それでも前に進むのは。



 最初のゴブリン以降、接敵する数自体はあまりなかった上に苦戦することもなかった。



 俺のようなドの付く素人がスムーズに進めたのも、出現するモンスターが、異世界で相手にした魔物と共通した姿形、弱点を有していたのが大きいだろう。

 

 ここまでの捜索の大部分は、分かれ道をしらみつぶしに調べる手間のほうに費やされていた。


 どうやら各ダンジョンには完成された「地図マップ」のようなものが存在する、とネットで見た記憶はあるが……そこら辺のことをよく調べておくんだった、と少し後悔する。



 ……なにもかも、準備不足も甚だしい。

 俺は“ダンジョン”について何も知らなさすぎる。

 異世界での経験がなければ、とっくにミイラ取りがミイラになっていてもおかしくない。



「……これは……」


 ダンジョン突入から二十七分。


 俺はようやく、その“石版”――ツールズを見つけた。

 

 拾い上げて、画面を見る。

 そこには、【配信中】という文字共にツールズの背面に埋め込まれたレンズが映す映像と、視聴者数やコメントが表示されていた。



――――――――


・お

・お

・うごいたああああ

・さやち!?!?!?

・誰!?!?!?!?!?

・誰?

・生きてたんかワレ!!!

・別のダイバーじゃね

・ハゲタカか?

・さやちはどうなったん?



――――――――


 気をつけて拾い上げたつもりだったが……コメントの様子を見るに、顔が一瞬映ってしまったかもしれない。

 いや、そうとも限らないか。

 今、配信では俺の腰から下が映っている状態だから、拾い主桜彩サアヤでないことは明らかだろうし。

 


 俺はコメントに構わず、画面をスワイプして桜彩のステータスを呼び出す。


【名前:白瀧桜彩

 HP:0/180

 魔力:0/10

 二つ名:不死身の脱兎

 ランク:E】



「――――」 


 …………HP、0。


 停止した心電図を前にしたような気分だ。


「…………」


 それでも俺がさらに奥へと足を進めたのは、歩みを止めて何かが起きることはないと知っているからだった。


「まだ、可能性はある」


 二十年にも及ぶ魔王討伐において、絶やさずに燃やし続けた灯火の存在を、俺は心の中でそっと感じ取る。



 ――まだ、ここにある。



 あの日、あのとき。

 魔王を倒すその瞬間まで、俺ができた唯一のことは、ただ歩みを止めないことだけだった。


 人のことを異世界から呼んだくせに、誰も本気で魔王に勝てるとは思っていなかったあの世界で――俺は信じ続けて、歩き続けた。

 

 ……どうして心が折れなかったのかは、実のところ俺自身にもよく分からない。

 熱血的でも献身的でもなかったし……特段、英雄的な要素は持ち合わせていなかったはずだ。

 

 だからそれは、もしかしたら「意地」のようなものに近かったのかもしれない。

 

 あの世界は、牧歌的からは程遠かった。


 嫌なことや耐えがたい痛みを伴うことは矢のように日々に降り注ぎ、人は魔王という脅威を前にしても団結せず、逆に勇者だということで理不尽な目に遭うことも珍しくなかった。


 俺みたいなインドア派でネットで時間を潰すことしか知らないガキが、スレて達観して、何事もまず冷笑するようになるまでに時間はかからなかった。



 それでも、薄ら笑いを浮かべるその心の奥底で。

 いい年したおじさんになっても、「無理だろ」と嘯いてみても、終わりの見えない旅に嘆息しても。

 凍える夜に、身を裂く痛みの中で、俺は何度も自身の心に手を伸ばし、その思いを確かめた。

 

 ――まだ、ここにある。

  

 もしも俺に勇者としての資格があったとしたら、ただ灯火を失わなかった……その点だけだと思う。



「……行こう」


 俺はさらに奥へと、走り出した。

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