白き欲望、最後の魔法。


 道を辿った先。

 

 夜空の星々をそのまま映す水面に立っているのは、塗りつぶされたような「白」だった。

 この水面全体が明るいのは、“それ”自身が放っている光のせいみたいだ。

 

 “それ”を呼ぶのに、魔物という言葉はきっと正しくない。

 ましてや魔族や、この世界流に合わせてモンスターというのも違う。

 

 それは――なにか、もっと神々しく、異質な……。

 ……とにかく、そういうものだと思った。


 大きな魔力そのものの塊が、肉体や表皮というものを纏わずにそこに在るような。

 頭部に生えた鋭い角も、背に羽のように生えた触手か尻尾のようなものも――そう生まれたのではなく、たまたまそういう形をとっているだけのような感じ。

 

 それは生き物というより、自然現象や霊的なものにしか見えない。

 それなのに、対峙した私が強く感じたのは……何よりも生物じみた、ある種の“強烈な欲望”だった。

 

 それこそが、この世界のダンジョンで遭遇したどの魔物モンスターにも欠けていたもので――。

 同時に、目の前の存在が、それらとは一線を画するものである、ということを主張しているように、私には思えた。

 

 見られている。

 ちがう、と私はすぐに思いを打ち消して訂正する。

 ……と言うべきだ。

 

 そう、その視線はどこにでもあった。

 この【星々の枢密林】だけじゃなくて……。

 ここではないどのダンジョンにいても、はこちらを見ていた。

 

 まるで。

 この世界のダンジョンというものが、みたいな――。


 うまく言えないけれど。

 それが今、はっきりと分かった。


「…………ッ!」


 粟立つ肌に急かされるように、私は攻撃魔法を唱えている。


 “崩壊の光フェノグロリア”。

 

 濃縮された“白”とは対照的な、絶対の闇。

 強力無比なその攻撃に……しかし“それ”はなんの回避動作も取らなかった。


 直撃――。

 そのはずなのに、“それ”は平然とそこに立っている。


「なんで……」


 いま目の前で起きていることは……防御や、耐性という言葉では片付けられない。


 無効化された、はずがない。

 、それだけはあり得ない。

 対抗呪文が存在しないのが、光魔法と闇魔法の特色なのだから――。


「――“冥霊千本キリアルコン”!!」


 底冷えするような予感を追い払うように、私は叫ぶ。

 大きな身体に向けて、私が空で描いた円から生成された無数の黒い矢が飛んでいき……それらはやはり、“それ”に到達する前に消えた。

 

 その“白”は、一歩たりとも動かない。

 回避もなく、攻撃もない。

 ただ、私をじっと――目のようなものはどこにもなさそうなのに、それが分かる。


「っ……――!」


 奥歯を、強く噛み合わせた。


「――“熾火繚乱インファーノ”!」


 踊る炎が。


「“凍星の落下グレイシャー・アドバンス”!」


 降り注ぐ氷塊が。


「“土流縛錠フロウシャックル”!」


 絡みつく土の枷が。


「“暴風の咆哮テンペスト・ハウル”――」


 逆巻く暴風が。


「――“雷光一掃ヴェントゥノミナ”!!」


 激しい閃光の束が。

 ――私の魔力から形作られていく。


 五大属性の魔術の、とにかく強力なものを――。

 その一心で、得手も不得手も、思いつく限りのものを行使キャストした。


 だけど。

 その結果は、ことごとく失敗に終わった。

 すべてが、“それ”に届く前にかき消えてしまう。


「…………!」


 足元の水が、蒸気に変わって私の前髪から滴り落ちる。


 まだ。

 まだ、私のすべてを出し切っていない。


 ――固有魔法。

 【終わりに降る闇雨】。


 その闇が降り始めるのと同時に、私の手には黒い傘が握られている。

 

 視界は傘で覆われていて、露先から覗く狭い景色だけが見える。

 ……結果は分かりきっている。

 そう、私は言い聞かせた。

 

 私は魔女だ。

 魔女の力には、誰も敵わない。


 それは、誰もが享受するしかない理不尽。


 たとえ、どんなに強大な魔族でも。

 たとえ、勇者であってさえも、逃れることができない現象――。



「――――どうして」


 吐息のような声が口から漏れる。

 

 雨は止んで、傘が消える。

 “それ”は変わらず、

 

 まるで、見せつけるように。

 ……“それ”は、確かに喜色を浮かべていた。

 およそ表情と呼べるものはなにも見えないけれど……たしかに、私にはそう感じられた。

 

 ……そして、初めて“それ”は動いた。

 まるで、充分に観察を終えた実験動物を、冷酷に処分するように。


「あ――――」

 

 初めて味わう、全身の力が抜けていく感覚。

 自分の力量を上回る相手と対峙し、敗北を悟った魔術師が陥る無気力――。

 

 ……仕方がない、という諦念に、私の身体機能が支配される。


 ……だって、もうどうしようもないのだ。

 魔女にできるのは、魔法を使うことだけ。

 それが通じないなら――しかたがない。


 死。

 いつも、どこか遙か遠くに捉えていたそれが目前に迫っていることを理解したそのとき、私の胸に過ったのは……後悔だった。

 

 

 ……どうして、帰ろうなんてしたんだろう。

 

 この世界での生活は……楽しかった。


 魔物の脅威のない、豊かな生活。

 魔女としての責務を求められることのない世界。


 いよいよ今日が最後だと思ったとき、本当にそれでいいのか自問しなかったと言えば嘘になる。

 

 その答えが、いまこうして、この結末に繋がっているのだとしたら。


 ……帰るなんて選択、しなければ良かった。




***



「――――」


 紫の剣閃が。

 今まさに彼女の身体を貫かんとする白い光を、断ち切った。 

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