須賀恭介の場合(ミラージュファイト・ノワール・スピンオフ)

@misaki21

第1話 須賀敬介の場合(ミラージュファイト・ノワール・スピンオフ)

「これはこれは。何と言うのか、シュールでいてシニカルだ」

 須賀敬介(すが・きょうすけ)は溜息を吐きながら頭をばりばりと掻いた。シャツのネクタイをしごき、視線を自分の靴から眼前の三人の男たちと、その二歩後ろに立つ女性に泳がし、再び靴に戻した。

「何だテメーは?」

「……しかし、下らんな」

 文字通り吐き捨てるように言い放ち、須賀は大きく深呼吸した。

「何が下らんかと言えば、まずは貴様らが俺と同じ制服だということだ。桜桃(おうとう)学園は界隈では指折りの私立進学校で、多少退屈ではあっても頭脳は優秀な人間の集まる所だ。まあ、中にはそうでもない連中もいるんだが、それが三人も集っている場面など見たことがない。これが二つ目だ」

「テメー、何が言いたいんだ?」

 短髪で上背のある男が両手をポケットに入れたまま凄んだが、須賀は「待て」と手で制した。

「トリオ漫才かコミックバンドか何か知らんが、そういうことはしかるべき場所でやるべきだ。具体的にどこでやれ、とまで指図する権利は俺にはないが、そう、桜桃の校風は自由自尊だからな。貴様らの背後に女性がいるな。同じく桜桃の制服だが、どうにも俺には彼女が貴様らのコミックバンドのメンバーのようには見えない。ついでに楽しそうにも見えず、どちらかというと困惑しているようだが、音楽性の違いで揉めているのだったらアドバイスの一つも出してやってもいい。俺は楽器は出来ないが、そういう話題に詳しい友人がいるのでな」

 短髪の男は険しい表情のままで、両脇の二人は無表情だった。三十秒ほど沈黙があって、短髪の男が眉をひそめて須賀をにらみつけた。

「……からかってんのか? テメー」

「良く言われるが、しかし全く下らん質問だな。俺はこう見えて真面目で几帳面で、時々お節介でもあるが、どちらかといえば謙虚なほうだ。つまり、見ず知らずの人間を捕まえてジョークを披露するようなタイプではない。ついでに言うと、俺は「テメー」ではない。まあこの点は見ず知らずだから譲歩してもいいが、しかし「テメー」は余りにも……」

 ふう、と息を漏らし、やれやれというゼスチャーをして須賀は黙った。向かって左にいた団子鼻の男がぐいと迫り胸元を掴む。

「邪魔してんのか? カッコつけてんのか?」

「質問は一つづつにして欲しいんだが、まあいい。邪魔といえば貴様らだ。俺はこの先にある古書店に用事がある。ご覧の通りの狭い路地だ、明らかに通行の妨げだろう……しかし、全く……キミ」

 胸元をつかまれたまま須賀は男たちの向こうにいる女性に声をかけた。

「かなり時間を稼いだつもりなんだが、どうしてキミは逃げない?」

 桜桃学園のブレザーを着た小柄な女性は「え?」と小さく飛び跳ねた。

「すくみ上がるほどの連中でもないだろうに。逃げ出すことは恥ではないんだ、状況によってはな」

 痩躯の男が須賀の科白の意図に気付き、女性の手を荒っぽく掴んだ。それを見て短髪の男の表情が緩んだ。団子鼻の男も胸元を掴んだままヘラヘラと笑った。

「遊び相手と小遣いがなくて困ってるオレらはな、たまにこうやってブラついてカモを探すんだよ、青少年クン。お前も遊んでやろうか?」

 リーダー格らしき短髪の男が団子鼻に目で合図すると、胸元を掴む手に力が入る。須賀はその手をちらりと見てからケータイを取り出した。

「おいおい、ここにきてケーサツ呼ぶのか? 大した正義感じゃねーか、青少年クンよ?」

「まあ待て。……ああ、俺だ。待ち合わせに遅れてすまない。用事が、いや、大したことではないんだが、もう五分ほど遅れると思うから一応と思ってね。それ以上遅れるようなら俺は無視して構わない。その場合はまた後日ということで……解ってる、こっちが誘ったんだ、何かおごるよ、じゃあ」

 パタンとケータイを閉じ、それをポケットに押し込むと、須賀はふうと小さく息を吐いた。

「さて、聞いての通りだ。キミ、そう、キミだ。ぶしつけで失礼だが、随分と華奢なキミが実は空手か何かの達人で、訳あってその技を封印して日常を送っている、ということはないかな?」

