瑠璃蜘蛛と捧げられし餌。


 ――カサカサ、という不快な音がする。

 

 その音の主は今、狭い洞窟内を縦横無尽に動き回っている。

 明るかった洞窟は奥に進むほど暗くなっていき……俺のいる薄闇の先はさらに暗く、不気味だ。


「――“暗視”」


 左目の“射手の目”を解除し、暗闇に潜むその姿を見る。


 ダンジョンの最奥を根城にしているのは、八本の足を持つ巨大な虫――蜘蛛である。


 奴はまだこちらには気付いていない様子だ。


 ポップアップした情報に焦点を合わせる。


瑠璃蜘蛛ルリグモ 危険度B+】


 ツールズが与えてくれる情報量は、道中の雑魚敵と同じだ。

 名前と危険度だけが分かっても、その対処法は類推することすら叶わない――。




【配信を開始しますか? Yes/No】




「……そうか」


 視界の隅にしつこく表示されたダイアログを見たそのとき――俺はようやく探索者ダイバーが配信を行うその理由の一端を理解した。


 俺が知らないことでも、視聴者は知っているかもしれない。

 有用な攻略法、正解のルート、有効なスキル、敵の弱点。

 他の配信で見た情報を、自身の体験を……それに、あるいは嘘もあるかもしれないが。

 

 視聴者がいて、コメントがあり、情報がある。

 

 だからこそ、探索者ダイバーは配信を行うのかもしれない。

 ……まあもちろん、承認欲求や収益という面も大きいとは思うが。

 

「……ん?」


 蜘蛛型の魔物ということは、サアヤを貯蔵している可能性があるが……と見回していると、俺にほど近い暗闇の中で何かがノソノソ動いているのが見えた。

 


 何か、というかそれは紛れもなく桜彩だった。

 糸でがんがら締めにされているその姿は、扇情的というよりコミカルである。



「……おい、助けにきたぞ」


「どぅわあ!!」


 張り巡らされた糸に触れぬよう慎重に近づいて囁くと、桜彩は大声を出した。

 慌ててその口を塞ぐ。

 

 …………蜘蛛に警戒する様子はない。気付いてないのか?


「も、もがふぁいす……むにむぐ……」


「……なんだって?」


「ぷはっ……だ、大丈夫です。

 瑠璃蜘蛛には聴覚がないらしいので……」


 ……そうなのか?

 にしても、糸の振動で音の発生くらいは分かりそうなもんだが……。


「そ、それよりユ……鍋島くん、どうしてここに……?」


「幼なじみが蜘蛛の餌になってたら来るだろ、普通」


「か、かたじけない……」


 武士のようなことを言いながら、桜彩はしゅんと項垂れて。


「い、いや、じゃなくて、どうやってここまで来たんですか」


「お前の配信のコメントで教えてもらった」


「……モンスターは?」


「それは普通に倒し……」


 ……いや、このいぶかしげな様子だと、以前の俺にはそんな実力はなかったのだろう。

 魔術を使えることは伏せておきたい。


「……なんか、ぜんぜんいなかったぞ」


「うそぉ!」


「ラッキーだったな」


「ええ……それだと私がとびきりの不運みたいじゃないですか……」


 その通りだと言ってやりたかったが「それより」と俺は話を変える。


「桜彩はどうしてここに? あいつに襲われたのか?」


「い、いえ。

 瑠璃蜘蛛はこの空間をテリトリーにするモンスターです。

 基本的には……そうですね、いま鍋島くんが立っているところにすら出てきません。私は――」

 

 ――ゴブリンに襲われたのです、と桜彩は語った。

 

