きみの望みに見つかる前に、かつてのわたしから。

 まず俺が危険予知をした上で、単体を討つ。



 集団のやってくる方向が分かったら、キャスト時間を稼ぎ、リィナの魔法で一網打尽を狙う。

 二人パーティの典型的な形であり、向こうの世界でも基本戦術にしていた挑発役ギドラ火力役ボムバーダーの構成だ。


 とは言え、異世界で組んでいたときよりも俺の攻撃回数は抑えるつもりである。

 俺が持っている武器といえば、悪魔デーモンからドロップした刀のみだしな。超火力の代わりに低耐久、というのはありそうだ。

 


 そんな指針を立てつつ。

 俺は転移ポータルを踏んだ。


 

 青白い光に包まれていく最中――。


 ばたん、と大きな音がした。


まるで、重い扉が閉じたような。

そんな音だった。



 なんらかのイレギュラーを予想していなかったわけじゃない。

 だが……。

 

「……そう来たか」


 思わず、俺はそう呟いていた。



 ――ほとんど同時にポータルに足を踏み入れたはずの、リィナの姿が近くにない。

 

 起きた異変は、それだけではない。

 

 俺が立っているその場所は、そもそも森ではなく――。


 

「……ここは……」


 俺は呟きながら、一歩を踏み出す。 



 ――夕暮れ時の、草原の大地だ。


 草原の彩りは、空の色に呼応するかのように、草一本一本黄金色に輝いていた。俺の足元の、風に靡く草穂の波うつ動きが、まるで大地に潜む大きな生き物を思わせる。

 そこにはわずかに丘が存在し、その傾斜地一帯が目映く夕陽を反射していて――俺は思わず目を細める。


「…………」


 危険な気配は、どこにもない。

 こんな風景の中にログハウスでも建てて慎ましく暮らしていければ、それこそが「完璧な人生」というやつだろうと思わされるような、そんな景色。


 さらに見渡せば、草原の彼方に湖が佇んでいた。

 水面に写る夕景が、鏡のように歪んでいる。



 ……誰かが、そこにいた。


「…………」


 それがリィナではないのは確かだった。


 その上、そいつは俺をとうに認識していて、俺がそちらに行くのを待っている。

 ……そんな気がした。



「さて、どうしたものか」


 リィナが現れる気配はない。

 ……ついでに言えば、帰還できるポータルも見当たらない。


 昨日の森のダンジョン……その終点に似た異様さだ。

 この空間自体、ただのダンジョンではないのは明白すぎた。

 そして、そこにぽつんと立っているあの人影も、ただの人間ではないのだろう。


 俺は、“あれ”に呼び出されてここにいる――。


「……なんてな」


 そう頭を振ってみるが、その予感が正しいことを、なぜか俺は直感的に理解している。

 

 ……ま、呼ばれたなら仕方がない。

 言うなれば、俺はいま先手を打たれているような状況だ。

 このままここに居続けるのが一番の悪手だろう。


 非現実的なまでに美しい景色の中を、俺は歩いていく。

 そして、やがて――。



「――こんにちはー!」


 そいつは近づいてきた俺に対して、警戒する様子もなくそう気さくに挨拶した。

 

 

 それは、少女だった。

 ……少なくとも、少女のように見える。



 そのあまりに奔放に伸びた長い髪は、まるで水に濡れた銀糸の束のように輝きを放っていた。

 草原や湖のなにもかもが空の色に影響される中に、彼女だけがぽつんと浮いている――そんな印象。


 それはあまりに、非人間的であり、超常的だった。

 ……にも関わらず、なぜか恐れや不気味さ、そういったものを感じない。


 それこそが、危険な兆候だと分かりつつも。


「……どうも、こんにちは」


 俺は、力を抜いて挨拶を返す。


 ……というか、それ以外どうしようもない。

 だいたい、に先制攻撃してもロクなことにならないのは明らかだ。

 警戒する様子がないってことは、それなりの根拠があるということだしな。


 で。

言葉自体は話せるようだが……。

 果たして、のかどうか。


「見たところ、あなたは……」


「『いかにも人智を超えた存在』、ってかんじ?」


 そう言って、少女が笑っている。

 ……とりあえず、敵意がないことを示してくれているようだ。


「それより、ねー。

 おにーさん、なんでおねーさんと一緒じゃないのー?」

 

 こてん、と首を傾げている。

 見た目やその雰囲気に反して、やたらと子どもっぽい仕草。


「ちゃんとお手々つないで来た?

