いつまでも駄駄をこねている自分が。
いい歳をして、十代の頃に無理矢理背負わされた役割をいつまでも演じている自分が。
……大した力もないくせに、何度も立ち上がろうとする自分が、無様で、恥ずかしかった。
それでもリィナは、他でもない俺を、勇者だと呼んだのだ。
そんなの当たり前だけど、とでも言うように。
だから、そのときになってようやく。
俺は目を背けず、自分で認められたのだ。
胸に灯り続けていた炎――それこそが俺が何者なのかを示すものだと、教えてくれたのだから。
「……だから、俺も当たり前のことを言ってやる」
静止する敵と対峙したまま、俺はそう呟く。
考える前に、言葉が零れていく。
もはや自分が何を話し、なにを思考しているのかも定かではない。
だが、これだけは伝えなければいけなかった。
……そう。
本当は、リィナも分かっているはずだ。
異世界の食べ物や技術に心を躍らせながらも、別れの痛みを知りながらも、勇者を探さず、会わずに帰ろうとしたのも。
……目を、逸らせないからだ。
自分の居るべき場所がここではないことを知っていて……自分が何者なのかを、本当は知っているからだ。
迷いを抱えていたかもしれない。
後悔しているかもしれない。
生まれて初めて、自分の力が通用しない相手に出会い、心が折れたのかもしれない。
自分が強大な力を持つ者だと、信じられなくなったのかもしれない。
――それでも。
今、ここに来て、ここで戦っている。
それが、全てだった。
「この世界の誰も知らなくても、リィナ自身がそうだと思えなくても。
ここにいるリィナは、
――俺は、それを知っている」
ぶつん、という音が、やけに大きく聞こえた。
俺と【片割れたち】を繋ぎ、奴の動きを止めていた瑠璃色の糸が切れた音。
世界が、動き出した。
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