 通常のゴブリンであれば、人間は捌かれ食料や道具にされる。


 しかし、洞窟ゴブリンは違う。

 棲まう洞窟の主とも呼ぶべき存在に、その獲物を捧げる習性があるのだと言う。


「……だいぶグロい話だな」


 コテコテのゲーム的ライトファンタジー世界かと思ったら、実はダークファンタジーだったとは。


「普通、獲物はすぐ食べられてしまうのですが、私を運んできたゴブリンさんが先に餌になってしまい……。

 こうして私は、お夜食用に転がされているというわけです」


「そうか。

 じゃあ、奴はまだ満腹で……桜彩やしょくの時間までは余裕があるんだな」


「ですね……。すごくいい遺言を考える時間くらいはあります……」


 ……どこまでもマイナス思考の奴だ。

 せっかく助けに来たのに、俺を遺言を聞かせる相手だと認識しているらしい。


「で、どこか怪我はしてないか?」


「あ、それは大丈夫です。すり傷くらいです。新鮮です」


「……でも、HPはゼロになってたぞ?」


「まあ、あれはダメージ喰らっちゃうと減っていくので……。

 今は私の“自然回復”スキルで“2”くらいにはなってるんじゃないでしょうか」


 ……説明を重ねてもらったところによると。

 モンスターの攻撃等のダメージを喰らうとHPが引かれていき、値がゼロになると気絶するらしい。

 別に死ぬわけではない、とのこと。


「……知らなかったんですか? ほんとに? 鍋島くん、探索者ダイバーやってましたよね?」


「いや、まあ……とにかく、心配したぞ」


「それは……すみません」


 心配されて満更でもなさそうな表情を浮かべ、桜彩は頷くように頭を下げた。


「でも良かったです。

 鍋島くんが来てくれて。ツールズ落としちゃって困ってたんですが、こうして、私の遺言を聞いてくれることですし――」


「待て待て。なんでさっきから餌になる気満々なんだ。逃げるぞ」


「えっと……。

 あの……鍋島くん。熊って知ってますか」


「……お前には俺が、熊すらも知らない馬鹿に見えてたのか?」


「めっ、めっそうもございませぬ!」


 桜彩は首をぶんぶん振った。青い髪がさらさらと流れる。そういやなんで髪青いんだ。


「そ、そうではなく、これは単なる話の枕ででして……!

 ……その、熊って、餌に対する執着がすごいらしいじゃないですか。

 瑠璃蜘蛛も同じなんです。私を助けると、餌を横取りした鍋島くんをめっちゃ追ってきます。

 だから……助けないほうが、いいです」


「馬鹿だな、お前」


「……なんでですか」


 心外だ、という顔をしている桜彩に構わず、俺は彼女の身体を縛る糸に手を触れる。


 その警告をしないことだってできたはずだ。

 俺に自由の身にさせてから、代わりに俺を蜘蛛に捧げることだってできたかもしれない。



 ……でも、そうか。

 ダンジョンに潜って配信……なんて目立つ上に危ないことをやるようになっても、変わってないとこもあるんだな。



「馬鹿な奴め……」


「に、二回もばかって言った……」


「良い意味で、な」


「う、うそぉ……あるかな、そんなことが……」


 ぶつぶつ言っている桜彩に構わず、俺はごく弱い魔力を桜彩を縛る糸に流す。

 ……やはり、俺の知っている蜘蛛の魔物の糸と性質は同じだ。


 これなら……。


「桜彩、行くぞ」


「ちょ、ちょっと待ってください!

 まだいい辞世の句が……!」


「合図したら、起き上がって走り出せ。逃げるぞ」


「な……」


 桜彩の目が大きく見開かれる。


「は、話、聞いてました? 私が逃げたら――」


「お前こそ、話聞いてたか?

 俺は“助けに来た”って言ったんだ」


「でもっ――」


「さん、に、いち――」


「ちょ、ちょっと――!」


 問答無用で、俺はスリーカウントを始める。

 

 魔力を込め、力任せに糸を切るように――。



「ユウくん――!」


「ぜろ!」



 ぷつん! と糸が弾ける音がして、桜彩の身体が自由になる。



 ――瞬間、馬のいななきのような咆哮が、洞窟中に響き渡った。

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