帰るべき場所/帰らなくてはいけない場所。


 昼に降り注いだ夏の体験版みたいな日差しのせいで、外には五月の夕方にあるまじき熱気が残っていた。


「……暑い……暑すぎる……」


 文句を言いつつも、黒いローブを頑なに脱ごうとしない少女の姿は、その挙動も相まって周囲の景色からかなり浮いていた。


 ここに来るまでも、あれこれ見渡したり、ふらふら近寄ったり。

 かと思えば走っている車や、駅前あたりで大音量を垂れ流すスピーカーにビックリしてみたり――。


 不審にもほどがあるが、リィナにとっては生まれて初めて見るものばかりだ。

 突如として魔法をぶっ放したりしないだけでも上等だと言えた。


「……というか、ローブ脱げば良くないか? こっちも見てるだけで暑いんだが」


「やだ。良くない。防御力が落ちる」


 などと言いつつ、俺たちは徒歩で一時間ほどかけて目的地までたどり着く。


 ……できればバスかタクシーで行きたいところだったが、リィナは乗り物全般に弱い。

 車内にて死にそうな顔で治癒魔法を自分にかけ続け、薄く光り輝く異世界少女の姿を乗客の皆様にお見せするわけにもいかないので、観光も兼ねて徒歩を選択したのだった。

 

 そんなわけで、今俺たちが立っているのは例の廃墟同然のアミューズメント施設……その入り口である。


「“げーむ”、“からおけ”、“ぼうりんぐ”……」

 

 建物の上方に、ネオン管で形作られた文字を眺めつつ――なんか想像していたのと違うんだけど、とリィナが首を傾げる。


「ここがダンジョンの入り口?

 ……げーむからおけぼーりんぐってどういう意味?」


「……なんだろうな。古代語かもしれん」


 いちいち説明すると面倒な上、著しく信用を毀損しそうなので、そう誤魔化す。


 ふうん、とあっさり誤魔化されたリィナは、その入り口に背を向け――。


「――それにしても、ほんとに異世界って感じだね」


 近くのコンビニや潰れかけのラーメン屋、すぐ前を通る高架下の広い道路を物珍しげに見回して、感慨深そうに呟いた。


「……ここが、あの人の故郷なんだ……」


 そうだな、と俺は声に出さずに同意する。


 ……ここが、俺の世界だ。

 べつに、胸を張って誇るわけじゃない。

 ただ、事実としてそう思う。


 俺は、たまたまこの世界に生まれた。

 フィクションの中の異世界転生や転移に憧れたこともあるし、十代のガキのくせに現実世界に疲れを感じることもあった。

 

 それでも――いざ異世界に転移してみると、ひとつの思いに駆られている自分に気付いた。

 


 帰りたい。



 それは妄念に近いものでさえあった。

 異世界の生活に不満があったから、現実世界のほうが優れていたから、勇者という役目に疲れたから――。


 否。

 望郷の理由はそのどれでもない。

 

 ただ……どこでなにをしていても、自分の居場所ではないように感じていた。


 気の合う友人がいても、勇者の名を捨てて辺境でのんびり暮らそうとしても、時には冒険や魔術に胸を躍らせていても――。

 

 

 魔王がいて、俺は勇者で……そこは、俺の世界じゃなかった。



 現実世界での俺は、輝かしいわけでもかけがえのない存在でもない。

 おそらく社会全体から見ればほとんど無価値で、日々の展望は明るいわけでもなく、退屈な日常を維持するために嫌なことを呑み込む必要があり、努力しなければそんな毎日からも滑り落ちていく。

 

 ――そう分かっていても。

 俺は、この世界に帰りたかった。

 

 だからこそ、俺はリィナをこの場所まで連れてきたのだ。

 きっと、異世界人であるリィナも同じことを思うはずだから。


 それでも――。



「本当に……」


 ――本当に、それでいいのか?

 

 そんなことを、俺は尋ねそうになる。


 別に、今すぐに帰らなくてもいい。

 何日か、何ヶ月か……ここに、気が済むまで。


 きっとそのうち、探していた人物が実はすぐ近くにいたことを知るだろう。

 なんで最初から教えてくれなかったの、などと憤慨する彼女に、そいつはを聞いた手前言い出せるか、と呆れ半分で返すかもしれない。

 

 そして……それから、魔女としての大役を成しに戻ればいい。

 あの世界の未来には、強大な魔女の力が必要なのだから。



 だが……。

 それを口に出さなかったのは、気付いたからだ。

 

 ……俺が引き留めるようなことを言おうとしているのは、別にリィナのためを思ってのことじゃない。


 ただ――俺リィナに、まだここに居て欲しいだけだ。


「“本当に”?」


「いや……」


 なにかを言いかけて黙したままの俺を、リィナは不思議そうに見ていたが。

 やがて再び景色に目を向けて、


「……“本当に、会わないままでいいのか”、って?」


 と、さきほど俺の言いかけた言葉の続きを補完するように言った。


「……まあ、当たらずとも遠からず」


 そう軽く答えながら、実際どうなんだろうか、と俺は思う。


 そして、俺はどうすべきなんだろうか。

 もしも――会いたい、と返ってきたら。

 

 だが。


「……今はまだ、会わなくていい」


 その意外な答えに、俺は思わず目を瞬かせた。


「……いいのか?

 でも、そのために魔法陣を起動したんじゃ……」


「……それは。

 だって、まさか行き先が異世界だなんて思わなかったから」


 まあ、そうか。

 通常の転移魔法陣は双方向に作用するトンネルみたいなものだ。

 すぐに帰れるだろうと踏んでいたのだろう。


「分かってたら、会いに行こうとしなかった?」


「……えー、そう言われると……。

 どうかな……。……たぶんすごく悩んで、それから起動してたかも」


「そうか……」


 どっちにしろそうなるのか……。


「でも、ここに来て分かったんだ」


 リィナは空を見ていた。

 俺も同じく、藍色に染まりかけた空を見ている。


「あの人はきっと、やり遂げたからこの世界に帰ったんだ、って」


 だから、とリィナは続ける。


「……私も、やり遂げるよ。

 私がすべきことをして、それから……今度は、ちゃんとこの世界に会いに来る」

 

「……そうか」


 俺は、頷いた。

 ならば俺も、自分こそが「勇者」だとは明かすまい。


 リィナは人差し指をこちらに向けて、「もちろん、こっちのユウキにも」と冗談っぽく頬を歪める。


「会いに行くから、そのときまで私のこと覚えててよ」


「ああ」


 本当に。

 そうなるといいな、と俺は素直に思う。

 


 それから――。



「行くか」


「うん」

 


 どちらからともなく、俺たちはその入り口へと足を踏み入れた。

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