それはまだ、ここにある。
……結局のところ、私が魔王討伐の旅に着いていくと決めたのは。
自分が世界を変え得る存在……確かに魔女であると、胸を張れる何かが欲しかったからだ。
昔は、生まれ持った「特別」を証明しようなんて思いもしなかったけど。
そう思うようになったのは、あの人と出会ったせいかもしれない。
始めは……あの人と時を同じくして、学園に入ったときは。
そして、勇者と呼ばれる人がいると知ったときは。
その資格がないのなら、そんな称号など捨ててしまえばいいのに、と思ったのを覚えている。
というか、そうすべきだとすら思った。
捨ててしまえば、人々が余計な期待を抱くことも、失望することもないのだから。
……けれど、彼はずっと勇者で居続けたし、それを最後までやり遂げた。
特別な人ではなかった。
強い魔法も、特殊な剣技も、彼は使うことができなかった。
異世界から来た人ではあるけれど……たぶん、ただそれだけだった。
それでも。
彼には勇者で居続ける素質というべきものがあったのだと、私は思う。
――だったら、私は?
私は、本当に魔女と呼ばれるに値する存在なの?
……胸の奥底で抱く疑問に、私はまだ答えられない。
旅は、もう終わってしまったのに。
***
一つの“白”の塊のようになって飛び込んでくる、【片割れたち】の背後――。
何があった、と膨らんだ疑問は、リィナの姿を見て氷解した。
……彼女は、【
浮かぶその表情は、なにか決心した、というよりも、なにかもっと後ろ向きな……とにかく、撤退の意思を如実に表している。
居合い斬りが発動しなかったのか――いや、それはない。
リィナに扱えないのなら、あの少女が代替のものを俺に渡すくらいのことはするはずだ。
だとしたら、これはリィナ自身で下した決定なのか。
……そういうことなのかもしれない。
その決定が意外だとは、思わなかった。
驚きもない。
……なにか、迷いがあるのは知っていた。
むこうの世界にいたときも……そして、この世界に来てからも。
諦めた。
打ち砕かれた。
帰らなくてもいいと思った――。
天敵との遭遇はたぶん、きっかけにすぎない。
それは……彼女がずっと抱えていた迷いを無視し続けてきたツケが回ってきただけだとも言えるかもしれない。
それでも、それがリィナの意志による決定ならば……たとえ魔術師特有の諦めでも、純粋な怯懦によるものだったとしても、俺が異を唱えるのは御門違いってやつだろう。
……それは、分かっている。
けれど――。
俺は、逡巡した。
逡巡してしまった。
これでいいのか――という、もうすでに答えの分かりきった自問に再び引き留められて、羅針盤を取り出せない。
その一瞬で、全てが決した。
「――――」
音にならない声に、喉が震える。
気が付けば、まるで俺に何かを差し出すような格好で、【片割れたち】が静止している。
彼我との距離は、かつてないほどに近い。
手を伸ばせば触れる距離。
そして、その手に握られた槍――その行方は、わざわざ追わなくても分かる。
俺の心臓。
斜め下から突き上げられるように、その槍は突き刺さっていた。
幸運。
そう呼べるのかもしれない。
たしかにそれは、【瑠璃色の簒奪者】の発動条件だったのだから。
発動すれば、相手の身体の主導権を奪うスキル――。
……だが、奪取の気配は訪れない。
おそらくこれが今探索二度目の発動だからだ、と俺はどこか冷静に思考する。
……まあ、そうなるんじゃないかとは思っていた。
むしろ、不完全とはいえ発動しただけでも僥倖ってもんだろう。
俺の胸に刻まれた瑠璃色の糸は、槍を伝って奴の腕に巻き付き……しかし、それ以上の侵食は起こらない。
それどころか、すでに張り詰めた糸が切れるような、不吉な破裂音も聞こえてきている。
……このまま動きを止めていられるのも、そう長くはないだろう。
「――――!」
リィナの声が聞こえる。
だが、なにを言っているのかは分からない。
意識が混濁しかけている時のような、世界が曖昧になりつつある感覚。
疲労の蓄積、重力操作を多用したことによる魔力切れ、はたまた【瑠璃色の簒奪者】の副作用か――。
なんにせよ、どうにか先延ばしにしてきた結末がとうとうやって来ただけの話。
ここが、俺の限界点だ。
――足をもつれさせながら、リィナが俺に走り寄ってくる。
「――――」
彼女の手によって、俺の目の前で魔法が次々に行使されていく。
俺と【片割れたち】をなんとか引き離そうとする奔流。
だが……【片割れたち】に届く前に、生成された闇はただ静かに消えていった。
……俺は、それを至近距離で見ていることしかできない。
「――――!」
ならば羅針盤を取り出そうと、俺の身体を探るリィナのその手に熱はない。
……感覚が曖昧になるダンジョン内で感じたその冷たさは、もしかしたら錯覚かもしれない。
それでも、俺は……。
その冷たさに、理解した。
こんな状況であってさえ、俺の胸中に灯火が煌々と輝いているのは。
心が凍てつくような、異世界での夜も。
この世界で初めてダンジョンにダイブした時、
そして、今。
こんな状況に陥った今でさえも。
……勇者という役割を終えた今もまだ、この胸に、炎にも似た輝きが宿り続けているのは。
今ここで、この熱を、リィナに渡すためだ。
「――俺が最後まで、あの世界で勇者でいられたのは」
乾いた唇が、吐いた言葉の熱さで僅かに湿る。
「俺が勇者である理由を、あの森でリィナが教えてくれたからだ」
羅針盤を探す手の動きが、ゆっくりと止まっていく。
まるで、俺の言葉が徐々に浸透していくように。
覚えてるか? ――そう続ける俺の曖昧になった視界に、リィナとあの日の景色が重なっていく。
それは、リィナに再会する直前、
それを、リィナは覚えているだろうか。
……いや、覚えていなくてもいい。
ただ、知って欲しかった。
あのとき、リィナが言ってくれたことが――俺の迷いを、確かに断ち切ったことを。
そしてその言葉が、俺にとってどんなにかけがえのないものだったかを。
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