リィナの好きなもの。


 ――結論から言えば。

 リィナの警戒は、びっくりするくらいすぐに解けた。

 

 

 一体どれくらいすぐに解けたかというと、具体的にはパンケーキの焼ける匂いが辺りに充満し始めたころには、すでにこちらを見る目が輝いていた。


 あと、口がずっとちょっと開いていて間抜けだった。

 なんかもう、まだ食べてもいないのに警戒が解けかけていた。


 ――いや、それはどうなんだ。

 いくらなんでもいささかチョロすぎるのではないか。


 そんな声も聞こえてきそうな有様だったが――ここは、魔王討伐を成した元仲間として擁護したい。

 これは決してリィナがチョロいのではなく、パンケーキが凄いのだ、と。


 考えてみても欲しい。

 空腹で心細いところに、甘くて温かくてふわふわのものを持って来られて懐柔されない人間など、果たして存在するだろうか?


 そして大抵、「美味い飯」を持ってきてくれた奴のことを、人間はいつまでも警戒していられないものだ。

 

 そんなわけで、


「――美味しかったー……」


 食べ終えたリィナは、ご満悦以外の何物でもない表情をしていた。


 もはやその顔に、警戒のけの字もない。

 どれくらい無いかと言うと、


「もうちょっと食べるか?」


 という俺の問いに対して、


「えっ、いいの?」


 と目を輝かせてから、「でも、お腹いっぱいだから迷うな……」みたいな顔で悩んでいるくらいには、無い。


 ……お前、むしろなんでさっきまであんなに警戒してますよ感出してきてたんだよ。

 単にお腹空いてて不機嫌だったのか?



 などと思わなくもないが、恐らくリィナが警戒を緩めたのは「この世界の人間は魔法が使えない」と俺が明かしたのが大きいだろう。

 

 ……魔女ウィッチは基本的に、魔法を習熟していない人間のことを、なんか無意識に舐めてかかる習性があるんだよな。

 どう考えても悪癖以外のなにものでもないんだが……まあ、そのおかげで警戒を緩めてくれるのは助かる。


「さて、と……」

 

 ……ここまでは狙い通りと言って良いだろう。

 

 あとはどのエピソードトークで、俺がリィナの知る「勇者サマ」だと信じさせるかだな――などと、あれこれ考えていると、


「目が覚める前って、私……どうなってたの?」


 と、先にリィナから質問の手が上がった。

 

「あー……」


 まあ、俺の正体については焦ることもないか。

 というか、突拍子もない話をして信頼を失うのも面倒だしな……。


 今は、訊かれたことに答えよう。 



「昨日、俺はダンジョンと呼ばれている場所に向かったんだが――」 


 

 ――その最奥。

 そこに刻まれた紋様が反応し、突然リィナが現れたこと。

 目を覚まさなかったため、ひとまず家まで運んできたこと……。

 


 という、俺のざっくりとした説明を聞き終わると、

 

「……そう、だったんだ。だとしたら……」


 と、リィナは唇に手を当てて何やら考え始める。


 なんだろう……どうにも、こうなったことに心あたりがある、という風に見える。

 俺が転移した時はたしか……普通に歩いてたら景色が一変してて、何がなんだか分からなかったもんだが。


「もしかして……なにか心あたりがある、のか?」


「うん、ある」


「あるのか……!?」


 嘘だろ。

 マジであるのかよ。


「私、とある魔法陣を調べてたんだ。

 ……あ、魔法陣って分かる? えーっと、主に複雑な魔法を発現させるための……絵? 図? みたいなやつなんだけど」


「まあ……分かるが」


 なんかやっぱちょっと舐めてそうな感じはさておき。

 とある魔法陣? と俺は内心疑問に思う。


 リィナは優れた魔女ウィッチだが、魔法陣のスペシャリストじゃない。

 というか大の不得意分野で、魔法陣の調査なんて自主的にやるとも思えないんだが……。


「すごい複雑な魔法陣だったから、どんな構成とか、どんな仕組みなのかがさっぱり結局分かんなくて……。

 でもどうしても起動したかったから、思い切って魔力を流してみたら――」

 

「……この世界に来てた、と?」


「そういうこと。

 まあ、転移系かなとは思ってたけど……まさか、異世界行きの魔法陣だったなんてね」

 

 なるほど。

 …………なるほど?


 ……異世界転移を可能にする、転移魔術の魔法陣?


 いや、そんな馬鹿な。

 あの世界の一体どこにそんな都合の良いものがあったんだ――と疑問が浮かびかけて。


「あ」


 思わず、声が出た。



 どこにそんなものが、というか。

 それは、まさか――。



「え、なに?」


 よほど変な顔をしていたのだろう、リィナが怪訝そうに首を傾げる。

 いや、と俺は口ごもってから、


「……ちなみに、その魔法陣はどこにあったんだ?」


「どこ? どこって……お城の地下室だけど?」


 異世界の人がそんなことを訊いてどうするの? と言いたげなリィナの顔を、俺は直視できない。



 ……城の地下室。

 城の、地下室……。


 

 ……それはまさに、俺が転移魔法陣を起動してリィナの前から消えた場所、じゃないか?


