困惑と、警戒。


 ――彼女がいま行使しているのは、おそらく探査系の魔術だ。

 もしかしたら、防御系の魔術も組んでいるかもしれない。

 

 俺が……というか、誰かがドアを一枚挟んだ向こう側にいることは、すでに分かっているだろう。


「ふー…………」


 落ち着け、と自分に言い聞かせる。


 ……桜彩の件はたしかに気がかりだ。

 情報も足りないし、それを整理する時間も足りない。


 だが、いま目覚めたばかりのリィナを放ってはおけない。

 ……少なくとも今、桜彩に何か危険が迫っているわけではなさそうだしな。

 

 ならまずは、リィナと話すのを優先すべきだ。


「……それで合ってる、よな」


 床に落ちたスマホを拾い上げ、「すまん、また連絡する」と桜彩に短く告げて通話を切る。


 それから、部屋の前まで移動して……ドアをノックした。


 ……返事はない。

 おそらく、警戒しているのだろう。


「……入るぞ」


 そう断って、俺はドアノブに手をかけた。


 相手はリィナだ。

 本気で拒絶する気なら、ドアを開かないようにすることは造作もないはずだが――果たしてそれはなんの抵抗もなく、軋むこともなく開いていき……。


 俺は、室内に足を踏みいれた。



「――――」


 部屋の大窓を背にして、リィナは立っていた。

 彼女は俺の顔を見て一瞬、なにか引っかかりを覚えたように僅かに眉をしかめて……こちらの出方を伺うように、顎を引いた。


「あー……言葉は通じてる、よな?」


 念のため訊いておくと、リィナは「何故そんなことを訊くのか」とばかりに怪訝そうな顔をした後に首肯した。


 ちなみに、ここまで彼女は無言である。


「そうか。

 ……それは、良かった」


 ……さて、どうしたものか。


 ひとまず言語の問題がないのは助かったが、それよりも問題なのは――。


「…………」


 ……「お前は何者だ」という感じが、ひしひしと伝わってくるこの状況だ。



 ……これは、やっぱりあれか。

 いま目の前にいる俺の姿が、リィナの知る「勇者サマ」とは結びついていない、と……そういうことか?

 

 …………まあな。

 そりゃそうだよな。


 リィナの知っている異世界での“俺”とはそもそも年齢が違うし、向こうでの俺は……なんというか、我ながら“くたびれたおじさん”そのものだったし。

 同一人物だと気付かなくても仕方がない。

 

 良くてせいぜい、「なんかどこかで見たことがあるような……」くらいの認識だろうか。


「あー……」


 まずはその辺りを説明すべきか、いや、それよりも……などと逡巡していると、リィナが先に口を開いた。


「……ここは、どこ?」


 それは、ほとんどの転移者が最初に尋ねるであろう、鉄板の疑問である。

 そしてこの質問に、例えば「日本だ」などと現在地を答える奴は、とんでもなく気が利かない上に、まず間違いなく異世界転移経験者ではない。


「俺の部屋だ」などという答えも同様である。

 転移者にとっては、誰の部屋だろうがどうでもいいに決まっているからだ。

 

 …………ちなみにこれは余談だが、転移直後の俺も同じ質問をした時に「ギルネヴェア王国のギルベルン、その外れに位置する秘術場である」とか言われてマジのガチの本気でムカついたのを未だに覚えているからな。


 だからそれは、どこのなにのなんなんだよ、と訳知り顔の“賢者たち”をビンタして回ろうかと思ったくらいだ。

 

 ……そう。

「ここはどこだ」という質問はつまり、「自分がなにに巻き込まれて、どうなっているのか」という問いに等しい。

 

 ――だから、俺はこう答えた。



「ここは、リィナが目覚める前にいた場所と、文化や文明が全く異なる世界……つまり、“異世界”ってやつだ」



「…………」


 少女は、目を瞬かせ。

「どうして私の名前を」と小さく呟いて……それから、頭を振った。

 

「…………異世界……?

 あの……なにかの比喩? それか、冗談とか?」

 

 疑うような言葉とは裏腹に、その声音に自信は窺えない。


 この部屋の内装や、窓から見える外の景色……現実に存在するそれらすべてが、俺の突拍子もない発言に説得力を持たせているからだろう。


 ともあれ。

 その辺りのことは、今は信じられなくてもいずれ事実だと分かるはずである。


 ……そんなことよりも。

 今なによりも先に解消すべきは、リィナの俺に対する不信感の方だ。


 こちらも聞きたいことが沢山あるし……この調子だと、俺がリィナの知っている「元勇者」だと信じてもらうのにも苦労しそうだしな。

 

 ――というわけでまずは、と俺は親指で背後を指さす。


「まあ詳しい話は、なにか食べながらにしないか?」


 温かい食事と、それに伴う満腹感。

 それは、こちらに警戒を抱く相手との対話を可能にし、信頼関係を築くきっかけを作ってくれる――原始的だが、強力なツールである。


 相手がリィナで、甘いモノを出す予定なら尚のこと、だ。



「…………」


 少女は躊躇ためらう様子を見せていたが。

 やがて小さく頷き――恐る恐るといった様子で、俺のあとを追って部屋を出た。

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