 …………あ、繋いでないんでしょー。

 だめだよ、それじゃ一緒に来たことにならないのー。これ、常識だからね?」


 呆れたように言いながら、少女が足元の水たまりを蹴る。

 波紋が消えると、そこにはどこかの景色が映っていた。



 水面に映る少女は、目の前の地面に描かれた紋様を、欠伸混じりに眺めている。


 紛れもなくそれはリィナで……そして彼女がいる場所は、おそらく俺が昨日森のダンジョンに挑んだスタート地点だろう。


「はあぁ……しょーがないなー。あんまり時間ないのに……」


 謎の少女はぼやきながら、一度だけ軽く地面を踏みならす。


 すると――水たまりの中のリィナが、びくりとして腰を落とした。

 彼女の前にあるポータル、それが再び青白い光を放ったからだ。


 少女はその様子を見ながら、


「おねーさん、来てくれるかなあ……。はやく来てくれるといいなあ……」


 と呟いている。

 

 ……まるで、水たまりに映るあの場所のポータルと、ここを“繋げた”……ような言動だ。


 そうだとすると……。


「あなたがこの空間や……ダンジョンを作っているのか?」


「んー、正確にはちがう? でも、そういう理解でもいいよ!」


 視線を上げた少女は、俺に向かって手を伸ばす。水たまりに、彼女の腕の影が映る。

 広げた手のひらには、いつの間にか砂時計が乗せられていた。


「いっぱいお話したいけど……わたしもに見つかりたくないんだあ。

 時間は限られてるよ! だから、おにーさんはもっと知りたいことをきくべき!」


 砂時計に視線を送る。

 金色の砂粒がくびれた中央を通り、下へと溜まっていく。


 ……なんというかまあ、ずいぶん一方的な時間制限だが、文句を言える立場でもない。

 というか、その口ぶりだと……。


「俺がここに来るのは……あなたが仕組んだことか?」


「そうとも言えるねー」


 やや含みがあるものの……あっさりと少女は認めた。


「だとしたら……」


 数日前。


 バイト中に舞い込んだ奇妙な依頼――そしてミラクルワークスの社長の、あの異常な様子を俺は思い浮かべる。


 魔術的な人心操作に近いあれを……この少女が施したってことか?


「――あなたが社長を洗脳かなにかをして、俺がここに来るように仕向けた?」


「シャチョー……シャチョーってなんだろ?

 分かんないけど……うん! おにーさんに来て欲しかったから、そうなったのかも!」

 

 キラキラとした目で、少女は言った。

 

 ……なるほど、分からん。


 分からんが……。

 

「“ただそう望んだだけで、どうやったらそうなるかの手段は把握してない”……ってこと?」


「おおー! まさにそれだよー! おにーさん、やるね!」


 ……いや、つくづく“いかにも人智を超えた存在”すぎる。

 帰る手段さえあるなら、今すぐダッシュで逃げた方がいいのではと思うレベルだ。

 

 水たまりの中のリィナは、転移ポータルをためつすがめつしている様子である。


 飛び込むべきか、そうしないべきか。

 来ない方がいいかもしれないぞ、と心の中でアドバイスしつつ、


「どうして、俺に来て欲しかったんだ?」


「うーんとね。おにーさんに、っていうかね……。

 おねーさんに、こっちの世界に来て欲しかったから!」

 

 ごめんね、と申し訳なさそうに少女が明後日の方に視線を飛ばす。

 

 俺に用があったんじゃなくて、おねーさん……リィナを、こちらの世界に呼び寄せるためだったのか。


「その理由は?」


「向こうの世界に、おにーさんの繋がりがあったからだよ? だからおにーさんを選んだし、おねーさんが選ばれたの!」


「そうじゃなくて……」


「もー! だから、目的は“おねーさんに来てほしかったから”だってばー! その先のことは、おねーさんに言わないとでしょー!」


 少女が先ほどの説明を繰り返す。

 ……単に、リィナが来てからにしたいから今は深掘りするなってことか? 俺に言いたくないってことか?

なんにせよ、こんなおっかない奴の機嫌を損ねたくはない。


 ともかく、少しだけ話が見えてきた……ような気がする。

 

 

 つまるところ、俺は少女の願いに振り回されてダンジョンにまんまと行き、まんまと死にかけ、まんまと魔法陣でリィナを召喚した……ということらしい。

 

 

 まさに、手のひらの上。

 数日前から誰かの思惑を感じていたものの、こうもはっきり明かされると……悔しいという気持ちも起こらないな。

 

 少女がなぜリィナにダンジョン攻略して欲しいのかさっぱり分からん、というのも多分にあるとは思うが……。


 というか、だ。

一連の出来事と言えば――。


「まさか、桜彩が俺と同居していた事実が消えたのも……あなたが望んだことか?」


「サアヤ? さんのことは分かんないけど……。

 …………かもね? もしかしたら、わたしの望みの邪魔だったのかも?」

 

 望みの邪魔……。

 桜彩がいると、リィナがダンジョンを攻略できない? 邪魔になる?


