瑠璃蜘蛛。

 ――咆哮。

 

 もちろんモンスターの鳴き声の意味など分かるはずもないが、怒っていることくらいは伝わってくる。


「うるせえな、蜘蛛野郎」


 アドレナリンが駆け巡り、ともすれば平静を失いそうになる自分を、独り言を呟くことで発散し律する。

 俺は舌打ちしながら、【石斧】を構えた。

 


 ――初撃。

 接敵する直前、隠れながら放った“魔弾バレット”は、多少の傷を残しほとんど効いていないようだった……が、むしろこれは期待していた以上の成果だ。


「どうやら、無敵ってわけじゃなさそうだな」


 これで本当に、コメントで言われていた通りのゲーム的な“討伐されぬ敵ステージギミック”の類いだったら終わっていたところだ。

 

 ――こいつにダメージは通る。

 このきな臭い「ダンジョン」がなんなんだかは分からないが、少なくとも目の前にいるコイツは神だの上位存在だのに遣わされた“システム”じゃない。


 俺たちと同じ、単なる生き物で、俺たちと同じく、生きている。



「生きてるってことは、殺せるってことだ」


 指を鳴らす。

 まずは、コメントで有効とされていた“睡眠”と“麻痺”だ。

 

 ……が。


「……やっぱ効かねえな」


 蜘蛛はこちらを油断なく警戒したまま、変わった様子はない。

 ガセネタを掴まされた……というより、単に俺の睡眠、麻痺魔術の威力不足だろう。

 ……魔族にデバフ系はハナから無効化されることが多かったからな。事前に準備しておくならまだしも、対人に有効なレベル以上のものは出せない――。


「おっと!」


 不意に振り上げられた二本脚に、咄嗟にゴブリンの【石斧】を合わせる。


 事前に確かめた通り、ちゃちな作りの武器だ。ぽっきり折れるんじゃないかと身を引く準備はできていたが――意外とがっちり受け止めることが出来ている。


 やはりこのダンジョン内では、物理的な法則よりもステータス的なものが優先されるようだ。おそらく、この【石斧】にも耐久値などが設定されているのだろう。


「やっぱり、な!」


 二撃目。

 非現実的な青白いエフェクトと共に【石斧】が砕け散り、振り下ろされた脚の爪先に膝のあたりを引掻かれる。


 全くと言って良いほど痛みはないし、傷もできていない。

 だが。


「は!? 減りすぎだろ!」


 ステータスに目をやると、HPの値が70ほど減っている。……残りは30だ。

 あともう一撃でもかすり傷を負えばその時点で抵抗できなくなり、あえなくゲームオーバーとなるのだろう。


「くっ……」


 地面を蹴って大きく距離を離すが、瑠璃蜘蛛は付き合ってこない。

 転移ポータルの前でカチカチと牙を鳴らすだけだ。


 ……まったく、こっちが嫌がることを理解してやがる。


 軽く振り向いて確認すると、五メートルほど後ろの角で桜彩が待機しているのが見えた。

 隙を見てポータルに飛び込め、とは言ったものの……向こうが挑発に乗ってこない時点で望み薄だ。


「まずは目だな」


 俺はその黒々と輝く目を狙い、ノーモーションで“魔弾”を撃った。


 何千回と使ってきた魔術だ。魔力を練る気配すら感じさせない、完全なる不意打ちだったが――。

 ヤツは器用に脚を伸ばし、あっけなくそれを弾き、返す刀で反撃が来る。


「ふむ」


 あらかじめ魔力で身体と動体視力を強化していなければ、避けることはできなかっただろう。


 撃つ。

 避ける。

 

 ヤツの手はワンパターンで分かりやすい。受け止めようとさえしなければ、ダメージをもらうことはなさそうだ。


「よし……ッ」


 回避の合間に放つ魔弾が、だんだんと目のあたりにヒットするようになってきた。

 驚異的な瞬発力を持っているとは言え、永遠に守り続けられるわけでもない。


 やはり、手数は正義だ。

 押し切れる――!


 俺はそう確信し、ふとそのを見て。

 

 

 ――俺は、どうして“目”を狙ってるんだ?

 

 そんな疑問が湧き……すぐに、気が付いた。


「……俺を嵌めたな」


 距離を取って、吐き捨てる。

 

 生物学的に合ってるかどうか知らないが、俺の経験上、暗い場所に棲む魔物は目が緑や赤に光る。入ってくる僅かな光を目の中の輝板タペタムで反射させて、再利用するためだ。

 


 対して、瑠璃蜘蛛の目はあまりにも黒い。


 退化して眼球が皮膚に覆われたモグラや、暗闇に棲息する他の感覚器が優れた魔物と同じ――あの“目”は、飾りだ。

 

 ……そもそも、ヤツが不可視の“魔弾”を的確に防げている時点で気が付くべきだった。

 

 桜彩を助けて逃げる際に明かりに怯む様子を見せたり、戦闘開始から一貫して行う“目”を守る動作に、俺はその部位への攻撃が有効だと誤認させられていた。

 

 魔物は搦め手を使わない――必ずしも経験が役に立たないと知りながら、俺は心のどこかでまだ、そんな異世界の常識を抱えていたのかもしれない。



「……洒落臭いことしてんじゃねーぞ、虫野郎」


 “魔弾”が通用しない以上、接近戦に持ち込むしかない。さらにこちらには、ダメージを一撃でも喰らえない縛りがある。


 感覚器を潰すことは大きなアドバンテージなどではなく、だ。


「――お前の本当のは、繊毛か」


 筋は通る。

 このダンジョンでまともな生態が“設定”してあるかは分からないが、洞窟に棲んでいるのはそのためだろう。

 足の付け根に生えている、いわゆる“聴毛”か……体表の周りの風の流れで攻撃を感知しているのだ。


「チッ……ったく、つくづく馬鹿のフリがうますぎるな」


 コイツには、策を弄する頭がある。

 頭が良い上に、臆病で執念深い。捕食者としては超一級の資質だ。


 考えてみれば、俺の魔弾による初撃。

 あれは、本当に避けられなかったのか?

 ……そんな訳がない。先ほどまでの“魔弾”を防げるなら、あの時も着弾自体は分かっていたはずだ。


 なぜ敢えて避けず、防御すらしなかったか。


 ……魔弾による攻撃が有効だと、俺に思わせるためだ。

 だとすれば、“魔弾”を何発撃ったところでコイツを倒せるわけがない。


「……だったら、仕方ないな」


 俺があくまでも目に見えぬ“魔弾”に拘ったのは、桜彩を気にしてのことだ。



 だが敵は想像以上に賢く、厄介で、強大だ。

 魔術の露呈の恐れがなどと、そんなことも言っていられない。

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