 女性、というより少女と呼べる相手は首をぶるぶると振った。

「それは残念だ」

 と、短髪の男が笑った。団子鼻と太めも続く。

「お前! 笑えるぞソレ!」

「楽しんでもらえて結構なことだが、貴様らには五分もしくは六百五十円の価値がある。この、全く笑えん状況を一切合財無かったことにすれば損害はゼロだ、お互いにな。どうだ? いい案だと思わんか?」

「財布を出して回れ右して逃げるっていう案もあるぜ?」

 短髪男の笑い声はヒヒヒと耳障りだった。

「財布はともかく、あちらの女性が気がかりだな」

「そーいうのも気にせずに泣いて逃げ出せばいいんだ、って言ってるんだよ」

 須賀の口からまた溜息が出た。

「下らん、論外だ。こちらからの提案は女性の安全を四分以内に確保することだ。ここが肝心なんだが、タイムリミット付きだ、下らんことは喋るな」

 胸元の手が浮いて、どんと衝突する。

「テメー! どこまで偉そうなんだコラ!」

 野太い叫びは太った男から。胸元から手を離して右拳を振り上げる。

「単細胞が、冷静になれ」

 拳は須賀の顔すれすれをかすめて空を切った。襟を正してネクタイをしごき「参ったな」とつぶやく。

「その少年の父は、偉大な武道家だった――」

 うつむいて低く言う。視線の先はよれた革靴だった。

「――幼い頃より鍛錬を強いられた少年には秀でた才があった。いずれ自身を超えるであろうと父に予感させるほどの。しかし誰が思っただろう。そのいずれが十三の幼さで訪れると……」

 出鼻の一撃をかわされた太めは一歩引き、短髪は須賀の口調に顔をしかめる。

「偉大な武道家は十三の我が子の、自身が与えた技により再起不能となり、少年は二年、己を呪い続けた……その少年の名は――」

 突然向けられた鋭い視線に、短髪男はたじろいだ。血肉を求めるその眼光は残り二人にも突き刺さった。

「――速河久作(はやかわ・きゅうさく)」

「はっ! ハヤカワ! って、おい! ウチの高等部一年の!」

 少女の腕を掴んだ男が悲鳴交じりで言うと、短髪は男と須賀を交互に見た。

「お! お前……速河! 速河久作? 空手部主将を潰した……」

「ボクシング部顧問を病院送りにした?」

 太めが次ぐ。

「封じた名無しの裏八十八技、全ては可憐にして必殺。眠れる獅子の尾を踏むことなかれ」

 須賀の口元がニヤリと上がる。音もなく出した一歩に三人が引く。

「あの!」

 背後からの声に三人は飛び上がった。

「須賀さん! 1-Cの須賀敬介さんですよね? 私、1-A、ナナちゃんの友達で……」

 少女、同級生の科白で、その場が凍った。

「……スガ? テメー、速河久作じゃ……ハッタリ?」

 須賀は思わず「参った」のゼスチャーをした。

「キミ。初対面だと思うんだが、ナナちゃんというのは奈々岡鈴(ななおか・すず)くんのことだろう? いや、それはいいんだが、何と言うのかタイミングが悪い。そう、俺は須賀、須賀敬介だ、間違いない。違わないんだが時として真実は良くない結果を招く。俺が言いたいことは解るだろう?」

 1-Aの同級生は首をかしげた。つられて須賀も首をかしげた。

「俺は確かに須賀敬介なんだが、この場合、俺は速河だったほうが何かと都合が良かったんだ。何故かと言うと……しまった、タイムリミットか」

 ちっと舌打ちして須賀は視線を革靴に戻した。そして……。

「テメー! ふざけやがって!」

 短髪が怒鳴りながら殴りかかってきた。太めよりは随分と早い。

「当たれば全治一週間といったところだな」

 パンチは須賀の肩をかすめただけだった。

「暴力は良くないな。それよりもだ。六百五十円は俺の負担なのか?」

「何が六百五十円だ!」

 鋭い蹴りだったがそこに須賀の体はない。

「駅前にイタリアンだかフレンチだかの喫茶店があるだろう? あそこのバナナサンデーだ。キミ、今、たかがバナナサンデーだと思っただろう? 違うんだ」

「葉月、葉月巧美(はづき・たくみ)!」

「何?」

「ごちゃごちゃウルセーんだよ!」

 タックルを仕掛けてきたのは先と同じく短髪。ケンカ慣れしている風だった。

「ああ、キミの名前か、葉月くん。タクミ? 凝った名だ。いや、悪い意味じゃあない。似合っているとも。何か芸術だとかに秀でてそうで、彫刻などがいいかもな。しかしだ。こちらは少々取り込み中でね」