 というか……今さらっと肯定されたが、この少女には人心操作どころではなく、世界を改変する力もあるのかよ。

 

 

 残り時間が、砂になって落ちていく。

 すでに、もう半分を切っていた。


「…………」


 ……俺が黙っているのは、少女の力に恐れをなしたからじゃない。

 予想だにしない話ばかりで……自分が一体これ以上なにを知りたいのか、なにを訊き出せばいいのか分からなくなったからだ。

 

 半年前。

この世界に出現したダンジョンそのものに密接に関わっていると思われる、得体の知れない少女。

 彼女の目的と、それを叶えようと動く世界。

 

 

 それでもやはり、俺はこの機会を逃すまいと口を開いて――。

 

 


 ばしゃんっ! と、大きな水音がした。




 何事かとそちらを見ると――続いて、ばちゃばちゃという、水面を叩く音が湖から聞こえてきた。

 

 まるで誰かが溺れているようだな、と思いながらよく見ると、本当に誰かが溺れているかのように藻掻いていた。


 ……誰かというか、それはリィナだった。



「あちゃー……そういえば、“行き先”をちゃんと指定してなかったっけ」


少女がくすくすと笑っている。


……しかし、いつ見ても泳いでるのか溺れてるのか分からないフォームだな。

初めて見たときは爆笑してしまい、その後一日口を利いてくれなかったことがあった。



 やがて、無茶苦茶なフォームでぱちゃぱちゃとこちらにやって来たリィナは、


「――水っっっっ!」


 と、肩で息をしながら背後の湖を指さした。


「そうだな、教えてくれてありがとう。

 まあ、見れば分かるが……」


「じゃなくて、びっくりしたのっ!

 ユウキはいつまでも来ないしっ! 覚悟を決めてっ、転移魔法陣みたいなの踏んだらっ、いきなり水でっ!」


 だろうな。

 全部この少女が悪いんだぞ、と教えてあげようかとも思ったが、怒りの攻撃魔法連射をされても困るのでやめた。


さて。

砂時計が示す時間は残り少ないが、ここまでの話をざっとまとめてやるか――。


そんなことを考えながら、俺は一歩踏み出そうとして。



「――おねーさん」


 少女がそう呼びかける。

 それから、


「……あの世界に帰りたい?」


 と、訊いた。


 リィナは口を開いて――少女のただ者ではないオーラなのせいか、その手のひらの砂時計を見て察したのか。

「どうしてそれを知っているの?」とか「あなた、なに?」という言葉を呑み込んだ様子で……頷いた。



「…………帰りたい」



「ああ! だよねっ!!」



 その声は――そして、その笑みは。

 まさに喜色そのもので……砂時計がなければ両手を打ち叩いてはしゃいでいたとしてもおかしくないほどであり。

 

 ……はっきり言って、不気味だった。

ここに来て俺は初めて、肌が泡立つ感覚を覚えた。


 息を呑むリィナを、さり気なく背に隠して俺は訊く。


「……帰りたいと言ったら、帰してくれるのか?」


「もっちろん――だけど、条件があるんだよー」


 それは、と少女は言った。


「――これからダンジョンで配信して、たくさんたっくさん、注目を集めること!」


「……は?」


 ……という唖然とした声は、俺の口から出たものだ。


 リィナに至っては無言である。

 一体なにを言われたのか分かっていないのだろう。

 

 配信……。


 配信を……? 

 して……? 

 注目を……??

 集める……???

 

 集めて、欲しいのか……?

 人智を超えた存在が……??

 俺たちに……???


「…………なんで?」


 ……突如として胡散臭いインフルエンサー養成講座でも始まったのか?

 混乱する俺を余所に、にこにこと笑みを浮かべて少女が言う。


「えっとね。注目を集めると、絶対に妹が近づいてくるから。

 そうすると、わたしが彼女との道を繋げることができるんだあ」


 今度は俺も黙った。

 ……全くもって、意味が分からなかったからだ。


「でね、道が出来たら――」


 少女が無邪気に続けようとして。

 黄昏の光を反射する砂の、最後の一粒が、落ちた。


 瞬間。


「――あーあ、時間みたいだね」


 ぱりん、と砂時計が手の上で砕け散り――残念そうに少女が肩を竦めた。


 

 青い光。

 転移魔法に似た光が、視界を包み込む。

 濡れ鼠になった上、ずっと話に置いてけぼりだったリィナが俺の背後で叫ぶ。


「えっ、うそっ!? 続きは!?

 っていうか、ここはどこであなたは誰とか、ハイシンってなにとか、私の疑問のやり場は!?」



 ――その答えは、ついに返ってこなかった。



 やがて、身体に掛かっていた重力が消えて――。



***


 ――気が付くと俺は、埃っぽい床に倒れていた。

 

 

 すぐに状況を判別する。


「転移……させられたのか」

 

 ここは、おそらくは例のダンジョンの入り口……廃アミューズメント施設だろう。


 ……おそらく、というのは、そこにあったはずの転移ポータルの光がないからだ。

 

 まあ今すぐ配信で人を集めろ! とダンジョンに放り出されずに、現実世界に帰れて良かった。

 良かった、のだが……。

 

「…………」


 俺はそこにあったはずの転移ポータルの跡を探すように、視線を落とす。

 

 

 手がかりは消えた。

 もう、少女に会う術はない。

 

 

 リィナ――と呼びかけようとして、すぐ傍で起き上がる気配に気付く。

 彼女も無事、戻って来れたようだ。

 

 

 ……いや、違うか。

 彼女にとっては、戻って来れた、のではなく――。



「私、帰れなかったんだ……」


 そう呟くリィナの声が、暗闇の中で聞こえた。


 俺はかける言葉を探して――やがて、立ち上がって手を差し伸べる。




 ……それから、リィナの手を引いて、俺達は外に向かって歩き出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る