何故、学歴コンプレックスの人は高学歴に難癖をつけるための頭脳を勉強に使えなかったのか?

エリー.ファー

何故、学歴コンプレックスの人は高学歴に難癖をつけるための頭脳を勉強に使えなかったのか?

「まず、環境がありますよね。一つは、環境です。勉強できるような状態ではなかったけれど、実際に頭は良かった、というやつですね。いわゆる、やればできたはず、というものです」

「すみません。実際に頭は良かった、というのはどういうことですか」

「それは、どういう質問でしょうか」

「いや、抽象的過ぎませんか、実際に頭は良かった、という言葉が分かりにくいと感じたものですから。頭が良いかどうかは実際に分かりやすい形で表に出て来ないことには評価できないものですよね」

「まぁ、そうですね」

「一度も料理を作ったことのない人が、俺は絶対に料理が上手いと言っている状態と一緒ですね。事実かもしれませんが、何も証明されていないので信用に値するものではありません。一度も仕事をしたことがないニートが、俺は絶対に仕事ができると言い張っているのと一緒ですね。別に、ニートという存在が悪いとは思っていませんが、信用するに値しない発言、もしくは、信用するための証拠が出そろっていないので信用するのは危険な状態、と言えます。高学歴ではないのだから、結果を出せなかったのだから、実際に頭は良かった、という言葉の信憑性が限りなく低い。私が言いたいのは、それだけですよ。私の言っていることは間違っていますか」

「間違っているかどうか、ではなく片側しか見ていないという問題がそこには存在しています。まず、環境が整った途端に結果を出したアスリートや研究者というのは数多くいることは間違いないでしょう。それはまさに、能力が高かったけれど環境に恵まれていなかった、ことの証明です。そうでなければ、一流の選手が体を休めたるために素晴らしいベッドを求め、自分の体の筋肉量や脂肪量や関節の可動域などを検査してくれる場所へ赴いて素晴らしいアドバイスを得られる環境を活用することは一切ないでしょう。高学歴の人が塾という環境にお金を払ったり、良い大学に行くために良い高校という環境にこだわったりするわけでしょう。それに、自分の子どもが勉強をすることに嫌悪感を示すような親の元で過ごさなくて済んだ、という環境が当たり前に整っているかどうかも重要そのものです」

「ですが、塾に行かなくても高学歴な人はいますし、良い高校にいけなくても良い大学に進学した人もいますし、両親からの教育が得られず妨害を受けながら勉強をして高学歴を獲得した人もいるはずです」

「では、塾に行けず、良い高校に行けず、両親からの妨害を受けながら勉強をした人間が、難関大学に合格する可能性は高い、ということですか。どうですか、明白ではないですか。協力者が少なければ少ないほど成功しやすいのが勉強である、というデータがありますか。協力者が多ければ多いほど成功しやすく、また、それも環境と言えますが、環境が整っていれば整っているほど高学歴を手に入れやすく成功しやすい。これは勉強だけではなく、スポーツ、芸術、投資、いや、人生において言えることです。もしかして、小さい例外を並べることによって、意見が通ると思ったのですか。これは、単純に傾向について語り合うものであり、逆に言うのであれば、確実ではないが、ほぼ確実と言っていい、というような抽象的な部分について理解の足りない人が付いて行くことは難しいでしょう。そのレベルの低い反論は、高学歴故のプライドの高さから生まれたものではなく、あなたの知性の無さが単純に露呈しただけです」

「私は高学歴ではありません」

「えっ。じゃあ、なんで反対側にいるのですか」

「反対側にいるだけです」

「あっ、そうですか」

「というか、そもそも、証明されていないものを評価すること自体に誤りがあります。まず、高学歴というものを得るには、ある程度の環境が必要である、というのは理解できました。傾向として、そのようなものがある、というのも受け入れます。ただ、だからといって、高学歴ではない人を高学歴の人に匹敵するだけの能力があっても環境が恵まれなかっただけの人として同等に扱うべきである、という考えには無理があります。まず、単純に高学歴ではない点です。現状、高学歴ではない人は高学歴ではないので、高学歴として扱うことは不可能です。オリンピックで、百メートル走の決勝が行われる寸前に、太った白人男性が入ってきてフライドポテトとハンバーガーを片手に、審判に向かって、親からファーストフードを食べるようにトラウマを抱えるほどの躾をされてしまったせいで太ってしまったが本当は百メートル走で金メダルを取れる可能性もあったはずだから決勝のレーンを走りたいし金メダルも渡せ、と言った時、正当な要求になるか、という問題です。分かりますね。なりませんよ。なるわけないですよね。分かりますよね、それくれいのことは。だって、百メートル走を一番速く走り切るどころか百メートルを走り切れるかどうかも怪しい男なわけですから。あなたは、私に正当に評価することを求めていますが、証明できていないものを証明できているものとして評価しろ、というのは正当な要求ではありません。何故なら、証明できていないからです。環境によって、高学歴を得るのが難しかった。ここまでは、分かります。ただ、実際は頭が良かった、ことにもなりませんし、できる人間、ということにもなりません。百歩譲って、やればできるはずだった人間、という評価になったとしても、できているわけではないので、成し遂げた人間とは雲泥の差があります」

「納得できません」

「分かりました、少し休憩をしてから、納得いくまで話しましょう」




「というか、学歴コンプレックスというのが低学歴の人にしかない、という考えも古いですよね」

「そうですね。学歴コンプレックスは、誰もが持ちうるものですからね。過剰に自分を持ち上げる行為も、過剰に相手を見下すのもコンプレックスを持っている人の特徴ですから」

「学歴コンプレックス、というのは平等なのですね」

「学歴を無視して、生まれるものですからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何故、学歴コンプレックスの人は高学歴に難癖をつけるための頭脳を勉強に使えなかったのか? エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