第6話
農奴から自由民になったから劇的に生活が変化するわけではない。
「おやおや、ヘルマンさん家の親子の笑い声だわ。元気になってよかったのう」
近所の老夫婦は、いつも通り聞こえてきた親子の奇声に穏やかな気持ちになる。
今日も小さな村に笑い声が響いている。
「ふっははははは! さすがヘルマンどの! 怪我から回復した直後とは思えない膂力ですな!」
「ふっははははっ! 馬鹿タレが! お前の笑い方が移ってしまったじゃねぇか! どうしてくれる!」
2人は農作業に精を出していた。 父親ヘルマンは丁重な治療を受けて、短時間で回復することができたのだ。
(しかし、大きな怪我人が出ても回復魔法は使われなかった。どうやら、本当に魔法の使用がが禁止されているのか?)
「どうしたルレロ? そうか、そろそろ昼か。緊張してるのだろ? なんせ、初めての魔物狩りだからな」
農奴から自由民になって大きな変化は、これだ。
食料調達の名目で魔物を狩っていたヘルマン。
しかし、自由民となった彼は魔物を倒すことを生業することを選んだ。
つまり、農業と兼業で冒険者になったわけだ。 そして昼の食事も終わり……
「よし、お前は、ここで見ておけ」とヘルマンはルレロと共に森に入ると離れた場所で見学するように厳命した。
(ふむふむ、ヘルマンどのの装備は狩猟用の弓矢。新調した長剣の2つか。狙ってる獲物は?)
ヘルマンの視線の先には魔物が1匹。 大型の魔物……熊の魔物だ。
(たしか、名前はレッドベアだ。向こうは気づいてない……とは言え、魔法もなしに奇襲攻撃で簡単に倒せる魔物ではないはず)
「お手並み拝見と行こう」とルレロが言うと同時にヘルマンに動きがあった。
彼は弓から弦と矢を引くと素早い動作で放った。 射抜いた場所はレッドベアの眼。
「くっ~ たまらないわ。 あの距離で正確に目に当てるか! 世が世なら俺様の配下に加えている所だぞ!」
もしも、その場に聞く者がいたら、倒錯ぎみ賛辞に驚いていただろう。なんせ、実の父親に対する賛辞だ。
だが、間違いなくルレロの中で一番の絶賛だった。 しかし……
「……いや、待てよ。ヘルマンどの、まさか手負いの魔獣に剣で挑むつもりか!」
ヘルマンは背負っていた矢筒をと弓を捨てた。 剣を両手に構え直してレッドベアに駆け出して行った。
「なんと、なんと! 矢に毒を塗っていないのか? 傷で狂暴化した魔獣と真っ向勝負を狙っていたのか!」
通常の猛獣と同じだ。 魔獣と分類される魔物は、傷を負うと狂暴化する。
狂暴化すれば、こちらがダメージを与えても怯むことはなくなり攻撃を止めることなくなる。
「要するに死ぬまで攻撃を続けるようになるのだが……」
ルレロが心配している間に、ヘルマンとレッドベアは互いに攻撃の間合いに入った。
「フン!」と野太い気合いの声。 迫ってくる一撃に対して、剣を振ってカウンターを決める。
鮮血が舞う。 攻撃の腕を傷つけられ、大きく体勢が崩れたレッドベア。
その無防備になった胴体に向かってヘルマンは大きく踏み込んだ。
胴への一撃。 人間なら死は免れる渾身の一撃であったが、相手は魔物。
その人間とは違う表情からであっても、怒りの感情が見える。
「問題はここからだ。レッドベアの猛攻をどう……なっ!」
ルレロが驚いたのも無理はない。
レッドベアから繰り広げられる連続攻撃。しかし、それらはヘルマンに当たることはなかった。
(避けてるどころか、避けると同時に攻撃してきた腕を切っている。それも全ての攻撃に対応して!)
魔獣の攻撃性があっても、ついにはレッドベアも理解したらしい。 攻撃すればするほどに、傷をつけられると言うことを……
しかし、だからといって、敵に背を向けて逃げ出す程度の狂暴性でも、凶悪性でもない。
攻撃の手を止めたレッドベアは両手を地面につけた。
(来るぞ! 体当たりと同時に噛みつき攻撃。ヘルマンどのはどう迎え撃つ!)
回避から、攻撃を放ってくる末端部分にカウンターを決め続けていたヘルマン。 常に動き続けてきた両足を止める。
そして、両足を地につけて、踏ん張りが利く構え。
「強打を狙う構えか。ヘルマンどのも、ここで仕留めるつもりか!」
レッドベアが走った。 大きく口を開き、勢いのまま噛みつこうと――――
この時、ヘルマンからその姿は消えて見えた。 なぜなら、高速で迫ってくるはずのレッドベアは途中で飛んだからだ。
狙いは単純、飛んでからヘルマンを頭から丸噛り。
だから、それはヘルマンも想定済みのようだ。
見失ったのは一瞬のみ。 身を低くした彼の剣は、迫り来るレッドベアの大口に向けて対空の一撃。
ヘルマンの刺突は、レッドベアの喉にまで叩き込まれた。
しかし、それでレッドベアは即死したわけではない。 まだ動き続け、飛び付いたままヘルマンを浴びせ倒す。
「ヘルマンどの!」とルレロは、思わず封印している魔法の解禁をしようとする。
しかし……
「大丈夫だ、ルレロ。俺は無事だし、こいつは死んでる」
巨大な魔物の体を押し退け、下からヘルマンが顔を出した。
「ま、毎回、このような危険な戦い方をしているのか!」
「いやいや、こんな大物は滅多いに出てこないわ。普段は弓矢だけで仕留めきれる魔物だけだわい」
「うぬ……」とルレロは考えた。
数日前まで農奴だったヘルマンの装備は軽装。自由民となった時に貰った魔物退治の報酬は、主に武器に使ったらしい。
(今も打ち明けてくれぬが、ヘルマンは騎士の血統。剣に執着するのもわかるが、技を過信して防具を蔑ろにすれば、いつか大きな怪我を呼ぶぞ)
ヘルマンの装備は軽装の鎧すら装備していない。 防具と言えるのは皮製の頑丈な服のみ。 頑丈といっても魔獣の牙や爪を何度か防げる程度。
先ほどのレッドベアのように巨大な魔物の一撃を受ければ、それだけ無効化されるだろう。
(なんとか、使い勝手のよい装備を手に入れねば……俺様も頑張らなければなるまい)
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