 …………嫌な汗が噴き出してきた。


「お、お、お……」


 お前、あの魔法陣使ったんか……!? という、因習村で祠を壊された老人みたいな台詞をギリ飲み込む。

 


 そんな……。

 いやでも、まさか……。



「な、なに? え、どうしたの?」


 急に様子がおかしくなった俺を、心配げに――というより不気味そうに、リィナが見てくるが……気にしている余裕はなかった。



 ――まさか。

 リィナがこの世界に来たのは俺のせい――ってことになるのか?



 …………いや。

 いやいやいやいや。


 なるか?

 ならないだろ?


 ……だってあり得ない、よな?


 あれはそもそも俺にしか使えないような構成だったし……魔力総量的にも、俺しか使えないはずだ。

 誰にも使えないから問題ないよな! と考えたからこそ、俺はリィナの目の前で心置きなく消えたわけで……。

 


 ん? でも……待てよ。


 リィナが出現する前に、なんかダンジョンの魔法陣もどきに魔力を吸われたような……?


 ……分からん。

 分からんが、それよりもっと分からないことがある。



「……さっき、どうしても起動したかったって言ったよな?」


「うん」


「でも、それってなんか、よく分からない魔法陣だったんだよな?」


「…………うん」


「…………。

 なんで、そんなものを起動しちゃったんだ……?」


 いくら俺が目の前で使ったとはいえ、未知の魔法陣である――というのもあるし、あれだけ複雑な術式の魔法陣だったのだ。


 あんなもの、見ただけで術者個人に合わせた構成だと分かりそうなものだ。

 ……というか実際俺はそういう風に組み上げたし、だいたいリィナおまえ、魔法大学で俺と同じ魔法陣の授業取ってたよな?

 教授が授業の冒頭で毎回、百回くらい「教会の認可紋がない未知の魔法陣は、作成者以外絶対に起動しないように!」って言ってたの聞いてなかったんか?



 …………という諸々の呆れを視線に込めて訊いたのだが、リィナはこっちを見ちゃいなかった。


 なんか、思い切り視線を逸らしていた。



「べ、別に……良くない?」


「良くねえよ……」


 その無謀の結果、こうして異世界転移する羽目になったわけだよな?

 これから、向こうで魔王亡き後の世界がいざ始まろうって時にさ……。


 まあ、そこら辺は言わなくても分かってるとは思うから口にはしないが。


 それに、まだ俺が「勇者サマ」だって明かしてないのだ。

 いきなり異世界人にそんな説教されても意味不明だろうしな……。


「あのなあ……なんでそんなことしたんだ?」


「……だって、仕方ないじゃん。

 私、どうしても……」


「どうしても?」


「…………」


 なにやらもにょもにょしている。

 なんなんだ、この期に及んで。


「どうしても、なんだよ!?」


「あーもう!

 どうしても――その魔法陣使ってどこかに行っちゃった人に、会いたかったの!」


「……はあ?」


 ぽかん、と俺は思わず口を開けてしう。

 さながら、さっきパンケーキが焼き上がるのを待っていたリィナと同じような間抜けな顔になっているだろう。


 しばらくして俺の口から出たのは、


「……なんで?」


 という、間抜けすぎる疑問だった。

 

 ……会いたかった?

 ……俺に?


 そんな俺に対してリィナは、


「……それは、まあ……いいでしょ、なんでも」

 

 そう、ふて腐れたように答えるばかりである。

 

「いや、気になるだろ……」


 ともかく、リィナは俺にどうしても会いたかった……らしい。



 まあ、会いたいという気持ちは俺だって分からなくはない。


 なにせ魔法学園からの付き合いだし、魔王討伐の旅を最後まで共にしたわけだしな。

 もう二度とやりたくない旅路と言えど、リィナは俺にとって苦楽をともにした大切な仲間である。


 そりゃまあ可能なら、半年に一回くらい集まって近況報告とかしたい。

 

 ……いや、したいけども。

 それって――。


「それって、未知の魔法陣をろくに検証せずに起動させるとかいう、とんでもない危険を冒してまで……か?」


「……う。

 いや、だからさ、それは、その…………」


 またしても、もにょもにょ言い出してしまう。

 テーブルに肘をつき、組んだ両手に表情は隠れているが……黒髪の間から覗く耳が赤い。


 いいかげん、察してくれない? と言わんばかりの様子だ。


 ……いや、だから、さっぱり分からないんだよ。

 いいからもうはっきり教えてくれよ。



 一体なんでそこまでして会いたいんだ、と俺が首を傾げたのと、だから私は、とリィナが自棄になったように言ったのは、ほとんど同時だった。




「私はっ――その人のことが、好きだったの!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る