 団子鼻の蹴りはブロック塀を響かせ、少女――葉月巧美を拘束していた痩躯の男のパンチは須賀の前髪を揺らし、短髪の左ストレートはネクタイをチップした。

「バナナサンデー六百五十円は俺の懐には殆ど影響はない。しかしだ。それはリカくんの分で、こういう話だと十中八九、レイコくんとアヤくんがもれなくご同行だ。レイコくんとアヤくんが何を注文するか解るかい?」

 二歩以内をすり足で移動しつつ、須賀は葉月に説明する。途中に三人組の怒声も混じる。

「レイコくんはトリプルクリームソースパフェ、千二百円。いきなり倍額だ。アヤくんに至ってはコースだ。あの喫茶店のコースメニューが幾らか知ってるかい? 知らない? 三千五百円だ。コールドスープにパスタにポテト、白身魚のソテーにサラダ、食後にバニラアイスまで付いてくる」

「ふざけんな!」

 と太った男。

「真面目な話だ。確かにあそこのボンゴレは美味い。味音痴の俺でも解るんだから相当なものだろう。しかし喫茶店にコースメニューがあることや、それをおごりだからと躊躇なく選ぶことは俺にはちょっとした疑問だ。それで全部を合計するとだな、五千三百五十円か。今日の目当ての洋書の値段が四千円だ。葉月くんといったね。俺がどれだけの窮地か、解って貰えたかい?」

 するすると移動した須賀は、いつの間にか葉月の隣にいた。五歩向こうに息を切らした三人組と散乱したゴミ箱がある。

「えーと、そこにはナナちゃんも来るんですか?」

 葉月巧美は不思議そうな表情で尋ねた。思い切ったショートカットだ。服装を変えれば名前と共に男性に見えそうだった。

「……そうか! スズくんもか! 参ったな。葉月くん、彼女は何を注文するだろう? 確か、スズくんは小食だった気がするんだが」

「甘い物だったらかなり……。駅前の喫茶店って「トワイライト」ですよね?」

「そう、トワイライト。不気味に思える名前だ」

「スガ! くたばれ!」

 短髪男のパンチにはもう切れはなかった。ヒラリとかわして「トワイライト」とつぶやく須賀。

「レイコくんと同じくトリプルのパフェなら、合計六千五百五十円……待て待て、なんてことだ! クトゥルー神話画集が買える金額じゃあないか! 待ち合わせに遅れた埋め合わせがクトゥルー画集? どうしてこうなる?」

「私が……」

 頭を抱える須賀に葉月がつぶやくが、「それはいい」と手で払う。

「キミが空手の使い手だったらこうはなっていなかった。しかしそれは論点が違う。そこの三人組の素行が悪いから? いや。責任転嫁は良くないな。状況に対して声をかけた俺の失点? 同じ学校の……この際、所属は無意味だな。困っている人がいれば女性だろうが子供だろうが手を貸すのは道理だ。速河を名乗るのは我ながらいい策だと思ったんだが、いや、キミを責めるつもりはない……」

 こめかみを指で押さえ、ぐっと目を閉じて唸る。あらゆる攻撃をすべて空かされた三人は表情こそ闘争的だが、肩で息をして足元もおぼつかないでいた。

「下らんことに首を突っ込んだ挙句の結果だが、まあ後悔はない。スズくんの知り合いならば尚のことさ。画集は、あの店に客がいたところなど見たことがないから、いずれ手に入るだろう。葉月くん、帰りは電車かい? 随分と遅いし駅まで送ろう。二度も同じようなことに巻き込まれては俺の労力が無駄になるからな」

 言葉とは裏腹に、今ひとつ煮え切らない、と言う風だった。

「おい! テメー!」

 歩き出そうとした須賀と葉月に向かって短髪の男が叫んだ。振り返ってみるが二の句はない。

「物覚えの悪い奴だな。須賀だ、須賀敬介。あいにくだが俺は付き合う相手を選ぶんだ。貴様らは退屈すぎて魅力の欠片も感じない。恐らく記憶から消えるのに三日とかからないだろう。貴様らの存在などその程度だ、自覚しておけ」

 言い残し、二人は路地を曲がって消えた。夕刻、路地裏に残された三人組はゴミの散乱するその場で沈黙していた。


 ――おわり

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